第11話




 薄ぼんやりと、何かの気配を感じる。

 それは温かくて、懐かしくて、常に自分を見つめ続けてくれていた者の気配だ。


 しかし、待てよと楓は疑問を抱いた。『懐かしい』と感じるほど、時間が空いていただろうか? それこそたった今、別れを経験したばかりであるような……。


「んっ……」


 自分が目を閉じているのは自覚している。それでも、その懐かしい『光』が暗闇の向こうへ姿を消すのを、楓は確かに感じた。


「母上っ!」


 気づいた時には、楓はベッドから身を起こしていた。あちらこちらから、火縄銃――いや、この時代の銃器の銃声が響き渡ってくる。


 ああ、そうか。自分は奥義を使って、気を失ってしまったのか。全く以て情けない。

 すぐにでもこの武人たち、自衛隊に加勢しようと刀に手を伸ばす。しかし、


「ッ!」


 楓は思わず息を飲んだ。

 そうだ。刀は没収されていた。だから自分は医療用の針を使って、怪獣を倒したのだ。


 前後関係はさておき、喫緊の問題は、自分のそばに刀がないことだった。

 刀がなければ戦えない、などと弱音は吐くまい。しかし、身体技術だけであの怪獣を相手にするのはあまりにも無謀だ。


 何か武器になるようなものはないか? ベッドから下りた楓は、素早く周囲を見渡した。薄暗さには既に目が慣れている。それでもこれといったものは見つからない。

 これ以上奥義を行使できない以上、そのあたりの医療用の針やら鉄骨やらを持ち出して戦うわけにもいかない。


 一体どうしたら――。

 その時、ふっと何者かの気配がした。見知った人物のものだ。だが、その気配の数は揺らいでいる。一人? それとも二人? 

 ぐっと身構えた楓の視線の先、カーテンを開けて入ってきたのは竜弥だった。


「おい、大丈夫か、楓!」

「た、竜弥! ど、どうしたんだ、血塗れじゃないか! 早く処置を!」

「違う、これは怪獣の返り血だ。お前の母さんが、俺に戦わせてくれた」


 すっと、一本の短刀を差し出してくる竜弥。それは鞘に収まっていながらも、青白い光を帯びている。


 楓は一瞬、息が止まる思いがした。これは自分の脇差ではないか。


「竜弥、どうしてこれを?」

「どうして、って……。夢で会ったんだよ、國守葵さんに。そうしたら、この脇差を使って皆を助けろって」

「お前に使いこなせたのか、これが? 私だって、実戦で使ったことなどないんだぞ?」

「そ、それが……」


 竜弥は言い淀んで後頭部に手を遣った。お構いなしに、あちこちから銃声が轟く。


「何だ、はっきり言え!」

「この脇差に、身体が引っ張られたんだ。ついていくのがやっとだったけど、お陰で東間さんを助けられた。彼が皆を援護して、このベースキャンプを守ってくれていたんだ」

「そうか」


 竜弥の険のない態度に、楓も自然と落ち着きを取り戻した。

 なるほど。さっきカーテンの向こうで二人分の気配がしたのは、竜弥本人の気配と、脇差に宿った母上の気配、その二つだったということか。


 ふと、楓の胸中に不安が走った。


「竜弥、身体は何でもないか? 奥義を繰り出した後の私のように、倒れ込んだりするんじゃ……」

「え? 何言ってんだ、俺はご覧の通り元気で――あれ?」


 言わんこっちゃない。楓は額に手を遣りたくなるのを堪えて、竜弥に手を差し伸べた。


「やはりな……。奥義を行使したり、他人の遺志の宿った刀を使うのは、使用者に大変な疲労を強いるんだ。今度はお前が休んで――きゃっ!」

「うぐ……」


 楓が年相応の、いかにも女子らしい声を上げてしまったのも無理はない。気を失った竜弥が、倒れ込んできたからだ。よりにもよって、彼女の胸元に。


「な、ななな何をするんだ無礼者! 下郎! 破廉恥!」


 今度こそ、楓は顔を真っ赤に染めた。しかし、竜弥は気づく様子がない。


「わ、私は修行中の身だ! その、ひ、貧相だからと言って、誹りを受ける謂れはないからな! 私だって、母上くらいの年になれば――」

「むぐ……」

「おーい、竜弥くん、楓さん! 無事か!」


 竜弥を引き剥がそうと必死になっている楓の前で、カーテンが呆気なく引き開けられる。

 そこに立っていたのは西野だ。彼は一瞬、目を丸くした後、


「ご、ごめんよ、邪魔をした……ってそうじゃなくて!」


 ごくりと唾を飲み、呼吸を整える西野。


「このベースキャンプを放棄し、一時撤退する! 二人共、歩けるか?」

「この陣を捨てると言うのか?」

「止むを得ない、神山隊長の命令だ! 我々が第一陣として下山する!」

「し、しかし、下山道には怪獣たちが――」

「分かっている。東側からの下山は困難だ。南側の、沼地を抜けるコースで行く」

「沼地?」


 ふむ。確かに、水中から怪獣が襲ってくるという場面に出くわしたことはない。


「分かった。私は歩ける。刀を」


 ずいっと腕を差し出した楓を前に、西野は俯いてため息をついた。


「どうしたんだ、西野? 早く刀を寄越してくれ」

「それが……。刀を渡したら、また君が気を失う恐れがあるだろう? それはどうしても避けたいんだ」

「なっ!」


 楓は目を丸くした。


「無礼な! 私は魔晴剣術の正当な後継者で――」

「でも修行中の身なんだろう?」


 その言葉に、反論の余地のないことを悟る楓。


「刀がなくとも、君は我々の足を引っ張らずに行動できると、神山隊長は評価した。代わりに、動けない竜弥くんは東間が背負っていくそうだ」

「あ、ああ」


 いつの間にか、自分の胸元で寝息を立てていた竜弥を見て、楓は思いっきり拳を振るった。


「ふん!」

「べぎゃっ! むにゃむにゃ……」


 悲鳴を上げながらも、なお眠り続ける竜弥。そんな彼を前に、楓は気まずそうな顔をして視線を逸らした。何も殴り飛ばすことはなかったか。


 その時、ふっと何者かが背後で動くのを感じた。敵意はない。ゆっくり振り返ると、実来がひしっと自分の背中に腕を回してきた。


「か、楓ちゃん! これ、どういうこと? 鉄砲の音がする!」

「こ、これは――」

「落ち着いてくれ、実来ちゃん」


 説明を買って出たのは、やはり西野である。楓にしたのと同じ説明をしてから、こう付け加えた。

 

「実来ちゃんはまだ体力がないから、誰かに背負って行ってもらうといい。周囲は皆が守りにつくから」

「しかし西野、実来を背負う余裕がある者などいるのか?」

「それは……」


 楓の問いに、どうしたものかと頭を捻る西野。

 この撤退戦の中、狙撃の必要がなさそうだという判断の下、竜弥のお守りは東間が務めることになった。

 だが、戦闘に当たる人員を割けない以上、誰が実来を運ぶのかは大きな問題だ。計画を変更して、実来に『自分で歩け』というわけにもいかない。歩行困難な沼地を突破するというのに。


 その時だった。ばさりとカーテンが捲れて、一人の自衛隊員がこちらに入ってきた。


「私が背負う」

「か、神山隊長!」

「敬礼は不要だ、西野。それより、何か紐はないか? できるだけ丈夫なものがいい」

「はッ、これを」


 西野は、書物を入れていた大型ポーチから一本のケーブルを取り出した。

 それを手に取り、頷く神山。


「うむ。実来、こっちだ」

「……」

「実来?」


 楓は眉をひそめた。実来は何を躊躇っているのか。父親に指示をされているではないか。


「どうしたんだ、実来?」


 神山に倣い、楓も問いかける。


「……怖い」

「何?」

「鉄砲、怖い……」


 ぎゅっと楓の道着をの裾を握りしめる実来。しかし、楓には彼女を励ます、という選択肢はなかった。心に湧いてきたのは、怒りだ。


「何を言っているんだ、実来!」

「ひっ!」


 実来は短い悲鳴を上げる。神山にならいざ知らず、歳が近い楓に叱られるとは、思ってもみなかったのだろう。


「実来、お前の父上は武人だぞ! そんなにがたがた震えて……。情けないとは思わないのか!」

「ちょ、それは言い過ぎだ、楓さん!」


 西野が仲裁を試みたが、楓の鋭い眼光を前に、一瞬で沈黙した。


「いいか実来、父親は大黒柱と言ってだな、家訓を定め、体現し、皆が尊敬する人物なんだ! その父親――神山竜蔵殿に従えないとは、何事だ!」


 男勝りの口調が、ますます荒くなる。それと同時に、見る見るうちに実来の両目から涙が溢れ出す。

 意外なことに、それでも楓は容赦がなかった。父を敬え、指示に従えと怒鳴りつけるばかり。


「た、隊長、止めなくていいのですか?」

「……」


 すると、唐突に喚き声が止んだ。楓がぞっとするほど冷たい声で、こう言い放ったからだ。


「早く動け、神山実来。さもなくば貴様を斬る」

「あっ! お、おい、乱暴はよせ!」


 西野が楓の肩を掴み、振り返らせた。と同時に、強烈な拳が西野の頬にめり込む。


「ぐへっ!」


 それと同時に、あまりの恐怖からか、実来は気を失ってしまった。ぱったりとその場に倒れ込む。


「神山殿、これで実来は運びやすくなりました。早急に陣を畳み、撤退を」


 神山の顔が微かに引き攣った。しかしそれに気づけるほど、楓は大人ではなかった。

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