第21話
※
正直、竜弥は驚かされていた。
つい先ほどまで、自分は実来に対して怒り狂っていたのだ。
にも関わらず今現在、実来は元気に、否、健気に振る舞い、平常心を保とうとしている。
もちろん、楓がはしゃいでみせることで、自分と実来の中継ぎをしている可能性もある。
だが、この外出の主導権を握っているのは実来だ。それほど自分との仲を復旧させたい、すなわち大事にしたいと思っているということだろうか。
「ほら、お店に入れば涼しいよ!」
「おおっ! 気体の性質を自在に操る魔術か!」
やはり実来は、『自分は元気だ』ということを見せつけたいのだろうか。
そんなことを汲み取れる程度には、竜弥も落ち着きつつあった。
「ほら、兄ちゃんも選びなよ!」
「お、おう」
結局、楓がバニラ、竜弥が苺、実来がミントとラズベリーの二段盛(五十円増)となった。
店内の空席を探す。随分と込み合っていたので、三人は二階に上がり、窓際のカウンター席に並んで腰を下ろした。
「甘いな! この氷菓子は!」
「でしょ~? 楓ちゃん、食べたことないと思って」
「うむ! この時代の言葉で言えば、ハマりそうだ!」
微笑ましいものだと思いつつも、竜弥の心は晴れなかった。
先ほど、自分と実来の過去について、楓にあれだけ話したのだ。となれば、もう一歩踏み込んだ話をせねばなるまい。
「ところで、楓」
「はむはむ……んむ? どうした竜弥、表情が硬いぞ」
「さっきの話には、続きがあるんだ」
「ねえ兄ちゃん、さっきの話、って何?」
「……母さんと竜基が事故に遭った話だよ」
「あっ」
気を遣ったのか、実来はぱっと口に手を当てて沈黙した。
「うむ、母君と弟君のことは既に聞いている。さぞや無念であっただろう」
楓の言葉は大仰だが、その口調には悲しみが滲んでいる。
「そのことなんだが……。俺にはどうしても許せない奴がいるんだ」
「自動車の運転手か?」
「違う。彼はひき逃げなんてしなかったし、きちんと自分の罪を償った。それで母さんや竜基が帰ってくるわけじゃないが、真摯な態度だった」
「じゃあ一体誰なんだ、その許せない奴というのは?」
竜弥は一瞬口ごもり、しかし顔を上げて真っ直ぐに楓をと目を合わせた。
「神山竜蔵・二等陸佐だ」
その一言に、楓の瞳が大きく見開かれた。
「なっ、何だと? お前たちの父君ではないか! 一体どうして……」
「兄ちゃん! そんな話、楓ちゃんにしなくても!」
「いいや、俺たちのことを知ってもらうには、避けて通れない。楓、聞いてくれるか」
ぐしゃり、と竜弥の手中でコーンが握り潰される。
楓は、ゆっくりと一度、頷いてみせた。
「神山竜蔵――あの男はな、俺たち家族を捨てたんだ」
「捨てた、とは?」
「言葉通りさ。家族仲なんて、どうでもよかったんだ。もし俺と実来を大切に思っているなら、世界のどこからでも駆けつけて、葬儀に出席くらいするだろう? だが、あの男は何て言ったと思う?」
「さ、さあ」
「任務の最中だから出席できない、とさ。それも、自分の言葉ではなく通信担当官に頼んでそう伝えてきたんだ。衛星電話を使っていたところからすると、当時日本にはいなかったんんだろう。東南アジアか、中東か、もしかしたらアフリカにでもいたんじゃないかと思う」
淡々と語るつもりが、だんだん頭が重くなり、楓と目を合わせられなくなっていく。
竜弥は両肘をテーブルに着き、その上で指を組んで額に当てた。
「何が任務だ。何が国のためだ。畜生、ふざけやがって……」
意気消沈する竜弥を前に、しかし楓は反感を覚えた。
「何を言っているんだ、貴様!」
ガタン、とテーブルを揺らし、勢いよく立ち上がる楓。これは予想外だったのか、竜弥ははっと顔を上げた。
「人間には、その人物が為すべきことがある! 父君はそれを立派に全うし、日本に帰ってこられたのだぞ! 歓迎し、凱旋するのを迎えるのが家族としての在り方だろう! それが子息たる者の態度か、竜弥!」
「今、何て言った?」
すると楓は、ぐっと腕を伸ばして竜弥の胸倉を掴んだ。
「ああ、もう一度言ってやる! 父君は立派な武人だ! 誰からも責められる謂れはない!」
「ちょ、ちょっと楓ちゃん!」
実来が半泣きで声をかけてくる。周囲の目も集まっている。それでも楓は息を荒げ、竜弥を放そうとはしない。そんな中、僅かに竜弥の口が動いた。それを見て、より両手に力を込める楓。
反論の余地など与えてやるものか、と思った。
しかし、竜弥の目を見て思わず手を緩めてしまった。
「やめろよ。みっともない」
一気に闘争心を削がれ、楓は脱力する。それほど竜弥の瞳は無気力だった。そして、冷淡だった。
その冷感のままに、竜弥は語り出す。
「今と昔じゃ、家族の在り方が違うんだ。確かに、お前の時代だったら、世のため人のために戦って帰ってきた人は英雄扱いされてよかったんだろう。だがもしその人が帰らなかったら、その家族はどうだ? ずっとその人物の不在を強いられる。そして、いざ助けてほしい時、縋りつきたくなった時に、その人物はいない。酷い話じゃないか」
そっと、飽くまでゆっくりと楓の両手首を掴む竜弥。楓にとっては、自分でも呆気ないほど軽く、その手は引き剥がされた。
「俺はそんな男、父親だなんて認めない」
それから竜弥は実来に目配せした。
「帰るぞ、実来。今日は兄ちゃんがアイス代払ってやる。楓、お前の分も払うから、帰って来たけりゃついて来い。だけど話しかけんなよ。生憎俺は、今ムカついてるんでな」
「あっ、竜弥……」
楓は立ち上がったまま、固まった。自分が置いてけぼりにされてしまう。ついて行かなければ。しかし身体が動かない。
今楓にできることは、呼吸と瞬きくらいのものだった。竜弥と、不安げにこちらを振り返る実来の姿が階段の下に消えていく。
自分は一体、どうしたらいいのだろうか。
まさにその時だった。凄まじい振動が、この駅前繁華街を襲ったのは。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
「何だ? 地震か?」
立ち上がるどころか、普通に座っていることすら困難なほどの振動。
何かが地中を移動し、地面を割って這いずり出ようとしている。この気配、間違いなく怪獣だ。それも、円盤を載せた多脚の方の。
ヴォン、という鳴き声とも唸り声ともつかない音を響かせ、円盤がせり上がってくる。アイス店の入っているビルの窓側、六車線道路を中央から割りながら、のっそりとその身をもたげる円盤。
「ぐっ!」
自分に戦う術がないことを悟り、顔を歪める楓。すると、不思議なことに、その円盤と目が合った。円盤の淵を回っている赤い光点が、楓を捉えたのだ。
しかし、それも一瞬のこと。アスファルトの破片、土埃、ひしゃげた自動車などを振り落としながら、円盤は多脚のうちの一本を掲げた。
何をする気なのか。
楓が胸中で呟いた直後、その節くれだった足は、割れた窓ガラスからぬっと屋内に侵入した。狙いは定まっていると言わんばかりに。
ゆっくりと伸びた足が獲物を捕らえるのは、造作もなかった。何せ、たった十一歳の少女なのだから。
「実来っ!」
楓は一瞬、呼吸を忘れた。自分の目の前を怪獣の足が通過した時、その先には実来が捕らえられていた。幸いだったのは、彼女が生きていたということだ。
このまま連れ去らせてなるものか。
楓は、引っ込んでいく脚部を追った。すると、役割は終えたと言わんばかりに、怪獣は地面に没していくところだった。一瞬、緑色の球体が光を発する。
その中心にいたのは実来だ。気を失っているらしい。この緑色の球体は、一種の結界のようだった。土くれや窓ガラスを弾きながら、するり、と引っ張り込まれていく球体。
殺気が遠ざかっていくこと。
慌てた竜弥が隣にやって来ること。
救急車やパトカー、それに自衛隊のヘリコプターが何機も飛来すること。
それらの気配を感じながら、楓は怪獣の空けた大穴を見下ろしていた。
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