第33話
正直、この刀を使いこなす自信など微塵もなかった。
増してや、楓がやってみせたように、自分の手足のように扱うなど。
それでも、竜弥は駆けた。怪獣に向かって、瓦礫の山を駆け抜けた。
今この場で、楓と実来を救えるのは自分しかいない。その使命感とも正義感ともつかない感情が、竜弥を突き動かしている。
怪獣の反応は機敏だった。
ずいっと脚部を持ち上げ、その先端をこちらに向けた。火炎放射を行うつもりだ。
しかし、炎が放たれるよりも早く、竜弥は動いた。
「いっけえええええええ!」
右手に握った刀を投擲したのだ。
ビル陰から覗いていた楓は、驚きを通り越して呆れ返った。あんな使い方、剣術にあったものではない。何せ、自分の得物を失うのだから。
すぐさま火炎が竜弥を飲み込み、その姿は灰塵に帰してしまう。そう思った楓は、しかし自分の読みの甘さを思い知った。
火炎放射は『放射』と言われるだけあって、放たれてから大きく広がる性質がある。
ならば、噴射口を塞いでしまえばいいではないか。
竜弥の狙い通り、刀は火炎が発せられる直前、その噴射口に突き刺さった。
結果、放たれた火炎は左右に分かれ、竜弥はほぼ無傷のまま接敵。そのまま、左腕に握った刀を両腕で握り直し、思いっきり振りかぶった。
「はあああああああ!」
脇差に宿った青白い光と、刀が発する紅色の輝き。その二つが混じり合って、まるで竜巻のような斬撃が発生した。
一斉に斬り飛ばされる多脚。その中央に、怪獣の円盤部分を支える主脚のうちの一本が見えた。
しかしこの足は、先ほど楓が切断を試みて失敗したものだ。奥義も何も使えない竜弥に断ち斬ることはできない。その隙に、別な脚部に絡め取られ、命を落とすだろう。
そんな悲観的な考えは、次に竜弥が取った行動によって霧散した。
竜弥は右手で脇差を抜き、思いっきり脚部の関節に叩きつけたのだ。刃が欠ける脇差。
それでも、竜弥はこの攻撃を止めようとはしない。何度も何度も何度も何度も、馬鹿の一つ覚えのように脇差を叩きつける。すると、怪獣も何かの異常を感じたらしく、竜弥に向かって多脚を伸ばすのを止めたのだ。
「葵さん、今一度、俺に力を貸してくれ! あなたの娘さんは、俺が命に代えても守ってやる! だから、俺に力を!」
その叫びは、竜弥本人にしか届いていない。だが、彼には確かに見えた。聞こえた。感じた。
――楓をよろしくお願いします――
次の瞬間、半分以上が欠けていた脇差の損壊部分が、ぎらり、と光を帯びた。
同時に、竜弥の胸中は急に穏やかなものになった。根拠のない、しかし確かな自信が湧いてくる。
その瞬間、竜弥には最早、脇差を叩きつける必要すらなくなっていた。
さっと空を斬ると、まるで長剣を振るったかのような斬撃が発生し、あっさりと怪獣の脚部関節を斬り払ったのだ。
グォン、と、今までにない苦し気な声を発する怪獣。同時に、斬り捌いた足の方へと円盤部分が傾いた。竜弥の手中では、ようやく役目を終えたかのように、脇差が光の粉となって消えてゆく。
「うおっ!」
脇差がなければ、驚異的な身体能力を発揮することはできない。このままでは、地面に叩きつけられてしまう。
竜弥はぐっと目を閉じた。
せっかく実来を助けられると思ったのに、これでは自分が死んでしまう。
しかし、背中に走るであろう衝撃は、いつまで経っても訪れなかった。
「あ、あれ?」
身を起こす竜弥。そして、全身が淡い光に包まれているのを察した。
これは、きっと魔術だ。そんな不思議な感覚がある。それができるのは楓だけだが、本人は苦手だと言っていたのではなかったか。いや、考えるのは後だ。
「竜弥、今だ! 実来を助けてくれ!」
はっとして光から飛び出すと、しっかりと足が地面に着いた。眼前には、重心が狂って倒れ込んだ怪獣の円盤部分。
竜弥は残った刀で僅かな多脚を斬り捨て、怪獣の脚部の付け根にある繭状の物体に近づいた。慎重に切れ目を入れ、開放する。そこには、
「実来!」
目を閉じ、胎児のように丸まった格好の実来がいた。気を失っている。
「実来、実来! 今助けてやるぞ!」
竜弥は実来の身体を引っ張り起こし、背中に負ぶった。片手で実来の腰を押さえ、もう片方の手で刀を一本握りしめる。そのまま、楓のいるビル陰へと進み入った。
「竜弥、大丈夫か!」
「それより実来を診てやってくれ。お前、少しは魔術が使えるんだろう?」
「そ、それは少しは……」
「起こさなくてもいいから、身体に異常がないか診てやってくれないか」
「竜弥、お前はどうする?」
すると竜弥は親指を立て、背後を指した。
「あいつに止めを刺さなきゃならねえだろう」
「し、しかし、今の私では奥義を使えない……」
「お前だけに任せたりはしない」
「えっ?」
すると突然、竜弥は楓の髪をくしゃくしゃっ、と撫でた。身長差はほとんどないのに、奇妙な光景である。
そんなことをしながらも、竜弥ははっきりこう言った。
「俺が奥義の発動を手伝う。二人で一人分の力なら使えるだろう?」
ぱっちりと見開かれる、楓の瞳。しかし、それはすぐに曇ってしまった。
「やはり無理だ、竜弥。脇差を失ったお前にできることは――」
「あるさ」
竜弥はじっと、熱のある視線で楓を見遣った。
「俺は実来を助ける時に、怪獣の円盤の裏側を見たんだ。上側と違って、裏になってる下側の装甲は薄い。俺が援護するから、楓、お前が奥義を決めてくれ」
『無理はしなくていい』と付け足され、楓は黙り込んでしまう。それではまるで、自分の鍛練の成果が軽視されているようではないか?
「お前に言われなくとも、私は私で最善を尽くす。だが、もう一本の刀は?」
その問いに、竜弥は怪獣の方を振り返った。切断された多脚に混じって、紅色の輝きが見える。竜弥が怪獣の火炎放射を阻んだ刀だ。その程度で刃こぼれするほど、柔な作りはしていない。
「俺がこの刀と、向こうに転がってる刀を回収する。楓、ついて来てくれ。そうすればすぐに、お前に刀を二本とも渡せる」
「分かった」
作戦は分かったものの、それは安易なものでない。それは、作戦を提案・同意した竜弥と楓が一番よく知っている。
それでも、この場で怪獣を倒さなければ。そうでないと、次にどんな防御策を取ってくるか、分かったものではない。
「走れるな、楓?」
「何とかする!」
「よし……行くぞ!」
竜弥が先導する形で、二人はビル陰から飛び出した。
円盤に接近すると、未だにしつこく多脚が追いすがってくる。竜弥は回転斬りのようなフォームで、これらを斬り捨てていく。
東間に習った『へその下に力を込める』ことを実践し、安定した斬撃を放っていた。楓も目を瞠るほどだ。
「これだ、見つけたぞ!」
一旦しゃがみ込んだ竜弥が、勢いよく二本目の刀を取り上げる。それに無言で応じた楓は、ぐっと竜弥の手から刀をもぎ取り、そのままの勢いで怪獣の円盤裏側へ突進した。
「魔晴剣術奥義――」
ぐっと息を飲む。
「烈火凛斬‼」
刀が紅色の光を放ち、目にも留まらぬ速さで縦横無尽に斬撃を繰り出す。
竜弥にはそれが、古代日本から伝わる伝統的な演舞のように見えた。
楓が両刀を鞘に収めた時、怪獣の円盤裏側全体に斬れ目が走った。実際には斬れていないはずの部分に至るまで、一瞬で。
全力を使い果たした楓が尻餅を着くと同時、怪獣はギギギギッ、という、今までにない奇声を上げて、細切れになった。それが断末魔の叫びだったのか。
同時に斬れ目から紅色の炎が噴き出し、怪獣は呆気なく、原型を留めないほどに崩れ去った。
※
「やった……。やったぞ、楓!」
観測されていた円盤多脚怪獣は三体のみ。つまり、今倒した個体で最後だ。
そして何より、実来を助け出すことができた。竜弥の思考に影を落とすものは、何一つなかった。
楓が振り返り様に、こちらを斬りつけてくるまでは。
「どわあぁあっ!」
「油断するな、竜弥!」
振り返ると、人間大の怪獣が吹っ飛ばされるところだった。斬撃による気圧差による現象だろう。
見回してみれば、数こそ少ないものの、二メートルほどの怪獣があちこちから湧き出してきていた。悪あがきといったところか。
「楓、実来を守るぞ!」
「端からそのつもりだ!」
それからは、しばらく楓の独壇場となった。敵の中に強い個体がいなかったし、武器を持っているのが楓だけだったのだ。重傷を負いながらも、なんとか身体を動かす楓。
竜弥は未だ気を失ったままの実来のそばに屈みこみ、周囲を警戒している。
その時、竜弥の視界に、高速でこちらに向かってくる物体が目に入った。驚きと喜びで、竜弥は腰を上げた。
「楓! ハンヴィーだ! 味方が――」
『味方が来たぞ』と言いかけた彼の肩から鮮血が散ったのは、まさにその次の瞬間だった。
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