第10話


         ※


 始まったな、と、東間鉄也は胸中で呟いた。

 東間が今いるのは、ベースキャンプのすぐ北側に建てられた見張り台である。戦国時代の櫓に似た、鉄筋製の高台。

 レーダーや赤外線で敵を捕捉できなくなった際、目視でも敵を攻撃できるようにと、神山が建てさせたものだ。高さは約十二メートル。


 どうやらそれが役に立つ時が来たらしい。現に今、この瞬間にも、東間の目にはあちこちで飛び交う火線が飛び込んできている。

 そして、地中から湧いてきた怪獣たちの艶のある甲殻も。


 東間は無言で、神山の言葉を反芻した。『全兵装の使用許可』――思う存分、徹底的にやれということだろう。

 そう思いながら、背後に腕を伸ばす。引っ張り込まれたのは、立てかけておいた銃器だ。

 対物狙撃用ライフル。一際長い銃身、加えて一際大きな口径を有する。少なくとも、人間相手に使う代物ではない。


 東間は高台の上の床面に腹這いになり、額の汗をさっと拭った。それから一度、スコープを覗き込む。


 まずは、ベースキャンプに近い敵から掃討するのが定石。

 空気の状態は、やや湿度が高く、無風。目標までの距離は三百メートルといったところか。


 セーフティを解除し、指先でレバーを操作してセミオートに設定。

 そして呼吸を整え、何の前触れもなく引き金を引いた。

 

 ダァン、という重厚な発砲音がして、空気が切り裂かれる。いや、抉られると言うべきか。刀で斬るのとは似て非なる破壊現象が、スコープに映った怪獣を襲った。

 怪獣は、一瞬で弾けとんだ。眼球を潰すように怪獣の体内に飛び込んだ弾丸は、生じた気圧差で怪獣をその体内から四散させたのだ。


 次。次。次。

 東間は冷徹な殺傷機械となり、躊躇なく引き金を引き続ける。そして、発砲音が響く度に、怪獣が一体、また一体と破砕されていく。


 傍から見れば、かなりの功績を挙げたように見えるだろう。事実、東間は多くの怪獣を、味方が接触する前に打ち倒していた。

 しかしそれも、弾倉一つ分の弾丸を撃ち放つまでのことだった。


「チッ」


 予想より早いなと思い、東間は舌打ちを一つ。

 高台がぐらつき始めたのを感じたのだ。襟元の小型マイクに音声を吹き込む。


「こちら東間、地中から攻撃を受けている。敵勢力は、この高台を倒すつもりだ。援護を頼む」

《あ、東間、無事か? いや、了解!》


 西野の声を受けて、東間は狙撃銃を背負い込んだ。代わりに手にしたのは、皆に支給されているのと同型の自動小銃だ。

 がくん、と揺さぶられながらも、東間は高台の手摺から身を乗り出し、真下に銃撃を開始した。


 東間もまた、西野と同様に怪獣の知性を高く見積もっていた。

 ベースキャンプ本陣は、地中からの攻撃は受けまい。あの少女――國守楓が本気を出せば、怪獣たちは一網打尽の憂き目を見る。

 だからこそこうして、ベースキャンプを包囲するように出現したのだ。


 しかしながら、狙撃を行っている自分の位置が、こうも早く特定されるとは。

 ベースキャンプのそばであるため、手榴弾も使えない。やはり、頼みは自動小銃だけだ。


 間もなく、自分の真下で銃撃が開始された。味方の援護射撃だ。何千、何万という銃弾が、湧いてきた怪獣たちに向かって放たれる。数発に一発含まれている曳光弾が、東間の目に眩しい。


 対する怪獣の様子はどうか。前方に目を戻した時、そこで展開された怪獣の挙動を前に、東間は僅かな焦燥感を覚えた。

 怪獣は、眼前に鋏を翳し、頭部を守っていたのだ。チリチリと高い音がするのは、銃弾が鋏と甲殻で弾かれているからか。


 つまり、こういうことだ。

 怪獣は、自分たちが攻撃される際、『何か』、すなわち弾丸が飛来してくることを察知したのだ。その弾丸が、自分たちを殺傷しているということにも。


 そこまでバレてしまっては、こちらが取り得る作戦は大幅に削られてしまう。

 何せ、主要装備である自動小銃が通用しないのだ。対人戦であればまだしも、怪獣が相手となると、こちらの攻撃を防ぐだけの甲殻を相手にしなければならない。


 通用するのは、対物狙撃銃、無反動ロケット砲、手榴弾、対戦車ヘリの機銃掃射といったところだろうか。


 やや後退して防御体勢を取ったのも束の間、怪獣たちは鋏で頭部を守ったまま、ジリジリと前進を開始した。高台の揺れも酷くなってきている。

 東間は自動小銃を脇に挟み、襟元のマイクを口元に寄せた。


「こちら狙撃担当、東間」

《東間、無事か? 今皆が援護に――》

「止めさせろ、西野」

《えっ?》

「援護射撃を止めさせろ。後退命令を出すんだ。今の怪獣の知性は、俺たちの想像を超えている。原始的だが利口な奴らだ。このままでは不要な犠牲が出る」

《お、お前はどうするんだよ?》

「構うな」

《そんなわけにいくか!》


 唐突に怒鳴りつけられ、東間自身も僅かに驚いた。耳元のスピーカーを外したものの、西野の言葉は続いている。


《嫁さんとお子さんはどうする気だよ? お前が支えていかなきゃならないってのに!》

「それは地上部隊の皆だって同じだ」

《だ、だが……!》


 その言葉の直後、ぐわん、と東間の身体が大きく揺さぶられた。ついに高台の基盤が限界を迎えたのだ。

 しかし、東間に何の生存戦略もなかったわけではない。

 ここは山林だ。いざとなれば、着地寸前に飛び降りて、木々の枝をクッションにしながら地面に落ちることができる。柔道の受け身を取れば、身体への損傷は大きく軽減されるはず。


 一際大きな揺れが、東間の全身を襲う。怪獣の群れとの距離を取れることを確認し、東間は思いっきり前方に跳んだ。

 その直後、ざざざざっ、と騒がしい音を響かせ、高台は完全に倒壊した。


 斜めになった高台の先端部から、跳躍を試みた東間。高さは約十メートル、ビルの三階ほどの高さからの落下とみていい。身体を捻り、同じくざざざざっ、という音に呑み込まれていく東間。


 彼の全身を、木々の枝葉が容赦なく打ちつける。

 プロテクターを装備していた肘や膝、防弾ベストに包まれていた胴体は無事だ。だが、剥き出しの顔は守り切れなかった。


「ぐっ!」


 奥歯を噛み締める東間。どうやら左目の僅か上を、木の枝が掠めたらしい。危うく左目を失明するところだった。

 

 そのまま東間の身体は、地面に打ちつけられた。何とか転がり、無理やりに接地面積を増やして、頭部や臓器への打撃を軽減する。


「がはっ!」


 肺から勢いよく息を吐き出した東間は、素早く自分の身体を検める。

 四肢、軽傷。左腕を打撲。意識、明瞭。ただし左瞼から出血、視界は狭い。臓器、異常なし。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 何とか立ち上がり、巨木に背中を預ける。しかし、そんな彼の足元が、不穏な動きを見せた。

 訝し気に眉を顰めた直後、東間は勢いよくサイドステップを踏んでいた。怪獣の鋏が、地中から飛び出してきたのだ。両足が無傷だったのは、不幸中の幸いか。


 しかし、そうも言ってはいられない。怪獣に自分の居場所が捕捉されているのだ。

 そう思い至った直後、ぼごん、という鈍い音と共に、前方に怪獣が出現した。ざあっ、と土くれが降り注ぐ。距離は約十メートルといったところ。


 鈍痛に歯を食いしばり、東間は拳銃を腰から抜いた。

 こんなものが通用する相手でないことは分かっている。要は、ここが自分の死地なのだ。


 せめてもう一度、我が子を抱いておけばよかったか。

 そんな甘い幻想と共に、無駄な銃撃を始めようとした、その時だった。


 ずばん、という勢いのある音がして、怪獣を縦に割るような一閃が煌めいた。

 直後、悲鳴を上げる間もなく怪獣は両断され、左右にぱっかりと分かれて横たわった。その反対側に立っていたのは――。


「竜弥少年!」


 これには東間も驚愕し、痛みを無視して目を見開いた。

 間違いない、神山の息子・竜弥である。しかし、武術の経験もないと聞いていた少年が、一体何をしたというのか。


「東間さん! 直掩部隊はベースキャンプに戻りました! あなたも早く!」


 そう大声を張り上げる竜弥。その姿を見つめて、東間は気づいた。竜弥が短剣を握っていることに。あれで怪獣を両断したというのか?


 いや、何をどうしたのかは今は関係ない。自分はまだ戦える。ならば生きて、味方に合流すべきだ。


「すまぬ、少年!」

「止めてください、その『少年』っていうの! 竜弥で構いません。――おっと!」


 次に竜弥が取った挙動は奇妙なものだった。

 青白い光を帯びた短剣。それに引っ張られるように、次の怪獣に向かっていったのだ。

 いや、怪獣が地中から顔を出すよりも、竜弥の移動の方が早い。


 竜弥が思いっきり右腕を振りかぶり、短剣を投擲する。すると、その剣先にあった地面から、青黒い液体が噴出した。間違いなく怪獣の血だ。その上を跳び越えながら、竜弥は短剣を回収。


「ほら、早く!」


 と怒声を上げて、竜弥は先立って駆け出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る