第8話
暴風が収まった時、皆の中心にあった姿は二つ。
まずは、頭部外殻を破砕され、青黒い血だまりを作った怪獣の死骸。
もう一つは、その背部から滑り落ちる楓。
「楓! 楓!」
実来に背を向け、急いで楓の下へ駆け寄る竜弥。滑り落ちたとはいえ、楓はそのままべしゃりと横たわったわけではない。片膝と片腕の拳を地面に着き、飽くまで戦闘体勢を維持したままである。
とは言っても、今の楓の一撃で、怪獣が完全に絶命したのは誰の目にも明らかだった。
「楓、大丈夫か?」
「あ、ああ、竜弥……」
すると、知人がそばにいることに安堵したのか、楓はちょうど竜弥の胸元に頭部を預けるような姿勢で倒れ込んできた。
「ッ!」
テント内の生臭さや泥臭さをやんわりと押し退けて、甘い香りが竜弥の鼻腔を占拠した。
ああ、やっぱり楓も女の子なんだな。そう認識した瞬間、竜弥は自分の心臓がバクン! と飛び跳ねるのを感じた。
まさか、自分の腕の中に同年代の女の子が身を預けるような事態に陥るとは。
助け船となったのは、西野だった。
「あー、竜弥くん? 楓さんはまた気を失ってしまったようだね? さっきと同じ現象なら、ベッドに運ぼうと思うんだ。手伝ってくれるかい?」
「えっ? あ、ははははい!」
そう言って、担架の後方を持つ竜弥。通り抜ける途中、実来が何やら肩を竦めていたが……。一体何があったのか、竜弥には知る由もなかった。
それでも分かることがある。
楓は『奥義』というものを発動すると、気を失うほど体力を消耗してしまうのだ。だったら自分は、抱き締めてあげるくらいのことはしてもよかったのではないか。
いや、楓は気位が高いから、怒るかもしれないけれど。それでも、実来の前で男らしいところは見せてみたかった気がする。
だが、実来の中に『理想の男性像』というものは存在するのだろうか。父が働きづめで、兄である自分に覇気がないとすれば、誰を参考にしたいいのか分からない。
「ふむぅ……」
まあ、分からないことを考えても仕方がない。
それよりも、今し方の楓の攻撃は凄かった。僅か数センチの針だけで、怪獣を倒してしまった。刀でさえやっとだったのに。
いや、針に刀に比する力を与えるから、あれは『奥義』なのか。
そんなことを考えながらも、竜弥の目は無意識に父・竜蔵の姿を捉えていた。
「解剖は理研に任せよう。この死骸を搬出し、すぐに運び出すように。ヘリを一機寄越してくれ」
「了解」
西野が通信機を背から下ろし、アンテナを立てたりダイヤルを回したりしている。
そんな西野を挟んで、実来と反対側のカーテンを抜け、竜蔵の姿は消えた。
そうか。あそこが父の部屋(と呼ぶのだろうか?)なのだ。
機器の操作に手間取っている西野の背後をこっそり通り抜け、実来はカーテンの前に立ち、大きく深呼吸。そして、ばさり、とカーテンを開けて踏み込んだ。
しかし、そんな実来を待ち受けていたのは、父の背中と意外な言葉だった。
「どうしたんだ、実来」
「えっ? どうして分かったの?」
すると、神山は振り返りながら淡々と述べた。
「自衛隊員だったら、まず『失礼します』の一言くらいは述べる。竜弥だったら怒鳴り込んでくるだろうし、あの少女――楓は気絶している。消去法でいけば、今私を訪ねてくるのは実来、お前くらいのものだ」
実来は納得しながら頷き、それから竜蔵と目を合わせた。
「ねえお父さん、兄ちゃんと仲直りしないの?」
「突然何を言いだすんだ」
『突然』と言いながらも、神山の顔にはとりわけ驚いた様子がない。神山は腕を組んで、じっと娘の話に聞き入った。実来は続ける。
「その……。確かにお父さんにも非はあったと思うよ、事故があって、すぐだったから」
「任務の最中だったんだ。私にどうしろと言う」
「そ、そう、だよね……。ごめん、忙しいんだもんね、お父さんは。でも、その……」
「考えがまとまっていないのなら、話は後にしろ」
「……」
考えなど、実来の中ではとうにまとまっている。
兄と和解し、家族としての時間を大切にしてほしい。しかし、それが上手く言葉にできない。
実来は素直に『ごめんなさい』とだけ告げて、竜蔵の部屋を辞した。
実来が入ってくる直前に、竜蔵がかつての家族写真を眺めていたこと――そしてそれを、慌ててぱたんと倒して隠したということは、実来には想像もつかないことだった。
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