第29話
「ぬうっ!」
東間は無理やり、自分の首に提げられた認識票をむしり取った。
「お、おい東間! 無茶をしては――」
「これを、西野に渡せ!」
唇の端から血を滴らせる東間。咳き込んだのに合わせて、割れたハンヴィーのフロントガラスに鮮血が飛び散る。
「それと、これを」
東間は迷彩服の胸ポケットから封筒を取り出した。まるで負傷などしていないかのような、滑らかな動作だ。
「これも西野に。宛先は妻だ。よろしく頼む」
「お、おい、これってまさか遺書じゃないでしょうね、東間さん⁉」
「察しがいいな、竜弥。流石、神山隊長のご子息だ」
「あんな男のことはどうでもいい! 必ず助けます! 無線機の使い方を教えて――」
「とっくに壊れている」
そう言って、東間は力なく口角を上げた。
「東間さん! 気をしっかりもってください! 増援は来るんでしょう? それまで頑張ってください!」
「……そうもいかんようだな」
竜弥の顔から血が引いていく。
一方、楓は自分の腰を押さえながら、奇妙な感覚に陥っていた。
楓は、東間鉄也というこの男こそ、現代に生きる武人だと思っていた。その考えに変わりはない。
ただ、いささか意外ではあった。自分の生きていた時代から約百年。それでも、武人は常に家族を想いながら戦っていたのだ。
楓はそっと竜弥の肩に手を載せた。
「東間さん! 死んじゃ駄目だ! あなたには家族が――」
「止めろ、竜弥」
「何だよ楓! 離せよ! どうにか東間さんを助けて――」
その往生際の悪さに、竜弥の肩を握る手に力が入った。そして、叫んだ。
「止めろと言ったんだ!」
はっとした様子で、竜弥は振り返った。
いつしか東間の荒い呼吸音は消え去り、ぽたり、ぽたりと血の滴る音だけが車内に響いていた。
「う、うあ、うわああああああ!」
竜弥の慟哭。それが響く頃になって、ようやく楓の耳には、増援のヘリが巻き起こす飛行音が届いた。
※
竜弥と楓、それに東間が収容され、駐屯地に戻ってから一時間ほど。
竜弥はまさに、絶望の淵に立たされていた。
自分たちを独断専行で助けに来てくれた東間が命を落とした。そして、あのバンカーバスターによる攻撃で、実来も死んでしまったに違いない。
自分が何故生きているのか。これからどうやって生きていけばいいのか。
竜弥の視界は真っ暗だった。気づいた時には、遺体安置所の前のソファに腰を下ろしていた。
右隣では、楓が沈鬱な表情で立ったまま自分の目元を覆っている。
左隣には、意外な人物が座っていた。神山竜蔵である。背筋を伸ばし、座したまま胡乱な視線をあちこちに遣っている。
そして三人の前では、西野が落ち着きなく右往左往していた。
薬品臭い。ソファが固い。何より肌寒い。
そんな様々な感覚が、現れては消えていく。自分で自分が何を考えているのか、竜弥には判然としなかった。
ただ一つ言えることは、自分がこの世で独りぼっちになってしまったということだ。
実来がいてくれれば。実来を見守っていられたら。実来の身代わりになることができたら。
そんな考えが、頭の中で煌めいては消滅し、輝いては闇に呑まれていった。
「畜生!」
唐突に叫び声を上げたのは、西野だった。その顔には、悲しみよりも怒りが強く滲んでいる。
足を止めた西野はこちらに背を向け、思いっきり足を引いて――しかし、蹴りを繰り出す直前になって止めた。
殉職者の眠る遺体安置所の壁に蹴りなど加えたら、間違いなく罰が当たる。
すると、これまた唐突に西野はしゃがみ込んだ。体育座りのような体勢で、弱々しく『畜生』と繰り返す。
「あなたのせいではない、西野」
楓がそっと壁から離れ、西野のそばに自らもしゃがみ込んだ。
「私はあなたより年下だが、修練や怪獣との戦いの中で、命を落とす人々をたくさん見てきた。誰一人、無駄死にした者などいない。全員が、それぞれの為すべきことを為して、そして天に召された。だから――」
「だから何だってんだよ!」
がばりと顔を上げる西野。この突然の怒声には、流石に竜弥も驚いた。
「そんなもんはただの、一時の慰めだ! 薄っぺらい言葉に過ぎないんだよ! 残された遺族は、家族の不在っていう遺品を抱えて生きていくんだ! その辛さが君に分かるのか、楓さん! 根っからの武人を名乗る君には理解不能だろうな!」
その時、初めて竜弥は西野の過去を聞いた。西野と同じく自衛隊員だった父親は、災害派遣で豪雨地帯に出動した際、殉職したのだという。
そういう過去があればこそ、西野もまた、自衛隊員としての道を選んだ。そしてそれは、自分の父親のような殉職者を出さないため――仲間を守るためだった。
それを成し遂げられなかった無念。後悔。痛ましさ。彼の心理的打撃たるや、竜弥に推し測ることはできなかった。
しかし、と竜弥は考える。僅かに左側に顔を向け、そこに座す人物に問うた。
「あんたは平気なのか、親父」
この場の空気が、ぐっと冷え込んだ。それを感じていないのは、竜弥と竜蔵の二人である。
「自分の部下がこんな死に方をして、何とも思わないのか」
その言葉に、竜蔵は淡々と答え始めた。
「ある殉職者がいたとして、彼が犠牲にならなければ、十人、二十人、いや、百人の隊員が危険に晒され、命を落としたかもしれない」
「それは『もしも』の話だろう」
「その『もしも』が発生するのが現場というものだ」
違和感がある。自衛隊の派遣先は、常に安全が確保された場所だと報道されてきた。
竜弥はそれを述べた上で、『違うのか?』と再度尋ねた。
「この世に完全なる安全、などというものはない。それを保証してくれる人間もいなければ場所もない。誰がどこで絶命するとも限らない。そうとでも思わなければ、お前の母親や弟が亡くなったことを受け止めることはできなかっただろう。夫として、父親として」
「今更そんな綺麗事を並べて、俺が納得するとでも思っているのか?」
「まさかな」
「あっそう」
竜弥に僅かばかり残った知性には、恐怖心があった。竜蔵に八つ当たりして、暴力行為に出るのではないか、という不安だ。
しかし、蓋を開けてみれば、それは杞憂だった。今の竜弥から見て、竜蔵は殴るにも蹴るにも値しない存在だった。
竜弥は座ったまま両手をポケットに突っ込み、冷たいため息をついた。
西野の携帯端末に通信が入ったのは、まさにその時だった。
※
竜蔵と西野に続き、竜弥と楓は地下の作戦司令部に入った。
広くて暗い部屋だ。しかし、視界が利かないわけではない。あちらこちらに配されたコンピュータ、通信機器、ディスプレイなどが無機質な光を投げかけている。
「西野さん、俺たちまでついてきてよかったんですか」
「普段なら絶対立ち入り禁止なんだが、君たちは特別だ。東間の最期を看取ってくれたからね。東間の仇は、必ず討ってみせる。二人共、そう思ってはいないか?」
その言葉に、竜弥の胸に小さな火が灯った。
そうだ。自分と楓は、東間に命を救われたのだ。楓の怪我の具合はよく分からないが、少なくとも自分は戦える。
だったら、でき得る限り多くの情報を仕入れておくべきだ。
「西野、プロジェクターを用意してくれ。会議室まで行く暇が惜しい」
「了解です、神山隊長」
それから間もなく膜が下ろされ、映像が展開された。西野に代わって、別な通信員が司会を務める。
《これは、バンカーバスター発射三百秒前からの映像です。人工衛星から撮影したので画素が粗いですが、説明には支障ありません》
映像は、地上を真上から捉えたものだ。フルカラーである。
どこかで見たことがあるな、と思う竜弥。それもそうだ。映されているのは、怪獣との戦闘を行ったグラウンドなのだから。
現在の映像では、自分と楓が、人間大の怪獣の相手をしていた。やがて、一方方向からの攻撃で、怪獣は殲滅させられた。東間による狙撃だろう。
それからは見るまでもない。地面が盛り上がり、円盤多脚怪獣が現れたのだ。画面の端に自分と楓の姿が消えたのを見届けてから、竜弥は唾を飲んで怪獣の様子を見つめた。
まさに、次の瞬間。優に音速を越える速度で飛来したバンカーバスターは、凄まじい勢いで爆風を押し広げ、怪獣の円盤部分の半分を一瞬で消し飛ばした。
機関砲や戦車砲でも太刀打ちできなかった円盤部の装甲を、である。
しかし、映像には続きがある。再び地面が盛り上がり、残る最後の円盤多脚怪獣が出現したのだ。
しかし、円盤部分を覗かせただけで、暴れ回る気配はない。
そのまま見ていると、新たな怪獣は損壊した怪獣の死骸をずるずると地面に引き摺り込んだ。
これは、どういう意味だ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます