第25話
※
ヘリから楓が降り立ったのは、駐屯地の屋上ヘリポートだった。
グラウンドは既に、負傷者の救護テントや移送用の救急車両で埋め尽くされている。ひっきりなしに出入りしているのは、もしかしたら遺体を搬出する車かもしれない。
楓はその光景を、苦虫を噛み潰したような顔で見つめていた。
怪獣の力がこれほどとは、過去で遭遇していた楓にも思い至らなかったのだ。
もちろん、現在使われている戦車や戦闘ヘリの強度、または武装について、楓は詳しくはない。だが、結局それらが怪獣に軽くあしらわれてしまったのは事実だ。
一体どうしたら倒せるのだろうか。
今の楓には、沈みゆく夏の太陽の光が、血を滲ませているように見えて仕方がなかった。
東間が去ってしばらくして、馴染みのある声が屋上階段の扉の向こうから聞こえてきた。
「だから分かってくれ、竜弥くん。我々の戦力ではどうしても……」
「それを助けてくれるのが自衛隊なんでしょう? 災害派遣で多くの人が救われているんだ、どうして実来は救出できないんですか?」
楓は扉の方へと、大股で歩み寄った。相手が扉を押し開ける前に、ノブを握って思いっきりこちら側に引いた。
倒れ込んできたのは西野である。扉に体重をかけたところだったらしい。
「あっ、西野さん! って楓、何してるんだ、こんなところで?」
すると楓は、思いっきり右腕を引いて竜弥を殴り飛ばした。攻撃力よりも感情を優先させた、楓らしからぬ行為だ。
だがいずれにせよ、この鉄拳が竜弥の闘争本能に火を点けたのは確かである。
「楓……、お前……」
左頬を擦りながら、竜弥は唸るように言った。すぐに殴り返してこないあたり、少しは成長した、というところか。
「いててて……って竜弥くん! どうしたんだ、顔に怪我を――」
「ちょっと黙っててください」
そう言って竜弥は、うつ伏せになった西野を跨ぎ、楓の前に立った。
「何故俺を殴ったんだ?」
「逆に問う。何故お前は西野を責めている?」
「聞こえてたのか……。いいか? この時代は、昔より災害が多いんだ。そんな時に、自衛隊は災害派遣任務として、困った人たちを助けてくれる。だったら、実来だって救出されるべきなんだ。それなのに――」
「だから私はお前を殴った」
「何だって?」
「私がお前を殴った理由だ。自衛隊の武人たちは、今日は立派に戦った。命を落とした者も多い。だがお前はどうなんだ、竜弥? 安全な建物の中から、指をくわえて見ていただけじゃないのか?」
図星を指されて、黙り込む竜弥。ここぞとばかりに、楓は続けた。
「お前は神山殿が、母君と弟君の葬儀に参列しなかったことに腹を立てていたな? 私には、その時の神山殿と今のお前が同格に見える」
「……何だと?」
「家族が危機に瀕しているのに、何もしなかった。自分の任務を優先したり、妹の救出を他人任せにしたり。何も変わらないじゃないか」
その時、楓の耳には、確かに血管の千切れるぶちり、という音が聞こえた。
「てめえ!」
掴みかかってくる竜弥。楓はそれを身を仰け反らせて回避し、軽く足を突き出した。竜弥はごくごく自然に、自らの勢いで転倒する。
その鼻先からは、ぽたぽたと血が流れ始めた。
「くそっ、どうして当たらないんだよ!」
竜弥は手の甲で鼻血を拭った。そのまま楓に向かい、再び殴り込む。しかし、
「ぐぼっ!」
素早く身を屈めた楓が懐に入り込み、見事なアッパーカットを竜弥の鳩尾に叩き込んだ。
もし竜弥が冷静だったら、自分の胃袋の状態に感謝していたかもしれない。竜弥はここ数時間で、アイスクリームくらいしか食べていなかったからだ。もし普段通りの食事をとっていたら、胃の内容物をぶちまけていたに違いない。
アイスクリームと言えば――。
竜弥は駐屯地の屋上で這いつくばりながら、自分の感情が切り替わっていくのを感じた。
そう、アイスクリーム屋にいて楓と喧嘩になった時、実来はさらわれた。もし自分に力があれば、怪獣の脚部を追い払うなりへし折るなりして、実来を守ることができたかもしれない。しかし実際は、楓の言う通りである。
他者への怒りから、自分への無力感へ。まるでスイッチが切り替わったかのように、竜弥の身体は動かなくなった。同時に湧き出してきたのは、涙腺から溢れ出た透明な水滴だった。
こんなところでうずくまって泣き喚く。それしかできない。自分はなんて非力なのだろう。
ふと、目の前の影が動いたのを察して、竜弥はゆっくりと顔を上げた。するとそこには、同様に瞳に雫を湛えた楓がしゃがみ込み、真っ直ぐに竜弥を見つめていた。
「私は謝らない。先に手を出したのはお前だからな、竜弥。だが、その心中は察するに余りある。私もまた、弟妹を亡くしているからな」
そう言えば、楓もそんなことを言っていた。
片膝をつき、自分と目を合わせる楓に向かい、竜弥は顔を上げた。
「楓、頼みがある」
「何だ?」
いつも通り、ぶっきら棒な口調の楓。しかし竜弥は、確かに感じた。そこに慈しみの心があることに。
「俺を、戦わせてくれ」
「なっ、と、突然何を言いだすんだ?」
「お前、脇差は使ったことがないって言ったよな。俺なら――葵さんの力を借りた俺なら、それを使って怪獣を倒せる。お前を援護して、実来の救出に向かうことができるんだ」
「そ、それは……ああ、そうかもしれんが」
顔を上げる竜弥。鼻血と涙でぐしゃぐしゃだったが、それは些末なことだ。
「今ここで、俺が実来を助けにいかなかったら、お前の言う通り、俺は親父と同類だ。一生後悔する。お前は言ったよな、親父は自分の任務を全うした、立派な人物だと。だが、俺はそんなこと認めない。俺は親父の二の轍を踏みたくないんだ」
竜弥は楓に、自分を戦場に連れて行ってくれるよう嘆願した。
無様だろうがカッコ悪かろうが、今は関係ない。どうしても実来を救出したかった。
俯く竜弥に向かい、楓はこう言った。
「……参ったな、勘違いさせたようだ」
「何をだ、楓?」
楓は僅かに視線を泳がせてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「さっきお前と神山殿を『同格だ』と言ったのは、お前を責めるつもりだったわけじゃないんだ」
「え……?」
「この時代には、自衛隊と言う武人がたくさんいるのだろう? だったら、素直に彼ら、つまり神山殿に戦いを任せて、じっと待つのも重要だと思った」
「じっと待つ?」
「そうだ。それは、忍耐が必要とされる苦行だ。今の戦いを見ていたお前なら分かるだろう?」
こくり、と頷く竜弥。
「待て。待って人々を信じるんだ、竜弥。必ず実来は帰ってくる。いや、私が連れて帰る」
「お、おい、何だって? お前も作戦に参加するつもりなのか?」
「無論だ。古来から怪獣と戦ってきた人間は、私しかいないからな」
「俺も行く。参加させてくれ」
「だから言っただろう、待つのも大変勇気のいることだと――」
「そんなことはどうでもいい!」
竜弥の叫びに、楓ははっと目を見開いた。
「もういい! もういいんだ、構いやしない! 親父のことも何も、どうでもいいんだ! 俺は実来と、いつもの日常を取り戻したいだけなんだ!」
「た、竜弥……」
その時、思いがけない方向から声をかけられた。
「それなら、お前はまず訓練しなければならいな、竜弥少年」
竜弥と楓は、揃って顔を上げた。
「東間さん……」
「國守は十分戦力になる。お前だって、脇差を使えば戦える。俺は一度、お前に救われているからな。助言くらいはできる」
「お、教えてください!」
竜弥は土下座するように、ぐいっと身体を曲げた。
「俺はどうすれば強くなれますか? あの脇差を扱うのに相応しい力をつけられますか?」
「まずは身体の重心を維持することだ。へその下に、全身のバランスを取る中心がある。それを意識して、フットワークを自分のものにしろ。俺から言えるのは、そのくらいだ」
目を真ん丸にする竜弥。すると東間は、礼の言葉を受け付ける間もなく、振り返ってしまった。
「行くぞ、いつまで伸びてるんだ、西野」
「あ、ああ……」
そんな大人二人をよそに、竜弥は楓に、剣術を教えてくれと乞い始めた。
※
「いいのか、東間?」
階段を下りながら、西野は問うた。
「あの二人はまだ子供だぞ? 本気で彼らを作戦に参加させるつもりじゃ――」
「だったらどうする?」
あっさりとした東間の返答に、西野はぽかんと口を開けた。
「お前も見ただろう、西野。あの二人の戦いっぷりを。少なくとも、楓は俺たち一人一人よりも戦える。それに、ベースキャンプでの戦いで俺が生きられたのは、竜弥のお陰だ。本気で訓練すれば、足手まといにはなるまい」
「そんな簡単に割り切れるのか?」
「まあ、な」
東間にしては珍しく、判然としない答えだ。
「もちろん、神山隊長には進言しておく。心配するな、西野」
西野は軽く、肩を竦めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます