第16話
※
実来に詫びてから、楓はハンヴィーの内壁に寄りかかって目を閉じた。
それでも、二本の刀はそれぞれすぐに手に取れる場所にある。仮眠を取るつもりでも、油断している気配はなかった。
そんな楓を見つめながら、実来はぼんやりとした頭で自分の言動を振り返っていた。
どうして竜弥と楓の喧嘩の仲裁に入ったのだろう? 最も安全だと思っていた、父親の背後から飛び出してまで。
ふと顔を上げると、竜弥と目が合った。その瞳は、未だに彼が実来のことを心配しているのだと明確に告げていた。
実来は曖昧に頷き、顔を逸らすことしかできなかった。
ハンヴィーに揺られること約二時間。一行は、最寄の陸上自衛隊駐屯地に到着した。
そのグラウンドで目立っているのは、何と言っても戦車だった。最新式の10式戦車。優れた機動性と連携システムを有する、自衛隊の陸の王者である。
それが、広大なグラウンドに三十台以上集結している。
男子はこう言うものが好きなんだろうな、と実来は思ったが、竜弥は見向きもしなかった。今この瞬間も、実来の身を案じているのだろうか、。
かくいう実来は、まだぼんやりとしていた。ハンヴィーの車内で考えていたことが、脳裏でぐるぐると駆け回る。
あの喧嘩の仲裁は、全く以て自分らしからぬ行為だ。あれほど楓の存在を恐れていたのに。
やはり、竜弥が楓に対して怒ってくれたのが嬉しかったのだろうか? 仲間を得たような気持ちになったのだろうか?
いや、だとしたら、竜弥にまで反省するように迫ったことと辻褄が合わない。
「あたし、一体何を考えて……」
「実来、大丈夫か」
頭上から聞こえた声に、実来はぴょこんと跳び上がった。
「お、お父さん」
「ここから先は、自衛隊の管轄外だ。ハンヴィーは使えない。私の車でお前たちを家まで送ってやるから、先に車に乗っていてくれ」
「う、うん」
「駐車場はあっちだ。一人で行けるな?」
「うん」
神山から鍵を受け取り、ちょこちょこと歩いていく。辿り着いたのは、宿舎と思われる建物の反対側だ。そこには、父の私物である普通乗用車が鎮座していた。
戦車の群れを見た後では、やたらと軽そうに見える。まあ、その方がガソリン代がかからなくていいのだろうが。
鍵にあるボタンを押し込み、ドアを開錠。スライドドアの把手に指を掛け、僅かに力を込めると、するすると自動でドアが開いた。
実来が乗り込んだのは、三列シートの一番後部の座席。
ぽすん、と腰を落ち着け、背もたれに身体を預けて脱力する。
ぼんやり外を眺めていたが、特に注意を惹くようなものはない。駐屯地の周囲は、怪獣の出現した山林同様、木々に覆われている。
「あ」
実来は短く声を漏らした。気づきと安堵の声だ。
もし楓が、突然街中に現れていたら、随分と大きなカルチャーショックを受けたことだろう。
このあたりは、電柱や木造の民家が並ぶばかりで、大正時代から考えても真新しいものがないように思われる。
「よかった、これなら楓ちゃんもパニックにならないよね」
本人にしか分からないことだけれど、と心の中で付け足す。
しばらくして、窓の外で動く人影が目に入った。竜弥と楓だ。
何やら気まずそうな、しかししっかりとした足取りでやって来る。
先にスライドドアに手をかけたのは竜弥だ。
「乗れよ、楓」
「……」
少しばかり車内を見つめてから、楓は二列目のシートに乗り込み、慎重に腰を下ろした。
「安心しろよ、針なんか挟まってないから」
「分かっている。造作もないぞ、そのくらいの殺気を感じ取るのは」
「そうかい」
竜弥は楓に続いて二列目に乗り込み、乱暴にドアを引いた。
会話はそれだけだった。戦車のメンテナンスの喧騒や、上空を飛び交うヘリの回転翼の轟音も聞こえない。
その時、実来はふと不思議な感情を抱いた。
何とか竜弥と楓の仲を取り持つことはできないか。そんな考えだ。
自分は学校でも学級委員長を務めるくらいだし、少しぐらい口出しできるのではないか。
いや、でも相手は二人共年上だ。下手に出しゃばらない方がいいか。
そんなことを思案していると、唐突に運転席の扉が開いた。
乗り込んできた神山は、一通り竜弥、楓、実来の三人を見遣る。そして楓の方に顔を向けた。
「國守楓、君の身の安全は私が保証する。何か用事があったら、竜弥に伝えてくれ。我々の間には、特殊な通信装置がある。小型の電話機だ。遠慮はいらないからな」
「ご厚情感謝する、神山殿」
神山は大きく頷いて、車を発進させた。
※
車内でもそれらしい会話はなかった。楓は相変わらず仮眠の続きに入っているし、竜弥は曖昧な目つきで外の景色を眺めている。
しかし、父が乗り込んでくる前に比べれば、随分と気は楽になった。
竜弥にとっては憎悪の対象でしかない神山だが、実来にとっては立派な父親だった。多少頑固すぎるのが玉に瑕だけれど。
そんなことを考えているうちに、車は自分たちの家に到着した。
車の振動が止まったのを察知してか、楓はさっと身を起こし、刀を装備。思いっきり銃刀法違反である。そこは後で、竜弥と一緒に楓を説得しなければ。
「着いたぞ、三人共。降りてくれ」
神山の言葉に呼応するかのように、ドアがスライドする。そこは、田畑に囲まれた平屋建ての一軒家の前だった。
和風建築であることから、楓にとっても過ごしにくいということはあるまい。それでも、多少の違和感はあるようだ。
「竜弥、この時代の建物は、どれもこんなに密閉されているのか? 風通しが悪そうだが」
「いろいろあんだよ。火事や地震に対して、ちゃんと住民を守れるように」
「ほう」
楓はそれだけで納得したらしく、竜弥についていく。家の鍵を持っているのは竜弥だ。
「どうした、実来?」
「えっ? あ、何でもないよ」
なかなか降りようとしない実来に、心配げに声をかけた神山。本当に何でもない『ように見せる』ことができていればいいのだけれど、と実来は思う。
その思いが通じたのか、神山は『そうか』とだけ言って、顔を前方に戻した。
車を降り、自分の家の玄関を前にする。ようやく実来は、自分たちが安全地帯に辿り着いたのだと実感した。
「楓、取り敢えず鍵は俺が持ってるからな。もし扉が開かなくても、斬りつけたりするなよ」
「分かっている。真の武人は、ここぞという時以外は抜刀しない」
じゃあさっき、ハンヴィーの中で、竜弥に向かって刀を突き出したのは何だったのか。
そう言ってやりたい気持ちを、実来は何とか押さえ込む。
父も兄も、楓を過大評価しているのではないか? 確かに、戦闘中の挙動はすごいけれど、平常時の態度はどうだ。
すぐに刀をあてにして、しかもその技量が凄まじいものであるがゆえに、自分の意見を暴力的に通そうとしている節がある。そんな風に思えてならない。
開きっぱなしの玄関から、家の中を楓に案内する竜弥の声がする。自分も家に戻らなければ。
「お父さん、ありがとう」
「ああ」
神山の素っ気ない返事はいつものことだ。実来は一つ頷いて、すぐに車を降りた。
※
昨日、家を出てから一晩が経っている。
一晩。たった一晩であるにも関わらず、実来には何ヶ月も離れていたかのように思われた。
自室の部屋の扉を開けた時など、懐かしさを覚えたほどだ。
「あたし、何しに来たんだっけ……」
部屋の前で立ち尽くし、ぼんやりと室内を見回す。目に入ったのは、勉強机とその脇に提げられたランドセル。
「あっ、宿題やらなきゃ」
ふらふらと、部屋に踏み込んでいく実来。後ろ手で扉を閉じる。しかし、足が脱力してしまって、部屋の中央でぺたんとへたり込んでしまった。
そのまま、またしばしの時間が経過する。ぼんやりとした感覚に入り込んできたのは、竜弥と楓の声だった。
「ああ、そっちは実来の部屋だ。ちゃんとノックしろよ」
「ノックとは何だ?」
「扉を叩いて入室許可を求めることだ。あっ、叩くって言っても軽くだぞ? ぶち破るなよ」
「分かっている」
やや苛立った声で答える楓。と、思ったら、早速実来の部屋の扉がノックされた。
「実来、いるか? 入ってもいいだろうか」
「あっ、う、うん」
慌てて姿勢を正し、扉に向き直る。
入ってきたのは、相変わらず帯剣したままの楓である。ゆっくりと足を踏み入れた楓は、両腰から刀を鞘に差したまま抜いて、そばに置いた。
実来と相対するように正座する。
実来は、今の楓に自分を殺傷する意図がないことを何とか理解しようと努めた。
「ど、どうしたの、楓ちゃん?」
楓は何も言わない。ただ、じっと実来の瞳を覗き込むばかりだ。その真摯な目つきに、実来は先ほど抱いていた恐怖心が和らいでいくのを感じた。
安堵感と共に、涙腺からぶわり、と水滴が溢れ、眼球を包み込む。
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