第26話


         ※


 駐屯地で一晩休み、東間の運転で自宅に戻ってから、早速竜弥は街へ繰り出すことにした。

 言うまでもなく、体術会得の訓練を楓に施してもらうためである。


 駐屯地は、剣道場や柔道場までもが負傷者の治療にあてられていたため、とても訓練できる環境にない。また、交通網が生きている範囲で、できるだけ駐屯地から離れたところにいた方がいい。

 だったら街にある公園などを使って訓練できれば、というのが竜弥の考えだったのだ。しかし。


 バスで田園地帯を抜け、街に入った瞬間、竜弥はぞっとした。


「誰もいないな……」

「それはそうだろう」


 竜弥のそばに座った楓が、外を見ながらそう告げる。


「怪獣があんな大暴れをしたんだ。無理もない。インターネット、というのか? あの通信欄には、『自衛隊では敵わない』などと極論を述べる学者までいるそうじゃないか。皆逃げ出してしまったんだろう」


 真夏の市街地とは思えない、冷たい風が枯れ葉を載せて吹き散らされていく。

 そして竜弥は、バスの運転手に聞かされた。


「悪いな、あんちゃん。私らのような、公共交通機関に携わる人間にも、避難指示が出ているんだ。さっきも言ったが、こいつが最終便になる」

「あ、ありがとうございます」

「かたじけない」


 楓の格式ばった礼に不思議そうな顔をしつつ、運転手はバスを発進させた。田園地帯に帰る便には、一人も乗客がいなかった。


「取り敢えず、中央公園に向かおう。これだけひとけがなければ、邪魔されずに済むだろうし」

「分かった」


 楓の先導を始めた竜弥は、しかしすぐに足を止めてしまった。


「どうした、たつ……ああ」


 楓も、竜弥の視線を追って納得した。

 広い道路に、穴が空いている。実来が拉致された際、円盤多脚怪獣が出てきた穴だ。周囲には立ち入り禁止の看板とテープが配され、数少ない民間人が、自衛隊員に逃げるよう促されていた。


 竜弥は、悪態をつきそうになるのをぐっと堪えた。

 今暴言や泣き言を並べていても仕方がない。そんなもの、実来を救出してからいくらでも吐ける。


「行こうぜ、楓」


 そう言って視線を逸らし、竜弥は公園へと向かった。


         ※


 案の定、公園には誰もいなかった。サッカー用のグラウンドを無料かつ無断で占有し、中央で楓と相対する。


 武器は、竜弥が脇差、楓が木刀二本。ちなみに脇差は、きちんと鞘に入れた状態で使うことにした。抜き身で扱うよりやや重いが、それも訓練の一環になる。


「私はこの木刀を、怪獣の鋏のように動かす。お前は出来る限り回避して、できる限り攻撃しろ」


 何だか無茶苦茶言われてるような、などと言っている場合でもない。竜弥はじっと目を閉じ、この世界、時空を超えた領域にいるであろう國守葵との連携を試みた。


 その数秒後、ばこん、と間抜けな音がして、竜弥は尻餅を着いた。


「楓! お、お前、何するんだよ!」

「怪獣は待ってはくれないぞ、竜弥。これでも、私とて五秒は待ったのだがな」


 いかに早く脇差の力を引き出せるか、それが問題である。

 竜弥は立ち上がり、楓に頷いてみせた。次は楓からだ。わざとゆっくりと、しかし明確な敵意を持って、楓が竜弥に木刀を振るう。

 どうにかなれ、と竜弥が胸中で叫んだ、次の瞬間だった。脇差が、鞘ごと薄青色に輝きだした。


「ふっ!」


 楓が勢いよく木刀を突き出す。しかしその先に、竜弥の姿はない。


「上か!」


 即座に竜弥の気配を察した楓は、両腕を上げてバツ印を作り、頭部を守った。


 次の瞬間、ガキィン! といい音がして、跳躍から落下速度を得た脇差が降ってきた。もちろん、竜弥が握っている。


「はっ!」


 これを、楓は力任せに押し返した。


「うおっ!」


 着地しながらも、大きくバランスを崩す竜弥。楓は今度こそ、無言で木刀を突き出した。

 だが、またしても竜弥はこれを回避。わざと横に転がったのだ。それからさっと立ち上がり、バックステップで距離を取る。


「随分扱い慣れたように見えるが……。竜弥、どうなんだ?」


 楓からの、称賛とも取れる言葉。しかしそれを受けながらも、竜弥の表情は優れない。


「俺の力じゃない。お前のお母さん……葵さんがこの脇差を操作しているんだ。でも、これじゃあ遅い。斬りかかるまでは、もっと自分で動けるようにしておかないと」

「そうか。では、もう一度」


 こうして、竜弥と楓は打ち合いを続行した。楓の木刀がばきり、と折れてしまうまで。


         ※


 その頃、駐屯地の第一大会議室では、作戦会議が催されていた。

 真っ暗な部屋の中で、プロジェクターがスクリーン上で映像を展開している。

 その中には、東間が楓を連れてヘリに乗っていた時の映像も含まれている。


 しかし、映像はなかなか進まなかった。

 昨日の戦闘を体験した者も、今日になって支援に訪れた者も、映像中の出来事が信じられずにいたからだ。司会兼説明を買って出た西野は、誰かが挙手する度に映像を一時停止し、説明を行った。

 必死に喋りまくる西野のそばには、説明補佐役の東間が立っている。


「えー、確認された怪獣は二種類! 人間大の甲殻類型と、全高百メートルを超える円盤多脚型! そのうち円盤は、昨日一体を撃破しましたが、少なくともあと二体が残存! 警戒にあたっています!」


 これは、未だかつて想定されたことのない敵との戦いだ。質問が山積みになるのも無理はない。

 ふと神山の方を見遣ると、腕を組んだままスクリーンに見入っていた。自分の得た知識を一つ一つ、丁寧に噛み砕いて飲み込むように。

 彼もまた、時折西野に加勢して、質問を捌いている。


 そんな中、防衛省から派遣された高官が問いを投げた。


「つい先日だが、我々は米軍から、最新型地中貫通型爆弾、いわゆるバンカーバスターを入手した。それであれば、戦車砲で傷がつく程度の装甲なら破壊できるものと思われるが、どうか?」


 おおっ、というどよめきが起きる。確かにバンカーバスターなら、あの程度の硬度の物体なら一たまりもあるまい。しかし――。


 神山が席を立つのが、東間の視界に入った。緊急連絡用の端末、ではなく、私用のスマホを手にしている。

 きっと、連絡相手は竜弥だろうと東間は思った。車を寄越すからこの近辺から逃げろと告げるに違いない。だが、それに従う彼、いや、彼と楓だろうか?


 顎に手を遣って、東間は頭の回転速度を上げる。

 怪獣が次に地上に現出するとしたら、やはりあの駅前繁華街だろう。あの一帯を焼土にして、甲殻類型の怪獣の居住空間を造るに違いない。その尖兵として、円盤型の怪獣が現れるだろう。


 東間は微かに顔を顰めた。

 しかしそれでは、神山実来の救出は絶望的になる。米軍が一枚噛んでくるとしたら、神山実来の犠牲はきっと揉み消される。さて、どうしたものか。


 その後も、完全な日没が訪れるまで、会議室は騒がしかった。


         ※


 何度見ても、その斬れ味には驚かされる。

 竜弥は呆気に取られて目の前の光景を眺めていた。楓が、封鎖されたビルの自動ドアをぶった斬ったのだ。

 しかも今度は、息を調整するまでもなくあっさりと、である。


 一瞬の閃光の後、砕け散った自動ドアのガラス片が、向こう側へさらさらと落下していく。一歩踏み込んで、まだ電気が届いていることに安堵する。


「竜弥、これが現代の宿というものか?」

「ああ。ただのビジネスホテルだけどな」


 竜弥は無人のフロントを見回し、一階の部屋の鍵を無造作に掴み取った。

 

「部屋は適当でいいよな。ほれ」

「ああ」


 不思議そうに鍵を見つめる楓。


「どうした?」

「いや、同じ部屋で寝ればいいのではないか?」

「ぶふっ⁉」


 竜弥はせっかく止めた鼻血を再噴出させた。


「だ、大丈夫か、竜弥!」

「馬鹿かお前は!」


 茹蛸のような顔で、竜弥は喚き散らした。

 どう説明したらいいものだろう? ええい、言ってしまえ。


「今の時代はな、血縁関係のない男女が同じ部屋で寝るってのは、結婚を前提とした相手と、って決まってるんだ!」

「なっ!」


 ごくり、と楓は息を飲んだ。


「き、ききき貴様! そんないかがわしい目的で私をこんなところに⁉」

「んなわけあるか! だから部屋を分けろって言ってんだろうが!」

「今ここで斬り捨ててもいいんだぞ!」

「違うって言ってんだろう!」


 すると、唐突に楓は黙り込んでしまった。

 だが、次に口を開いたのも楓だった。


「竜弥の下に嫁に行くのかどうかは別として――。私は実来を、自身の妹のように

思っている。絶対に助けてやらなければ」

「そ、そうだ! そうだな、うん!」


 すっと差し出された楓の手を、竜弥はぐっと握りしめた。


「明日以降、また訓練だ」

「当然だ。竜弥が音を上げても、私はやるつもりだったがな」

「その言葉、そっくり返してやるよ」

「ふっ、その言葉、絶対に忘れるなよ」


 そう言って、竜弥と楓は並んで廊下を歩いて行った。

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