第32話【第六章】

【第六章】


《この近辺は、怪獣出現に伴い戦場と化す恐れがあります。残っている民間人の方は、警察、自衛隊の指示に従い、速やかに避難してください。繰り返します――》


 そんな警報が、街中に響いている。

 馬鹿でかいメガフォンを積んだパトカーや自衛隊の軽車両が、眼下を走り回っている。

 日はとうに山の向こうに沈み、その先、星々に支配された西の空を、國守楓は眺めていた。


《なお、自衛隊の行動補助のため、照明は点けたままの避難をお願いします――》


 ここが再開発地区であり、工事中のビルが多かったのは幸いだった。そうでなければ、警報が反響してとても耳を澄ませてはいられなかったはずだ。


 そもそも、未だにこの街に残っている民間人は、少なくとも楓は目にしなかった。

 いや、自分と竜弥は民間人扱いなのだろうか。まあいい。いずれにせよ、戦うことに変わりはないのだ。


《竜弥くん、楓さん、聞こえるか?》

《はい、大丈夫です、西野さん》

「こちらもだ。問題ない」


 ヘッドセットから聞こえる西野の声に、素早く応じる。


《何とか地中探知用の、特殊警戒ヘリが手配できた。現在の速度からして、怪獣はあと三百秒で現出する。竜弥くん、地上部隊の援護を頼むぞ》

《了解です!》

《楓さん、我々が地雷を使って怪獣に隙を作る。東間の分まで、思いっきりやってくれ!》

「承知している」


 びゅわっ、と夏らしからぬ涼しい風が、楓の頬を撫でていく。

 楓が立っているのは、高さ百二十メートルに及ぶ四十階建ての高層ビルの屋上だ。鉄骨が組まれただけだったので、ヘリで降下してここにいる。


「竜弥、緊張しているか?」

《ああ、まあな。俺だって、実来を助けなきゃならないって義務感があるからな》

「ふっ、ははっ」

《なっ! 人が決意表明してるのに、何で笑うんだよ!》

「いや、すまない。てっきり恐れをなしてしまったのではないかと思ってな。緊張している理由が、実来のことを想ってのことなら、許してやってもいいぞ」

《どうして上から目線なのかなあ、お前は!》


 楓は通信を止めて、怪獣が出現するであろう眼前の大通りに目を遣った。まさにその時。


「ん?」


 手先に違和感を覚えた。無意識のうちに、刀の鍔に指を掛け、すぐさま抜刀できるように姿勢を取っていたのだ。

 正直、無意識の範囲で動く手先の方が、意識上で殺気を感じ取るより早い。

 何かが、来る。


《総員、至急迎撃用意! 目標、急速浮上中!》


 今度は地震は起きなかった。そして、三百秒も経っていなかった。

 次の瞬間、楓たちの目に飛び込んできたのは、まるで火山噴火のような現象だった。


 地面が盛り上がり、どろどろとした真っ赤な液体が零れ落ちる。この異臭からすると、アスファルトが溶けだしたものらしい。

 同時に、ヴォン、という怪獣の唸り声がする。それよりも驚くべきは、凄まじい熱気だ。


「まさか……!」


 楓は察した。怪獣は、自分が現出する時刻を狂わせるため、単に地中を潜行するだけでは不足だと考えた。そこで、熱線に使っている熱の力を応用したのだ。頭頂部を超高温に保ち、地面を融解させながら進んだ。

 この事態は、夢の中で出会った葵も、予想し得ないことだったのだろう。


《目標現出! 繰り返す、目標現出! 総員、直ちに戦闘用意!》

《地雷は起爆できるな?》

《敷設班、即座に退避せよ!》


 混乱に陥る通信の中から、楓は西野の声を拾い上げる。


《楓さん、無事か!》

「それよりそちらは?」

《目標現出が早まったせいで、地雷の起爆がいつになるか分からない! 取り敢えずその場で伏せて――》


 西野が言いかけた直後、耳を聾する爆音が響き渡った。地雷が起爆されたのだ。

 その程度の轟音であれば、この時代に来てから何度も見舞われている。


 楓は立ち上がり、ビルの淵へと向かった。見下ろすと、真っ赤に輝く怪獣頭部の円盤が、ゆっくりと傾いでくるところだった。作戦通りであれば、今が斬りつけるべきタイミングである。

 楓は抜刀し、多少の火傷を覚悟で飛び降りようと試みた。しかしその直前、


「うっ!」


 視界が真っ白な何かで埋め尽くされた。慌ててバックステップする。

 その白いものは、煙とも霧とも水分ともつかない、謎のもやもやとしたものだった。


 腕で目を庇いつつ、何事かと事態を見守る。しかしその直後、ごとん、と足元が揺らいだ。

 怪獣が立ち上がりざまに、このビルに突っかかったのだ。間違いなく、このビルは倒壊する。


 それを察した楓は、覚悟を決めた。斜めになった屋上を駆け下りるようにして宙を舞う。


「魔晴剣術奥義――仁刀輝斬‼」


 思いっきり両腕を振り上げ、そして振り下ろすだけの単純極まりない技。

 しかしそこには、厳しい鍛練に裏打ちされた精確な斬り筋がある。


 二本の刀が怪獣の円盤を捉えかけた、その時だった。


「ッ!」


 白い靄の向こうで、怪獣の姿が揺らいだ。いや、楓が見誤っていたのか。

 先ほどの熱波からは想像できない、冷気となっている靄。地中進行中、あれほどの熱波を纏っているのは怪獣にとっても負担だったのだろう。

 だが、その冷却に使う靄が目くらましの役割を果たすとは。楓はろくな攻撃を当てることもできず、そのまま落下した。


「頼むぞ、竜弥……!」


 すると、真下から跳び上がってくる何者かの姿が、靄の向こうから上ってきた。




「無事か、楓!」

「お前こそ!」


 竜弥だった。

 彼は脇差の力で得た驚異的な脚力を以てして、楓を空中で抱き留めたのだ。お姫様抱っこである。

 普段の竜弥なら、こんな大胆な行動は取れなかっただろう。だが、今は違う。楓と実来、二人の命が懸かっているのだ。


 竜弥は片膝を折り、楓を捧げ持つような姿勢で地面に降り立った。アスファルトに亀裂が入り、地面と空気が共に振動する。


「どうだ楓、手応えは?」

「不覚を取った。あの白い靄のせいで、狙いを誤ってしまった」

「分かった。プランBだな」

「了解した」


 竜弥は西野に作戦変更を告げた。

 最初の作戦は、地雷で躓いた怪獣を、頭上から楓がぶった斬るというもの。

 もう一つは、怪獣の足元で竜弥が跳躍し、脚部の付け根を楓に斬り落とさせるというもの。


 後者の作戦に向け、竜弥は怪獣の足元向かって駆け出している。


「な、なあ、竜弥」

「何だ!」

「い、いや、気にするな!」


 竜弥に余裕があれば、首を捻っているところだ。楓が何を言おうとしたのか。

 楓は正直、恥ずかしかった。武人である自分が、民間人であるところの竜弥に抱き留められて運ばれているというのが。


 だが、周囲に人の目はなかったし、そもそも優先すべきは、自分の誇りよりも実来の命だ。

 その優先順位を取り違えるほど、楓は幼稚ではなかった。


「西野さん、一旦攻撃を中止してください! プランBに移ります!」

《了解、後は君の脚力にかかっている! 頑張ってくれ!》

「はい!」


 しかし、怪獣もただやられるのを座して見ているわけではなかった。

 多脚を引っ込め、こちらにその先端を向けている。


「何をする気だ?」


 答えは砲声と共に訪れた。戦車の砲撃を経験した怪獣が、多脚の先端から砲弾を放ったのだ。

 正確には、放たれたのは砲弾ではない。どちらかと言えば、火炎放射に近い。そこから超高温の熱が急激に発せられ、砲声のような音がしたのだ。


「楓!」

「応!」


 楓は竜弥の腕の中から飛び出し、バツ印を描くように両刀を交差させた。


「はっ!」


 それが振り払われた直後、火炎は上下左右に薙ぎ払われ、多脚もまた斬り捨てられた。


「竜弥、頼む!」


 火炎放射の第二波が来る前に、竜弥は跳ぼうとした。楓に怪獣の足の根元を斬らせれば、怪獣を転倒させられる。そして実来を救出できる。

 しかし、楓が急に首に力を込めてきた。


「チッ!」


 楓の身に、何か異常があったのだ。

 竜弥は身体を捻るようにして跳躍し、火炎を回避した。一瞬でも判断が遅ければ、竜弥も楓も消し炭になっていただろう。

 竜弥は楓を抱えたまま、起伏のできたアスファルトを蹴ってビルの陰へと避難した。


「どうした、楓!」

「すまない、傷口が……」


 この期に及んで、ようやく竜弥は気づいた。楓が脇腹に受けた傷が、開いてしまっていることに。つつっ、と鮮血が竜弥の腕を伝う。こんな状態で、楓が奥義に類する技を繰り出すのは無理だろう。


 怪獣は既に体勢を戻しつつある。時間がない。


「楓、借りるぞ」

「たつ……や……?」

「お前の次に、この刀に適性があるのは俺だ。俺が、あのデカブツの足を斬ってやる」

「待て、竜弥! それには修練が必要……ぐっ!」

「俺もそう思うがな、楓。それよりも必要なのは、病気や怪我を喰らっていない、健康な身体だと思うぞ」

「待ってくれ、たつ――」


 楓が彼の名を言い切る前に、竜弥は怪獣へ向け、二本の刀を手に駆け出していた。

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