第20話
ドォン、という重苦しい音にも聞こえたし、バァン、と何かが弾けるような音にも聞こえた。その音と同時に、母親と竜基はその場から消えた。
「……え?」
何があったのか。視界の中央には、いつの間にか白塗の普通乗用車が急停止をしている。
運転席から降りた男性は、大慌てで前方へと駆けていく。竜弥は、呆然としてその様子を目で追った。そして、その目を大きく見開いた。
母が、道路に寝転がっている。
その胸元から転がり出たのは竜基だ。二人の転がっているアスファルトに、真っ赤な液体が広がっていく。
これは、交通事故だろうか。
半ば麻痺した頭で、竜弥はそう思った。『思った』だけで実感はない。
ぼさっと突っ立っている竜弥の背後から、サイレンが聞こえてくる。右からも、左からも。
気づけば、竜弥を押し退けるようにして、多くの大人たちが事故現場へ向かっていた。
「おい、怪我人だ! 子供もいる!」
「救急車はまだか!」
「下手に動かすな、誰か通報しろ!」
※
「結局、二人共助からなかったよ」
「……」
竜弥の独白を聞いて、楓は驚きを隠せなかった。眉間に皺を寄せ、正座したまま凍り付いてしまったかのようだ。
それは偶然にも、事故を目撃した直後の竜弥に似ていた。
だが、何故だろうかと楓は自問自答する。
人が傷つき、命を落とす。それは、過酷な訓練の中で何度も見てきた。それなのに、どうして自分はこんなに動揺しているのだろう。
竜弥はすん、と鼻を鳴らし、顔を逸らした。
「悪いな、シケた話をしちまって」
「い、いや……。私にも幼い弟妹がいたのでな。つい、聞き入ってしまった」
ちらりとこちらを一瞥する竜弥。その目に冷たい輝きが宿っているのが見えてしまい、楓は目を背けた。
「私の弟妹も、死んでしまったんだ。三人は流行り病で。もう一人は怪獣に襲われて」
「怪獣って、あの山林にいた奴らか?」
無言で頷く楓。
「私は弟の――五太の仇を討ち、母上の犠牲を無駄にしないために、この時代に来たんだ」
「お前には怪獣と戦った実績があるから、か?」
「うむ。母上は魔術が使えた。古来、國守家に伝わる、魔晴剣術とは異なる業だ。だからきっと、再び怪獣たちが眠りから覚めるのがこの時代だと察して、私を送り込んだのだろう」
「それで、お前の母さんは……」
「究極奥義、千華爆裂を使った。自分の身を犠牲に、周囲を徹底破壊する業だ。それでも怪獣たちを殺しきれないと悟っていたのだろうな。でなければ、私を時空転移させたりはしまい」
ぎこちなく頷く竜弥。室内に、冷たい沈黙が降り注ぐ。まるで季節外れの雪のように。
そこではっと、楓は自分がここにいる理由を思い出した。
そう、竜弥と実来の仲を取り持たなければならない。
「わっ、私の話はいい。それよりも――」
「分かってるよ、楓。俺と実来の仲を心配してくれてるんだろ」
「う、あ」
自分はそんなに分かりやすい人間だろうかと、楓は頭を抱えたくなる。だが、竜弥が分かってくれているなら、話は早い。
「そ、そうだ。どうか、実来を許してやってはくれないか。お前の話によれば、実来は事故を目撃していないし、当時はあまりにも幼かったんだ。だから」
「それは分かってる。でもあんまりだ。あいつは、俺にとって母さんと竜基がどれほど大切だったか、分かっちゃいない。お前に母さんの服を着せたのも、そのせいだ。そのワンピース、母さんのお気に入りだったしな」
「そ、それは……」
楓は、万力で自分の喉を締め上げられるような感覚に陥った。
竜弥は、母親と弟を目の前で亡くしている。二人の死を、心から悼んでいる。
それに比べ、自分はどうだ? 近しい人間の死というものに対し、あまりにも淡白すぎやしないか?
自分にとって他人の存在とは、その程度のものだったのか。
「なあ、竜弥」
目だけを動かし、こちらを見据える竜弥。それに対し、楓は毅然とした振る舞いで立ち上がり、こう言った。
「私にこの街を案内してくれないか」
「街、って……。田んぼと畑と学校くらいしかねえぞ、このへんは」
「だから街だ。私には想像もつかないような、いろんなものがあるのだろう? 多少遠いことは覚悟している」
「いや、お前だけ覚悟しても――」
「頼む」
楓は深々と、綺麗な角度で頭を下げた。
「まあ、バスで三十分も走れば街らしいところには着くけど。でも、お前の狙いはそれだけじゃないんだろ?」
ぎくり、と固まる楓。だが、そんな彼女を、竜弥は責めようとはしなかった。
「実来にも声をかけてみる。女子は女子同士、思うところがあるだろうからな」
「竜弥、本当にすまな――」
と言いかけて、その肩にぽん、と竜弥の手が載せられた。
「兄妹で仲直りできるように、精々努力するよ。これ以上お前の土下座やお辞儀を見せられても、どうしようもないからな」
それだけ言うと竜弥は静かに部屋を出ていった。楓を振り返りはしなかった。
※
実来は浮かない顔で、バスの車窓を流れていく風景を眺めていた。
今乗っているのは、一時間に二、三本しかない公共交通機関のバスである。一番後ろの席に、竜弥、楓、実来の順に座っている。
この座り方ならば、楓が話題を取り持って、竜弥と実来が会話をする糸口を見つけ出すところだっただろう。だが、残念ながら楓はそれどころではなかった。
「おおっ! 母上の言った通り! 皆が洋装をしているな!」
「当たり前だよ、楓ちゃん。髷を結ってる人とか、刀を携帯してる人とかはいないからね?」
「これが、この時代の装束か……」
実来はため息をついた。
楓は意志の強い人物だから、自分たち兄妹を説教して、仲直りをさせてくれるものと思っていた。
しかし楓は、何とか『刀を所持しない』という約束を守っただけだ。後は、前後左右に加えて上下、六方向に視線を飛ばしまくっている。
それも警戒心からではなく、自分の興味関心からだ。
「見てくれ、竜弥! あの看板、動いているぞ!」
「あー、パチスロの宣伝用のモニターな。他にもあるぞ」
「んん? 何だあれは? 文字が流れている!」
「あれはニュース速報を流すんだよ。電気で動くんだ」
「電気? 実来、電気と言うのは、あの電信柱を流れる電気のことか?」
「……うん、たぶん」
そうこうしているうちに、バスは駅前のターミナルに到着した。終点だ。
その後も、楓はいろいろと竜弥や実来に質問をぶつけまくった。
「今の機関車は煙を出さないのか?」
「この街の建物は煉瓦でできているのか?」
「流石に街の人間は流行に敏いな! 和装している者など一人もいないではないか!」
……などなど。
だが、そんな楓の態度が、自然と神山兄妹の仲を取り持つ結果となっていた。
「ああ、あれはレストラン……洋食専門の料亭だ」
「あっちはアーケード! いろんなお店があるよ。文房具とか、小さな家財とか」
うんうんと頷きながら、じっと熱い視線を四方八方に巡らせる楓。
竜弥が肩を竦めるのが視界に入った、その時だった。
「なあ実来、この窓に貼ってある、黒い点々は何だ?」
「これはね、楓ちゃん。スマートフォンを翳すと情報を読み取ることができるんだよ。兄ちゃん、やってみせてあげてよ」
「仕方ないな……。いいか、楓? ここに写った画像をこうすると……」
「うわっ!」
突然、楓が竜弥のスマホに飛びついた。
「何なんだ、この見るからに美味な肉の塊は!」
「あっ、待て! これは写真だ、食えないぞ!」
「ああ、そ、そうだった……」
楓を挟んで笑い合う、竜弥と実来。ふと目が合ったが、互いにすぐに逸らしてしまう。
これでは、いつまでも兄と仲直りできない。そう思った実来は、一旦この観光案内の主導権を握ってみることにした。
「兄ちゃん、楓ちゃん、暑いでしょ? アイスクリーム食べようよ!」
「ん? あい……すく?」
「冷たくて甘い食い物だ。きっと、お前がいた時代には相当珍しかっただろうな」
「ほら、あそこにお店があるよ」
ここで実来は、一旦言葉を切った。
「……兄ちゃん、好きだったよね、あのお店のアイスクリーム」
「ん? あ、まあ、な」
ぎこちないながらも返答した竜弥に向かい、実来は思いっきり笑顔を広げて見せた。
「じゃあ、あそこでおやつにしようよ! 楓ちゃん、きっとびっくりするから!」
事実、最もびっくりさせられたのは、実来の健気さに胸を打たれた竜弥だったのだが。
「俺はいいけど」
「まだ私の知らないものがあるのだな! 実来、案内してくれ!」
「はーい!」
実来は思いっきり両手を掲げてみせた。
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