第34話

「う、あ……」


 竜弥の肩を貫いたのは、痛みではなかった。『死に至る感覚』そのものだった。怪獣の残党最後の一体が、瓦礫に潜んで竜弥の隙を窺っていたらしい。

 

 その個体とて、無傷ではなかった。というより、身体が半壊していた。それ故に、細く鋭くなった鋏の残存部分で竜弥の左肩を貫通したのだ。


「竜弥あああ!」


 楓の絶叫が鼓膜を震わせると同時、竜弥の身体は軽々と放り投げられた。ばたっ、とタイル敷きの歩道に、うつ伏せに横たわる竜弥。


 今、怪獣のそばには実来が眠っている。奴は実来を殺す気だと、楓は直感した。


「おのれ、よくも、よくもッ!」


 しかし、楓は動けない。刀を投擲するという技は、竜弥が即興で繰り出したものであり、簡単に真似はできない。それに、自身の身体感覚も麻痺しつつある。出血が多すぎたのだ。


「うっ、くっ……」


 自分にはここまでしかできないのか。その思いから、楓は冷たい雫を瞳から零す。

 その時だった。凄まじいドリフト音を立てて、ハンヴィーが勢いよく乱入した。怪獣と竜弥の間に割り込み、怪獣を突き飛ばす。

 実来の手前で停車したハンヴィーから降りてきたのは、


「神山竜蔵殿……!」


 楓は目を見開いた。しかし、神山は大した武器を持っていない。左腰に拳銃を装備しているが、それだけだ。

 体勢を立て直す怪獣の前で、神山はゆっくりと拳銃を抜き、初弾を装填してセーフティを解いた。そして、凄まじい声量で叫んだ。


「俺の子供たちに、手を出すな‼」


 これには竜弥も楓も、怪獣でさえも怯んだ。その隙を突いて、神山は全速力で怪獣に接敵。しかし、拳銃程度で怪獣の装甲は破れない。

 どうするつもりかと見守る楓の前で、神山は拳銃を、あろうことか右腕ごと怪獣の口腔部に突っ込んだ。そして、無我夢中で引き金を引きまくった。


「うあああああああ!」


 十五発の弾丸を排した拳銃が止まると同時。息絶えた怪獣から、神山はふらり、と引き下がった。右肘から先を食いちぎられた状態で。


「神山殿! 竜弥! 二人共!」


 楓が駆け寄る間に、神山は仰向けに倒れ込み、左腕で自分の右腕上部を圧迫した。止血のつもりだろうが、あまり功を奏しているようには見えない。


「國守……。二人は、竜弥と実来は無事か……?」

「あなたが一番重傷だ、神山殿! とにかく右腕を……!」

「私のことはいい、二人は大丈夫なのか?」


 薄く開かれた神山の瞳からは、強い光が垣間見えた。楓はごくり、と唾を飲んでから、あたりを見渡した。

 竜弥は自分で左肩を押さえているし、実来はまだ眠っているようだ。少なくとも、二人共致命傷を負っているようには見えない。


「大丈夫、あなたのご子息は二人共存命だ! 援護の者たちは?」

「……私は独断専行でやって来た。この近辺の安全確保のために先遣隊が組織されているが、到着まであと二十分はかかる。私は、もつまい……」

「そんな……」


 楓の涙が、神山の頬や額に零れ落ちる。しかしこの時、楓の胸中にあったのは、悲しみでも同情でもなかった。途方もない怒りだ。


「馬鹿者!」


 今度は神山が怯む番だった。


「神山殿、竜弥と実来は、ずっとあなたを慕っていた! あなたの前でどんな態度を取ろうと、本心では、本当はもっと一緒にいたかったはずなんだ! 私が母上を今も慕っているように!」

「く、國守……」

「あなたをここで死なせはしない! 不得手ではあるが……魔術を行使する。西野にこの場所を伝えて、早く迎えに来るように促すからな!」


 すると、楓は神山のそばに両膝を着き、両手を組んで何事か唱え始めた。すると、ふわり、と青白い光が彼女を包み込み、穏やかな風を吹かせた。

 それを頬に感じながら、神山は気を失った。


         ※


「全員が意識なし? 神山二佐もか?」

「はッ、私と共に一個小隊が到着した時には、四人共衰弱した状態で……」

「ふむ……」


 西野は、副司令官である三佐に説明するのに苦慮していた。

 自分の脳内に、直接楓の声が聞こえてきたのだ――そう言っても、信じてはもらえないだろう。

 しかも、自分のみならず一個小隊を強引に動かして四人の救出に向かったのだ。れっきとした越権行為である。

 懲戒免職を喰らったら、無線技士にでもなるかと、西野は頭の片隅で考えていた。


 今、彼らがいるのは最寄りの総合病院である。最寄と言っても、怪獣との戦闘に伴う避難指示が出ていたため、ハンヴィーを飛ばして一時間はかかった。


 楓と実来は、気を失っているだけで命に別状はない。竜弥もリハビリ次第で、二、三ヶ月もすれば左腕の機能を回復できる。

 問題は、神山だった。西野に同行した衛生班も、自分たちでは為す術なしと判断するほどの酷い出血だった。


 顎に手を遣る三佐の前で西野が突っ立っていると、俄かに背後が騒がしくなった。


「き、君! 重傷者なんだから動いては……」

「俺の! 俺の血を親父に輸血してください!」

「あっ、竜弥くん!」


 西野が振り返ると、竜弥が左腕を吊った状態でベッドから立ち上がっていた。


「俺と親父は血液型が一緒なんです! だから輸血を!」

「君だって重傷なんだぞ!」

「分かってます! でも、あんな任務一徹な奴でも……俺と実来にとっては、たった一人の父親なんだ!」


 その言葉に、大人たちは皆、黙り込んだ。


「お、おい、誰か何とか言ってくれ! 輸血に俺の血を使う許可をくれ!」

「残念だが竜弥くん、我々が民間人の指示を聞くわけには……」


 三佐が言葉尻を濁すのを聞いて、西野は意を決した。

 自分のホルスターから拳銃を抜き、三佐の背後から突きつけたのだ。


「ッ! 西野、貴様!」

「輸血許可を、三佐。自分はどうなっても構いませんが、この親子と國守楓には、幸福を享受する権利があります」


 すると、その言葉に触発されたのだろう、医療班が一斉に動き出した。


「輸血準備! 緊急手術だ!」

「止血は完了しています!」

「よし、血液提供者を搬送する! 担架を持ってこい!」


 こうして、病院内での攻防は解決された。残されたのは、呆気に取られた三佐と西野だけだった。


         ※


 それから一週間後。


「兄ちゃん、調子はどう?」

「ああ、日に日にマシになってるな。これならすぐにでも飯を作って――いてっ!」

「だから無理しちゃ駄目だって! お医者さんに言われたでしょ?」

「誰のお陰で怪我したと思ってんだよ、実来」

「う、ごめんなさい……」


 竜弥たちはまだ入院していた。神山も何とか九死に一生を得て、今は意識も回復している。

 ただし――。


「兄ちゃん、お父さんには会わないの? 楓ちゃんも心配してたよ? せっかく皆無事だったのに」

「まあ、そうだけどな」


 そう言う竜弥を、実来は探るような目で見つめた。


「兄ちゃん、どうしてお父さんのために輸血しようと思ったの?」

「む、誰に聞いたんだよ」

「西野さん」

「そうか……」


 西野は減給三ヶ月という処分で済んでいた。経過はどうあれ、神山を救うのに、西野も間接的に一役買っている。それが評価されたらしい。


「で、どうなの、兄ちゃん?」

「そう、だな……」


 竜弥は顎に手を遣った。


「あの時、西野さんが反乱を起こしかけた時のことだけど、俺は無意識だったんだ。咄嗟に、っていうか、俺に出来ることなら、やらない手はないと思ってな。あそこで親父を見殺しにしたら、一生後悔する。本気で殺す気なら、まだチャンスはある。そう思ったんだ」

「うっわー、殺すチャンスって……。引くよ、兄ちゃん……」


 腰に手を当て、大人びたため息をつく実来。カチンと来たが、竜弥は顔を顰めるに留めた。


「まだ許す気にはなれないんだね」


 竜弥は無言で鼻を鳴らした。視線を下ろし、買い直したスマホを取り出す。

 そして、叫んだ。


「あーーー! 今日は慰霊祭だ! おい、早く行くぞ、実来!」

「あっ、そうだった!」


 二人はばたばたと病室を出て、階段を一段飛ばしで駆け下りて行った。


         ※


「おい、遅いぞ二人共!」


 病院のエントランスでは、楓が待ちくたびれた様子で腕を組んでいた。

 今日の慰霊祭は言うまでもなく、今回の怪獣殲滅任務にあたって殉職した自衛隊員たちのために執り行われるものだ。


 負傷者が搬送されたこと、及び適度なスペースがあったことから、病院の駐車場で行われることとなった。真夏の太陽光が差し込む中、真っ白いテント状に広げられた布の下に、パイプ椅子が整然と並べられている。その大半は既に埋まっていた。


 祭壇には、殉職した隊員たちの写真が並べられている。そこに東間の顔を見つけ、同時にその前で泣き崩れる女性の姿を見て、竜弥は思わず目を逸らした。


 そして、偶然ながら神山と顔を合わせることとなった。

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