第9話【第二章】

【第二章】


 ひどく静かな夜の山中を、竜弥は歩いていた。舗装されていない、土が剥き出しの山道。細い獣道のようになっていて、鬱陶しいくらいの草木が両脇から迫っている。


 何故自分がこんなところにいるのか。全く以て不明である。今までの記憶も曖昧だ。

 だが、そんな竜弥の意識に、明確に切り込むものがあった。上空に輝く、一筋の光。


 月や星々の比ではない、目が潰されるのではないかと思えるほどの光量だ。爆光と言ってもいい。


「うっ!」


 竜弥は慌てて腕を翳し、瞼をぎゅっと閉じた。

 間もなく、光は現れた時と同様にすぐさま小さくなり、消えた。


「何だったんだ、今の……。って、あれ?」


 再び目を開けた時、竜弥の眼前には寺院のような建物があった。山の中でも、とりわけ静謐な雰囲気を帯びている。振り返ると、そこには長い石段があった。ここまで上ってきた記憶はないのだが。


「俺は、一体……」

(神山竜弥さん)

「はっ、はい!」


 唐突に脳内に響き渡った、柔らかい声音。驚きのあまり、竜弥は勢いよく返答した。


(どうか堂内へ上がって来てください)

「わ、分かりました!」


 自分の応答が、この不思議な声の主に通じているかは分からない。それでも竜弥は声を上げずにはいられなかった。黙っているのは無礼にあたる。そんな気がした。


 スニーカーを脱ぎ、ゆっくりと堂内に上がり込む。ゆっくりと障子を開けると、そこには不思議な光景が広がっていた。壁も床も天井も、薄い青色の光を帯びている。

 その部屋の中央奥に、同様の光を纏った誰かが座しているのに、竜弥は気づいた。


 四十代ほどの女性だ。上品な目鼻立ちでありながら、その目元には強い意志を感じさせる眼光がある。似ている、と思った。この人は――。


「あの、あなたは、國守楓さんの」

「はい。楓の母親、國守葵と申します。そちらの時代で、楓がお世話になっているようですね」

「いっ、いえ! こちらこそ!」


 慌てて頭を下げながら、竜弥は眉間に皺を寄せた。そちらの時代、だと? どういう意味だ?

 しかし、すぐさま合点がいった。なるほど、この國守葵なる人物は、大正時代から現代の自分に呼びかけているのだ。どうやってかは不明だが、今は彼女の言葉を聞いてみるしかない。


 穏やかな笑みを浮かべながら、葵は竜弥に座るよう告げた。


「どうぞ足を楽に。正座していただく必要はありません。それに、お話はすぐに終わります」

「は、はあ」

「これに見覚えはありませんか?」


 葵は、自分のそばに置かれていた小さな刀を取り上げた。竜弥はしばし眺めた後、唐突にピン、ときた。


「それは、楓……じゃない、楓さんが腰に差していた、えーっと、あの短い刀は……」

「脇差といいます」

「ワキザシ?」


 穏やかな表情で、頷く葵。


「神山竜弥さん。あなたにも、いずれ試練が訪れます。怪獣と戦わねばならない、という試練です。楓の脇差は、いずれあなたの武器となり、あなたの身を守ります」

「えっ」


 竜弥は目を丸くした。


「そっ、そんな! 俺、じゃない、僕に戦う機会なんてありはしませんよ! 楓や自衛隊の人たちが――」

「ええ、確かにそうでしょう、今は。しかし、あなたも知っているはずです。楓は修行中の身でありますゆえ、一、二回の奥義の行使で気を失ってしまう、と」


 竜弥は『あ』の口を作ったまま固まった。確かに、葵の言う通りだ。


「そんな時、あなたには何とか、守っていただきたいのです。ご自分と、妹君を」

「実来を?」

「あなたにとって、実来さんはかけがえのないご家族なのでしょう?」

「とっ、当然です!」


 勢いのあまり、竜弥は立ち上がった。


「であれば、あなたご自身が戦う覚悟をしておいて損はありません。いざとなれば、楓の脇差を手にお取りください。後は、わたくしがあなたを導き、できうる限りのことを致します。あなた方を守るために」

「そ、そんな、どうやって?」


 しかし、葵がその竜弥の問いに答えることはなかった。


「どうやら、その時機は近づいているようですよ」


 それだけ告げて、葵の姿はふっと掻き消された。


「ちょ、ちょっと待っ――って、あれ?」


 間を置かずに、今度は竜弥の視界全体に霧がかかり始めた。竜弥は直感的に、自分がこの世界――大正五年をモデルにした、國守葵と意思疎通ができる世界から、現実世界へと引き戻されていくのを感じた。


         ※


「むぐ……」


 のそのそと、竜弥は簡易ベッドから身を起こした。隣のベッドには実来が横になっていて、すうすうと寝息を立てている。


「今のって夢、だよな……」

 

 にしてはあまりにも現実的だったが。

 この期に及んで、竜弥は一つの問いにぶつかった。


 自分は、楓が過去の世界からやって来たということを信じているのだろうか?

 我ながら柄にもなく、顎に手を遣って考える。


 楓のタイムスリップを信じるのなら、今の夢の内容を信じることに繋がる。逆もまた然りだ。

 ところで、今は何時だろう? 竜弥はスマホを取り出そうと、ズボンのポケットに手を入れた。

 

 その時だった。耳を聾するサイレンが鳴り響いたのは。

 それに続いて、無線通信が入る。


《至急至急! こちら北西部哨戒班、シェパード6! 謎の敵勢力と交戦中! 増援求む!》

「何だって⁉」


 気づいた時には、竜弥はブランケットを跳ね飛ばし、民間人収容テントから飛び出していた。




 三分後。

 西野忠次は、次々に入る増援の要請に答えながら、神山の指示を待っていた。


 現在のところ、哨戒中に交戦に入った部隊は六つ。ベースキャンプから一番近いところで、南南東に展開中の部隊、コールサインはシェパード2。

 今から増援を出すことを考えると、到着まで十二、三分は見積もらねばなるまい。


「本部よりシェパード2、敵勢力の規模を報告せよ」

《シェパード2より本部、敵勢力の詳細不明! 暗視ゴーグルで捕捉できない! 至急重火器、重火器を搬送願う!》

「無反動砲をそれぞれ二門ずつ、各増援部隊に持たせて出撃させろ。各哨戒部隊に犠牲者を出させるな」

「了解! 出撃準備中の各員――」


 西野は、神山の言葉を繰り返した。

 入山してから三日あまり、突如として攻勢に出た宇宙怪獣たち。一体何が狙いだ? 何を考えている?


 怪獣は、地球で言うところの甲殻類のような姿をしている。それ故、一般の隊員は、彼らには知性が乏しいと思っている。

 

 だが、本当にそうだろうか? それが西野の疑問だった。

 先ほど竜弥たちに見せた書物によれば、彼らがやって来たと思われる隕石は、『落下』ではなく『落着』したのだという。とすれば、高度な物理計算と軌道調整のための知性が必要になる。


 自分たちは、あの怪獣に対してとんだ見当違いをしているのではあるまいか――。

 まさにその時だった。


《こちら本部直掩部隊、東間。南西三百メートル地点に敵勢力を確認。数は三、いや四。交戦許可を求む》


 すると、別の通信士がそれに答えた。


「何を言ってるんだ、東間三曹! そんな近距離に敵が現れるわけがないだろう! 現に哨戒中の部隊が周辺を警備してるんだぞ!」


 しかし西野は割り込み返し、東間に状況説明を求めた。


「あ、東間? 西野だ。敵は、怪獣はどこからやって来たんだ?」

《地中だ。地中から這い出してくる》

「そ、そりゃあ……」


 西野はごくり、と唾を飲み、神山の方に振り返った。


「神山二佐! このベースキャンプは、既に敵勢力の手中に落ちたものと思われます!」

「どういうことだ」


 相変わらず、無感情のまま問いを投げる神山。しかし西野は怯まずに続けた。


「現在、哨戒中の部隊と戦闘中の敵は、囮です! 密かに地中から進行した敵本隊が、このベースキャンプを包囲している可能性があります!」

「根拠は」

「こ、根拠、それは……」


 言い淀む西野の耳に、続けざまに直掩部隊からの報告が入る。

 やや東部に偏ってはいるが、敵は着実に包囲網を形成しつつあった。地中を潜行することによって。


「まずい……」


 西野は、自分の顔から血の気が引くのを実感した。


「神山隊長! これでは退路を断たれます! 付近の自衛隊駐屯地に増援を求めることも困難になります!」

「……」


 神山は無言。しかし、その頭脳が高速で思考しているのが西野には感じられた。


「今から撤退するのは間に合わん。総員、戦闘準備。各々の判断で、敵勢力を迎撃せよ。通信士及び衛生班はここで待機、ただし武装は確認しておけ」

「た、隊長はどうなさいますか?」

「私はここで指揮を執る。一人も後に残すな。全兵装の使用を許可する。このベースキャンプに、これ以上敵を近づけさせるな!」

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