第15話【第三章】

【第三章】


 ハンヴィーが発車してから、竜弥が思っていたこと。それは、円盤多脚怪獣の熱線によって、車ごと蒸発させられてしまうのではないかということだ。

 しかし、それは杞憂に終わった。ヘリは一機撃墜されてしまったが、そのお陰で他のヘリは、巨大怪獣からつかず離れずの距離を保っている。いわば、囮になってくれているのだ。


 ちょうど西野と同乗することになった竜弥は、彼が無線で遣り取りするのを聞いていた。


《目標は現在――警戒――、地中へ埋没――》

「了解。通信終わり」

「西野、あの巨大怪獣は? 一体どうなったんだ?」


 楓が詰め寄ると、西野は微かに笑みを浮かべながらこう言った。


「大丈夫だ。ヘリを警戒して地中に戻ったそうだ」

「そりゃよかった!」


 竜弥は安堵のため息をついた。しかし、疑問を呈したのは楓である。


「まさか、あんな巨大な怪獣がいるとは……」

「えっ、お前知らないのか? あの円盤みたいな奴?」

「知らん」


 即答されて、竜弥は固まってしまった。


「私のいた時代には、あんなものは存在しなかった」

「じゃ、じゃあ、あの蟹みたいな奴と違って、倒し方が分からない、ってことか?」

「そういうことになるな」


 しばらく動けずにいた竜弥だが、すぐにあぐらをかいて自分の膝を殴りつけた。


「くそっ、ヘリを撃墜するような奴、どうやって相手をすりゃいいんだ?」

「まだヘリで戦えないと決まったわけではない」


 そう応じたのは、西野と同じく同乗していた東間だ。瞼の上の絆創膏が痛々しい。


「今飛行中なのは、飽くまで哨戒機だ。戦闘ヘリの機関砲や誘導弾を以てすれば、まだ戦う余地がある。ところで西野、付近住民の避難は?」

「現在進行中だ。自衛隊が国内で武力行使をするとあれば、前代未聞だし。大手メディアが続々取り上げてくれてるから、避難は予想以上に早く進んでる」


 それを聞いて、東間はうむ、と一つ首肯した。

 竜弥は楓に向き直り、疑問をぶつけてみた。二つある。


「なあ楓、お前、ハンヴィー……っていうか、自動車に乗ったことはあるのか? やけに落ち着いてるけど」

「それはない。だが、人にも馬にも頼らない自動車なら、見たことがある。それにこのハンヴィーとやらは、戦地と安全地帯との間を行き来する乗り物なのだろう? こうした鉄鋼で周囲を囲まれているのも、疑問ではない」

「そうか」


 流石はあれだけの戦闘力を有する武人である。肝が据わっているというか、何と言うか。


「もう一つ、訊いていいか?」

「何だ?」

「お前が本当に、大正五年の時代からやって来た、っていうことを証明する手段はあるのか?」


 すると楓は、『ん』と短い呻き声を上げて目線を逸らしてしまった。


「た、確かに、遅かれ早かれその疑問には答えねばと思ってはいたが……」

「それについては心配無用だよ」


 西野が二人の顔を交互に見ながら割り込んできた。


「基地に戻ったら、一旦戸籍を当たってみよう。國守楓さん、君の名前はちゃんと保存されているはずだ」

「そうなのか。かたじけない、西野」

「いやいや。でも、それよりも大きな問題があるぞ」

「何です?」


 竜弥が問うと、西野は困ったように顔を顰めた。


「君をどう扱うかという問題だよ、楓さん。君がどこで寝泊まりして、どこまで自衛隊の機密に触れていいのか、僕の一存ではどうにも――」

「私の家を使え」

「そうそう、神山隊長の言う通り、竜弥くんたちの家を――え?」


 西野はさっと振り返った。そこには、銃器の確認作業をしながら座している神山の姿があった。


「彼女は民間人だ。そして我々の血縁者でもないのだから、自衛隊宿舎に泊めることはできない」


 竜弥は反論しようとしたが、流石に神山を父親呼ばわりするのには抵抗があり、黙り込むしかなかった。


「竜弥、問題なかろう? 実来も」


 しかし、このハンヴィーの車内で、最も意外な行動を取った人物こそが実来だった。

 神山の陰に隠れるようにして、彼の迷彩服の裾をぎゅっと握りしめている。

 竜弥は何とはなしに問うた。


「どうした、実来?」


 舗装された道路に入り、数台の救急車と共に走行するハンヴィー。

 もう車体は安定しているはずだが、実来の頭部はぐわんぐわんと何かに揺さぶられていた。


「……わい」

「何だって?」

「その人、怖いんだよ!」


 そう叫ぶや否や、実来は楓を指差した腕を下ろし、わんわんと泣き始めてしまった。


「こ、怖いって……。実来、楓は僕たちを助けてくれたじゃないか!」

「で、でも」


 一旦言い淀んでから、意を決したように実来は顔を上げた。


「お父さんに逆らうようだったら斬るぞ、って言われたんだよ!」

「えっ……」


 言葉を失う竜弥。ゆっくりと、ロボットのように顔を楓に向ける。


「おい、楓。今の話、本当か?」

「ああ。父君の指示に従えないのなら罰せられるべきだし、増してや戦闘中での出来事だ。邪魔立てするなら斬るしかあるまい」

「何だと! いてっ!」


 勢いよく立ち上がった竜弥は、後頭部をハンヴィーの天井にぶつけてしまった。しかし、そんなことには構わずに、ずいっと楓の方へ身を乗り出した。


「実来は俺の妹だぞ! それを殺そうだなんて、何考えてんだ!」

「冗談だ。脅し文句に決まっているだろう。だから神山殿も、私を止めようとはしなかった」


 はっとして、竜弥は神山の方へ振り返った。そのそばでは、できる限り楓の視界に入るまいと、実来が身体を丸めている。


「よくも……よくも俺のたった一人の家族を!」


 竜弥は狭い荷台を回り込み、両手足を突っ張って、実来を庇うような姿勢を取った。


「ん? たった一人?」


 小声で呟き、首を傾げる楓。父親である神山竜蔵がいるにも関わらず、竜弥は実来を指して『たった一人の家族』と言った。どういうことだろうか。


「実来を斬るつもりなら、まず俺を斬れ!」

「お、おい竜弥くん、今は移動中の車内だから……」

「黙ってろ!」


 竜弥の勢いに、気圧された様子の西野。東間は東間で、いつでも止めに入れるよう身構えている。


 ここまで言われては仕方がない。


「神山竜弥。残念だが、別れの時が来たようだ」


 左腰の刀を、右手で抜刀する。微かに揺れる車内にあって、その切っ先は微動たりしない。

 それでも、竜弥は目を逸らさなかった。刀から、ではなく楓の瞳からだ。先ほどまで、他人に背負われていたのと同じ人物とは思えない。


「貴様……」

 

 ぎりっ、と歯を鳴らしながらも、楓は自らの敗北を悟った。


 刀を抜いたのは、飽くまでも竜弥を黙らせるためだった。そもそも、武人ではない人間を斬るつもりなどない。

 しかし、こうも堂々と対峙されるとは思わなかった。気迫で負けたのだ。


 キンッ、と音を立てて、楓は刀を鞘に収めた。


「さっきはすまなかった、実来。戦の渦中にあったゆえに、私も冷静ではいられなかったようだ。許せ」

「許せるか!」


 今度は竜弥が歯を食いしばった。怒りで頬が痙攣している。


「実来はお前のことを、怖いってはっきり言ったんだ! お前が実来に恐怖心を植え付けたんだぞ! それを、保護者として看過することはできない!」

「何を言っているんだ、竜弥! 実来の保護者は、竜蔵殿だろう?」

「違う! 違う違う違う! 突然過去からやって来たお前に何が分かる! 俺たち兄妹が、今まで一体どんな思いで……」


 竜弥は楓の胸倉を掴み上げた。

 平常心の楓なら、道着に触れられる前に自分から掴みかかり、柔道技を仕掛けることもできただろう。

 しかし、今の楓にはできなかった。幼い弟妹を――とりわけ五太を喪った時の自分を見ているような感覚に陥ったからだ。


「くっ!」


 竜弥はそれ以上何もせず、楓から手を離した。バランスを崩し、たたらを踏む楓。

そんな彼女の背中を支える、小さな影があった。


「大丈夫、楓ちゃん?」

「み、実来……」

「おい実来、離れろ! そいつはお前を殺そうとしてたんだぞ!」

「違う! 私は実来を殺そうだなんて――」

「黙ってよ、二人共!」


 実来が、吠えた。


「ねえ、竜弥兄ちゃん。確かに、楓ちゃんのせいであたしが怖い思いをしたのは本当だよ? でも、楓ちゃんはその後も、あたしを含めた皆を助けようと戦ってくれたんでしょう? そんな人が本気であたしを殺そうとしていただなんて、あたしが思うわけないじゃない!」


 微かに口を開け、呆気に取られる竜弥。


「楓ちゃんだっておかしいよ! あなたは、大正時代と今と、両方の時代で生きてるんだよ? ここはあなたがいた世界とは違うの! 人を叱るときに、刀や脅し文句を使ったりすることは許されないんだよ! 分かったら、ちゃんと竜弥兄ちゃんにも謝って!」


 まさか、年下の少女に言い負かされるとは思っていなかったのだろう。

 楓は視点の定まらない目でぼんやりとこの兄妹を見つめていた。


「実来、私は……」

「あたしのことはいいから! ほら!」

「うむ……。竜弥、お前の大切な家族を怖がらせてしまった。誠にすまない」


 楓は昨夜の実来のように、床に正座して手を着き、深々と頭を下げた。


「……ふん。分かればいいんだよ、分かれば」


 竜弥は一瞥をくれただけで、再びしゃがみ込んだ。

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