第12話
※
「ん……」
竜弥は自分の身体が揺すられるのを感じ、目を覚ました。
泥と血の臭いが鼻腔を占め、思わず顔を顰める。僅かに顔を上げると、漆黒の夜闇と、それを切り取るように動く白い円が複数見えた。あれは懐中電灯の光か。
それにしても、どうして自分は気を失ったのだろう。竜弥は鈍くなった頭を高速回転させる。しかし、それを思い出すよりも早く、ドスの効いた声が響いた。
「気がついたか」
「うわっ! あ、東間さん……」
「今は作戦中だ。静かに」
その頃になって、竜弥はようやく自分の状況を察した。赤ん坊のように背負われているのが分かったのだ。
「あの、俺はどうして、いや、何があって……?」
「どうやら、剣術使いには気絶する癖があるらしい」
「えっ?」
それきり、東間は黙り込んでしまった。
ふと横を見ると、周囲に目を光らせながら楓が歩いていた。だが、その腰元に刀はない。
「刀……」
ああ、そうだ。自分は楓の脇差を使って怪獣を斬り捨てたのだ。東間を助けるために。
その後、テントに戻って実来と楓の無事を確かめようとして――それからどうなった?
問うような視線を楓に向ける。ちょうど目が合ったが、楓のリアクションは意外なものだった。一瞬驚いた様子を見せて、すぐに顔を背けてしまったのだ。
気恥ずかしい気配を感じたが。ん? 待てよ?
「あ」
竜弥は極々短い叫び声を上げた。
気を失った俺は、倒れ込んだのだ。直前の記憶が正しければ、楓に正面から縋りつくように。
静かな行軍の中、竜弥は一人で顔を赤くした。それからすぐ、その顔は青白くなってしまう。
これって、まさかセクハラなのか。何とか誤解を解きたいが、楓の時代に『セクハラ』なんて言葉があっただろうか。もしかして、楓の時代だったら死罪にでも問われるのではないだろうか。
そんな考えに混乱を覚えながら、竜弥はかぶりを振った。すると、楓とは反対側に、ずっと親しい人物の顔があるのに気づいた。
「実来……」
彼女もまた気を失い、自衛隊員に背負われている。静かに寝息を立てているのが分かり、ほっと安堵した。
だがそれも束の間、実来を背負っている人物の姿を認め、竜弥は思わず顔を歪めた。
自分が助けに出向いたはずの実来が、どうしてよりにもよって神山なんかに背負われているのだろうか。
竜弥は、すぐさま神山を浅ましい大人だと断じた。
こんな時ばかり親らしいポーズを取っているつもりか、と訝しんだのだ。
これほど他人を怒鳴りつけたい衝動に駆られたのは、ごく久し振りのこと。
そんな竜弥の心境を知ってか知らずか、東間は『今は静かに』と繰り返すだけ。
素っ気ないことこの上ないが、彼の指示には従わざるを得まい。竜弥はぎゅっと、自分の唇を噛み締めた。
それからしばしの時間が経過した。実際には十分ほどだったが、竜弥には一時間にも二時間にも感じられた。
何せ、件の『浅ましい大人』が妹を負ぶっているのだ。その事実から湧き出す不快感に、竜弥はすっかり参ってしまっていた。
勝手について来てしまったといっても、実来が大事な家族であることに変わりはない。それを、『大事でない浅ましい大人』に任せなければならないとは。
昔から正義感が強いと言われていた自分にとって、それは看過し難い事態だ。
その瞬間、嫌な汗が背中を伝った。
では、その正義感は誰に授けられたものだ? 『この男』から与えられたのではないか?
汗が伝った跡から、背中が冷たくなっていく。
「俺は、一体……何をやってるんだ?」
これは怒りなのか、悔しさなのか、憎しみなのか。
さっぱり見当はつかなかった。いや、選べなかった。
所詮自分は――『あの男』だけではないにしても――、大人に頼っておんぶに抱っこの根性なしのままなのだろうか。
それに比べて、コイツはすごいなと、竜弥は視線を再び反対側に遣った。
何だか怪しい視線を感じ、楓はふと脇へ視線を巡らせた。
気のせいだろうか。敵意ではない、不思議な感覚を捉えたような気がしたのだが。
まあいい。今は作戦中だと、先ほど東間が言っていたではないか。自分も警戒の糸を途切れさせるわけにはいかない。
そう考えたはいいものの、なかなか神経が周囲に行き届かないのがもどかしい。
何故なら、自分は自衛隊の人々に囲まれ、守られる側の人間として扱われているからだ。
自分は武人ではなく、『民間人』とやらに区分された模様である。
この部隊は、総数が二十名ほど。山中には、哨戒任務を帯びて散開した別動隊がまだいるらしい。
それにしても、竜弥は先ほどの東間の嫌味に気づいていないのだろうか? 『剣術使いには気絶する癖があるらしい』のくだりだ。
確かに、自分は未熟者。何度も自称し、他人にも言われてきたことである。
だが、あの時東間に蹴りを打ち込まなかったのは、一重に竜弥が怪我をするのを避けたかったためだ。実際は、はらわたが煮えくり返る思いだった。
東間は優秀な狙撃手なのだと、竜弥は言っていた。しかし、東間は明らかに、剣の重さというものを知らない。魔晴剣術というものを、ひいては母上を軽んじている。
それは、楓にとって許し難い事態だった。
山林で戦いに赴く方が、こんな連中に頼って撤退するより、自分の生きる道には合っている。
母上は、この時代の人々のためにと、自分を時空転移させて戦わせようとしたのだ。ならば、一体でも多くの怪獣を斬り伏せることこそ、自分の『在り方』ではないのか。
考え込んでいる間に、ふと視界が狭まった。前を歩いていた隊員にぶつかりそうになったのだ。はっと顔を上げると、易々と実来を背負った神山が、何やら手で仕草をしていた。
よく分からずに首を傾げていると、そばを歩いていた西野が囁いた。
「あれはハンドサインと言って、部隊の統率に必要なものなんだ。どうやら、沼地に着いたらしい」
楓は軽く頷きながらも前方から目を逸らそうとはしない。
前方がどんな状態なのか、知りたかったのだ。
「前に進むよ」
西野の親切な言葉に、再び頷く楓。
自分も助力になろうと、腰元に手を遣って刀を引き抜いた――と思ったのだが。
「ん?」
『何もない』という違和感が、楓の不安を掻き立てた。
そうだ。今自分は、帯剣を許されていないのだ。せめて二刀流の片割れでもあれば、いくらだって怪獣を切り刻んでやるのに。
楓は拳を、ぎゅっと握りしめた。
まさに次の瞬間だった。銃声が轟き始めたのは。
「沼地に怪獣が?」
「あ、ああ、楓さん! ちょっと!」
西野を跳ね除け、部隊の最前列から顔を出す。その時、楓の目に飛び込んできたのは、この地形に適応・進化した怪獣の姿だった。
「うあっ!」
最前列、沼の膝まで浸かった隊員が驚きの声を上げる。すると直後、彼の姿は一瞬で沼の中へ没した。
「一時撤退!」
「退け! 退くんだ!」
「ぐあっ、足を噛まれた! 助けてくれ!」
迅速な下山を試みたばかりに起きた惨劇だろう。日が昇ってから踏破を目指せば、まだ怪獣の動きを水面上から見ることができたかもしれない。
しかし今は、言うまでもなく真夜中である。沼から飛び出してくる怪獣の鋏や牙は、避けようのないトラップ同然だった。
「ん……?」
楓は目を凝らした。牙? 怪獣に牙などあっただろうか?
「総員、沼から出ろ! 手榴弾を投擲して沼の中の怪獣を駆逐し――ぐはっ!」
「副隊長!」
「うあああああああ!」
恐怖に駆られて、がむしゃらに自動小銃を撃ちまくる者もいる。だが、それはどう見ても弾薬の無駄だ。水面下で減速した弾丸が、怪獣の甲殻を撃ち破れはしない。
その時、不穏な気配が頭上から迫ってきた。
「皆、散れ!」
楓が叫ぶ。慌てて場を空ける隊員たち。
降ってきた不穏な気配の主、それもまたやはり怪獣だった。
しかし、その図体はだいぶ小さい。精々、自分の腰の高さまでだろうか。
それが、ダンゴムシのように丸くなって、次から次へと降ってくる。
その半数ほどは、銃撃によって着地前に駆逐された。しかし、地上に降り立った怪獣は、すばしっこく動き回りって後方へと展開していく。
自分たちを包囲するつもりなのだと、楓にはすぐに察せられた。敢えて楓には攻撃せず、転がりながら包囲網を築く怪獣たち。
「くっ!」
刀さえあれば、自分だって戦えるのに。
歯噛みする楓。だが、その機会は意外な形でやってきた。
「楓! お前の刀だ! これ以上死傷者が出ないうちに、お前も戦ってくれ!」
「竜弥? どうやって私の刀を?」
「話は後だ!」
放り投げられた刀の柄を、寸分の狂いなく楓は手にした。続いて、もう一本。
「分かってるよな、奥義は使うなよ!」
「ああ!」
そう言って、いささかの倦怠感を覚えつつも、楓は怪獣の作った円陣に斬り込んでいった。
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