第13話




 楓に刀を放り投げる、三十秒ほど前こと。

 東間の背中で、竜弥は何もできない自分を責め立てていた。


 自分に戦う術はない。楓の脇差を使っても、せいぜい怪獣を二、三体倒せるだけ。それだけで状況が好転するとは思えない。

 状況を変えるには、どうしても楓の力が必要だ。彼女に刀を返してやらなければ。


 だが、それは無理な相談だ。今の自分は、こうして東間の背中に負ぶわれていて身動きが取れない。誰か楓に刀を、などと、他力本願的な考えしか浮かんでこない。

 前方からは、銃声と悲鳴が容赦なく響いてくるというのに。


 そもそも、自分に託された脇差だって、今の自分の手元には――。


「ん?」


 竜弥は気づいた。脇差が、手の届く範囲にあったのだ。東間の腰に差されている。

 竜弥は反射的に、その脇差を手に取った。そのまま自分と東間を繋いでいたロープを断ち斬る。


「あっ、おい!」


 流石に東間には気づかれた。しかし、その頃には竜弥は抜刀し、地面に下りてあたりを見渡していた。


「あった!」


 看護官と思しき隊員が、腰に楓の刀を差している。


「すみません!」


 そう叫びながら、竜弥は看護官に突進。脇差に導かれるようにして、全速力で駆け寄る。

 脇差を逆手持ちにして、柄の先端で看護官の腹部を殴りつけた。


「ぐふっ!」


 腰を折る看護官。彼の腰元を一閃する。

 もちろん、看護官を斬ったわけではない。彼が刀を括りつけるために使っていたロープを狙ったのだ。

 がしゃん、と音を立てて地面に落ちる刀が二本。竜弥はすぐさまそれを拾い上げ、楓に向かって叫んだ。


「楓! お前の刀だ! これ以上死傷者が出ないうちに、お前も戦ってくれ!」


 そう叫び、続けて奥義を使わないようにと付け足す。

 見事に二本の刀を手にした楓は、『ああ!』と短い返答をして、自分たちの後方へと回っていった。


「何をしている、竜弥少年!」


 慌てて東間が駆け寄ってきたが、そんなことは気にもかけなかった。

 

「後方に展開中の敵は楓が掃討します! それより、沼に入った隊員の救助を!」

「一体何を言って……」


 東間ほどの大男が狼狽する様子は、意外なほど滑稽であった。

 しかし、そんな場を諫める存在があった。


「東間、彼の言うことには一理ある」

「か、神山隊長……」

「引き続き、民間人の警護を頼む。できるな、東間?」

「はッ!」


 短く返答した東間の顔には、既に狼狽の色はなくなっていた。一瞬で判断を切り替える術を会得しているのだろう。


 一方の神山は、襟元のマイクに声を吹き込んだ。


「総員、左右からの敵の挟撃を警戒しつつ後退! 負傷者を収容して陸に上がれ! その後は手榴弾を投擲し、沼の中の怪獣を殲滅する!」


 その時、微かに神山と竜弥の目が合った。神山は何のリアクションも示さなかったが、竜弥には彼が、久々に『父親らしい』目をしているように思われた。

 我が子の為したことを肯定する。そんな目だ。まあ、自分の子供だけでなく、部下たちにもそういう目をすることはあるのだろうけれど。


 そこから先は騒がしかった。前方からは銃撃音。後方からは斬撃音。


「隊長、もうじき弾薬が切れます!」

「負傷者の収容は?」

「あと三十秒、持たせてください!」

「了解、私の弾倉を使え。これ以上怪獣どもを引きつけさせるな!」

「はッ!」


 後方を見遣ると、楓が地面や木々を蹴り、立体的に動き回って小型の怪獣を斬り捌いていくところだった。

 短くステップを踏み、リーチの短い怪獣の鋏を次々に斬り落としていく。かと思いきや、その場で回転するようにして、まとめて怪獣たちをこま切れにしてしまう。

 ここは奥義を使わずとも、どうにかなりそうだ。


「隊長! 総員退避、沼地からの退避を完了しました!」

「了解。各員、頭上を警戒しつつ木陰に入れ。爆風に注意! 手榴弾を沼に投げ込め!」


 ざっと空間が分かれるようにして、隊員たちが左右に散った。


「どうわっ!」

「こっちだ」


 後ろから東間に襟を引かれ、竜弥は短い悲鳴と共に木陰に引っ張り込まれた。

 どうやら、ダンゴムシ状の怪獣は、これ以上降ってこないらしい。


「下がっていろ」


 すると東間は、負傷者とは思えない敏捷さで手榴弾のピンを抜き、身を乗り出して放り投げた。他の隊員たちもそれに続き、ちゃぽん、という落下音が連続する。

 その直後、ズドオオオオオオン、という凄まじい音、いや、もっと原始的な空気の振動が、竜弥を襲った。


 耳を聾されるばかりでなく、全身が揺さぶられる。すると頭上から、ばさばさと木の葉に水滴が降りかかった。それらはやがて、竜弥や東間の頭上に注がれ、あっという間に皆の服をびしょ濡れにしていった。


 爆音によって一時的に耳は潰された。が、目は問題ない。東間に引き留められるより早く、竜弥は木陰から身を乗り出した。そして気づいた。降ってきたのは、水滴ばかりではないということに。


「うっわ……」


 鋏や甲殻の破片、それに青黒い臓物の類が山道を埋め尽くしていた。

 反対側を見ると、楓が刀を勢いよく振り、鞘に戻すところだった。どうやら、ダンゴムシ型の怪獣たちも殲滅されたらしい。

 取り敢えず、この惨状を実来が目にすることがなかったことに、竜弥は胸を撫で下ろした。


「楓、無事か?」


 振り返り、無言で頷く楓。

 それに頷き返そうとした竜弥は、しかし再び木陰に引っ張り込まれた。


「安全が確保されるまで、お前はじっとしていろ」


 東間に睨まれてしまっては、竜弥に為す術はない。

 竜弥はすごすごと東間の背後についた。


 ようやく戻ってきた聴覚を駆使して周囲を探ると、どうやら隊員たちは警戒を解いていないようだった。

 確かに、この沼は小規模と言えども、視界が利かない状態で渡り始めるには未だに危険だ。


「西野、無事か?」

「はッ、無傷であります、隊長!」

「山麓部で待機中の本隊に通告、対戦車ヘリの出撃を要請しろ」

「と、申しますと?」

「今の我々には、まともな武器が残っていない。退路を確保するには、重火器を装備した航空機による援護が必要だ。夜明けまでは?」

「あと九十分ほどです」

「了解した」


 すると、神山はマイクを口元に遣った。


「総員、木陰に入りその場で待機。負傷者の処置と、周辺警戒にあたれ」


『了解』という言葉が、あちこちから上がる。すると、竜弥の眼前で動き出す者がいた。東間である。


「あ、東間さん? あなたも怪我人なんじゃ……」

「掠り傷だ」


 すると東間は、隣の木陰にいた隊員から長い小銃を受け取った。竜弥は、東間が狙撃担当であることを思い出した。

 素早く狙撃銃を背負った東間は、熊のような体躯ながら、猿のように素早く木を上っていく。ぐいぐいと自身の身体を引っ張り上げた東間は、枝を揺すり、その強度を確かめてから腹這いになった。

 皆の頭上をカバーするつもりなのだと、竜弥は気づいた。


「おい、竜弥」

「うわっ!」


 東間の挙動を目で追っていた竜弥の視界。その外から、突然声が発せられた。


「何だ、楓か……」

「何だとは何だ。見たところ、怪獣の動きは沈静化したようだから、私も休もうと思ってな」

「そうだな、今も戦ってたんだし、ゆっくりしろよ」

「うん」


 すると楓は、そのまま歩を進めてきた。


「ど、どうしたんだ、楓?」

「お前こそどうした、竜弥。おどおどしているじゃないか」

「ここ、俺の寝床にしようと思ってたんだけど」

「私もだ。ここからなら、怪獣が追ってきてもすぐ迎撃に出られる」

「そういう話をしてるんじゃねえ!」

「そういう話、ってどういう話だ?」

「話ってのは――」


 そう言いかけて、竜弥は俯いた。両手を腰に当て、ため息をつく。だが言葉が出てこない。

 國守楓は、大正時代の人間である。そして根っからの武人だ。


 自分が休む環境にあまり執着がないのは、分かる気がする。

 だが、こちらからしたら大変な事態である。歳の近い異性のそばで眠れと言われて、寝つけるはずがあるまい。


「ちょっ、待てよ楓!」


 白兵戦で勝てなくとも、追い払うことはできると思った。が、身体が動かない。否、動けない。


「ほら、休むぞ竜弥。腰を下ろしたらどうだ」

「……」


 全く、時代と生き方が違うと、こうも考えに差異が生まれてしまうのか。同じ日本人だろうに。


 ああ、だからこそ、か。同じ土地の、同じ種類の動物でさえ、こんなに違うのだ。宇宙から来た怪獣なんて、仲間にはできるはずがない。

 一抹の寂しさを覚えながら、竜弥はゆっくりと腰を下ろした。


 大木の根元に身体を預け、目を閉じる。

 しかし、やはり落ち着かないことに変わりはない。というより、楓の肩が上下していることに気づかされ、酷く狼狽えた。


 ずっと戦いっぱなしだったのだから、呼吸が荒いのも分かる。だがそれが、異様に竜弥の心拍を上げているのも事実。


 結局、竜弥は一睡もできなかった。

 次の事件が発生するまでは。

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