第28話

 一体どこから狙撃しているのか、それは分からない。だがとにかく、人間大の怪獣が、東間の攻撃であっという間に一掃されたのは事実だ。


 周囲に青黒い液体がぶち撒かれている中で、楓と竜弥はゆっくりと顔を上げた。強烈な腐臭が鼻を突き、あちらこちらに甲殻部位の残骸が広がっているのが見える。


 すると、竜弥の方から東間の声が聞こえた。今更ながら、楓はそれがスマホという携帯端末から聞こえてきているのだと把握した。


《こちら東間、周囲の敵性勢力を排除。まだ来るぞ、大物が。三十秒以内にそこから離脱しろ。グラウンドの端に向かって走れ》


 その言葉が終わるまでに、既に地震は始まっていた。上下左右、滅茶苦茶に足元を揺さぶられる。


「楓、急げ! 円盤野郎はこの真下だ!」

「了解!」


 唐突に盛り上がってきた地面に足を取られ、転がり落ちるように移動する竜弥。楓はその先に危険がないことを確認してから、自らもわざと転倒し、受け身を取ってダメージを打ち消す。


《目標現出。身を隠せ、二人共》

「楓、こっちだ!」

「分かっている!」


 この公園の地図は頭に入っている。どこが安全かは分かっているつもりだ。

 竜弥の後を追って、テニスコートへと走り込む。


《西野から連絡。そいつの多脚の付け根から、強力な電波が発せられている。実来はそこに閉じ込められている模様。また、バンカーバスターを搭載した爆撃機が、既に発進準備に入っている。攻撃が始まる前に離脱しなければ、お前たちも実来も、私も命はない》

「なっ! まだ人質がいるんですよ!」

《それでもだ。もう知っているんだろう、竜弥? 今回の作戦に、神山実来の救出任務は含まれていない》

「……ぐっ」

《だからこうして、私はここにいる》

「えっ?」


 言葉をなくした竜弥に代わり、楓がスマホに向かって声を上げた。


「どういう意味だ、東間?」

《ギリギリまで援護する。私も家族持ちだからな、お前たちの家族に対する思いは分かっているつもりだ》


 その言葉が終わった直後、雨のように土くれが降り注いだ。ヴォン、という聞き慣れた、しかし不気味な唸りが空気を震わせる。


「いいんだな、楓? こんな近くで?」

「ああ! 奴が立ち上がった瞬間、機会は一度きりだ!」

《待て、二人共。こちらの方が怪獣の姿を視認しやすい。奴がしっかり足を地面に着けるまで、待機しろ》


 脇差を握りしめる竜弥。

 二本の刀を共に抜刀する楓。


 再びヴォン、という音が響いた、その直後だった。


《今だ》


 東間の落ち着いた、しかし鋭い声が、二人の鼓膜を震わせた。

 背中をつけていた仕切りのコンクリート壁から飛び出して、楓は一直線に怪獣の足元に接近した。


「実来を返してもらうぞ、化け物!」


 スバァン、といって、勢いよく怪獣の脚部が千切れ跳んだ。


「はあああああああっ!」


 凄まじい速度で、怪獣はその脚部を失っていく。断面からは、他の怪獣と同じ青黒い液体が飛散し、斬り飛ばされた脚部はしばしのたうち回ってから、ぴたりと動かなくなった。


 やがて、一際光沢を放つ部位が現れた。怪獣の体重を支える脚部の片方だ。

 これを斬れば、怪獣を転倒させることができる。


 楓は一際重心を落とし、しかし脱力しながら、刀を袈裟懸けに振り下ろした。


「はあっ!」


 しかし響いたのは、脚部が斬り裂かれる音ではない。硬質なもの同士がぶつかり合う、甲高い音だ。


「むっ⁉」


 本気の一撃だったため、楓の反応が遅れる。次の瞬間には、楓の身体は宙を舞っていた。怪獣に蹴り飛ばされた、と自覚する頃には、彼女の身体は勢いよく地面に叩きつけられていた。

 怪獣は、軽く足を払うようにして楓を突き飛ばしたのだ。


 辛うじて横転を繰り返し、衝撃を相殺する楓。しかし、その脳内ではいつもの冷静さが揺らいでいた。

 まさか、魔晴剣が通用しないとは。


「おい、大丈夫か、楓!」


 竜弥が駆け寄ってくる。幸い、円盤の大きさからしてここは死角だ。近すぎて熱線で狙われる心配はない。


《竜弥、状況を報告しろ》

「東間さん、刀が……魔晴剣が効きません!」

《なるほど、分かった。二人は撤退しろ》

「そんなっ!」


 楓に肩を貸しながら、竜弥が絶叫する。怪獣の唸り声に負けないように。


《私が奴の気を惹くから、その間に距離を取れ。今倒せないものは、もうバンカーバスターに頼るしかない》

「で、でも実来が!」

《実来だけが命を落とすか、お前と楓まで巻き添えを喰うか、どっちがいいか選べ》

「あ、あんた……よくもそんな残酷なことを!」

《だがそれが現実だ。私と西野で、爆撃までの時間は遅らせる。お前たちはできるだけ距離を取れ。以上》

「ちょっ、東間さん? 東間さん!」


 竜弥が耳からスマホを離し、画面に見入る。


「くそっ!」


 そのまま勢い任せにスマホを放り投げ、竜弥は楓を抱える半身に力を込めた。


「どうした? 何があったんだ、竜弥?」


 竜弥はギリッ、と歯を鳴らした。今この場で、事実を説明できるほど落ち着いてはいられなかった。


「あとは東間さんに任せろ。行くぞ!」

「待て! まだ私は戦え――ぐっ!」

「おっと!」


 唐突に体勢を崩す楓。竜弥が何とか抱えると、僅かにぬるり、と嫌な感触が掌に走った。


「楓、お前怪我を?」

「このくらい、掠り傷だ……」

「馬鹿言え! だからって戦わせられるか!」


 と言いつつも、今戦わねば実来が死ぬのは明らかだ。土埃が濛々と立ち昇る方を、竜弥は振り返った。

 怪獣も、再度立ち上がって姿勢を正そうとしている。今は逃げるしかない。


「とにかく今は、ここから離れるぞ! 戦えるって言うなら、今は逃げる方に体力を回せ!」

「待ってくれ、竜弥! 実来、実来が!」


 ジェット戦闘機の爆音が聞こえてきたのは、その直後のことだ。

 竜弥は咄嗟に遮蔽物を探したが、ここは公園のど真ん中だ。爆風に耐えうる遮蔽物など、あるはずが――。


 絶望的な思いに駆られた直後、横合いから何かが滑り込んできた。ハンヴィーだ。


「乗れ! 二人共!」

「あ、東間さん!」


 狙撃ポイントから、竜弥たちを回収しに来てくれたのだ。


「爆撃開始まで、あと三十秒を切った! 全速力で離脱する! 楓は大丈夫か?」

「支障ない!」

「よし!」


 ドアを閉めると同時に、ハンヴィーは急速発進した。


《東間! 東間、聞いてくれ!》

「どうした、西野」


 勢いよく車体を揺さぶりながら、東間が無線に答える。


《バンカーバスターが発射された!》

「何だと? 目標上空到達まで、あと百二十秒はあると――」

《違うんだ東間! 今回のバンカーバスターは新型だ、戦闘機から既に発射されている! 投下するのではなく、横合いから怪獣の本体を貫通するつもりなんだ!》


 東間は珍しく、大きく舌打ちをした。


「着弾までの残り時間は?」

《えっ? ああ、あと……二十秒もない! とにかく全速力で逃げろ! 爆風の規模設定が分かっていないから――》


 しかし、東間はそんなことを聞いてはいなかった。

 あと二十秒で、どこまで逃げられるか。考えていたのはそれだけだ。


「竜弥、楓、耐ショック姿勢! 爆風に備えろ!」

「は、はい!」


 自分の頭を膝の間に挟み、後頭部に手を載せる。そうやっていた竜弥を見て、楓も真似をした。


《着弾まで、五、四、三、二、一!》

「……」


 あれっ、と竜弥と楓は思った。爆光も爆風もない。どうしたことか。

 理由は単純。怪獣の円盤部分を貫通するのに時間がかかり、それだけ爆発するのが遅れたのだ。


 そう察する間に、ハンヴィーは宙を舞っていた。


「うおっ!」

「ぐあっ!」


 突然の浮遊感に、我を忘れる二人。浮遊感はいつしか横転する形となり、車体は運転席のある右側から地面に叩きつけられた。


「くっ……」


 数秒後か、数十秒後か。

 楓が気づいた時、口内は鉄臭さでいっぱいだった。横転した車内では、竜弥が楓を庇うように覆い被さっている。


「いってぇ……。だ、大丈夫か、楓?」

「取り敢えず、負傷はしていない」

「そうか。東間さん、駐屯地へ戻りましょう! 怪獣の死骸なら、上空からいくらでも観察できます。俺たちは非難を――」

「どうやらそうはいかんようだ。すまない」

「えっ?」


 疑問の声を上げたのは竜弥だが、楓も同じ違和感を覚えていた。

 あの東間が、自ら謝罪をするほどのミスを犯したのか?


「東間さん、どうして――ひっ!」


 前方の座席に身を乗り出した竜弥は、すぐさま引っ込んだ。


「おい、何をやってるんだ竜弥!」


 楓も運転席を覗き込む。そして、はっと目を見開いた。

 ハンヴィーのフロントガラスを貫通したアスファルト片が、東間の腹部を貫通していたのだ。


「東間、おい東間! しっかりしろ! 竜弥、味方に連絡を!」

「無理だ! さっきスマホは投げ捨てちまった!」

「何のための通信機器なんだ? こうなったら、狼煙でも上げて――」


 その言葉を途切れさせたのは、当の東間だった。

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