第7話

「まずは、君が敵か味方か判断させてもらう」


 そう言って、神山はベッドのそばに立った。

 キッ、と殺人的視線を浴びせかける楓。この状況はマズい。そう思い、竜弥が慌てて飛び出した。


「み、皆、ちょっと落ち着いてくれ!」


 楓に背を向け、神山に相対するように、竜弥は両腕を突っ張った。


「俺は彼女に……國守楓に命を救われたんだ! 俺だけじゃない、実来だって!」

「それは事実なのか、竜弥少年?」


 そう問うたのは東間である。竜弥はぎくり、と背筋を強張らせ、ガチガチと音がするほどの緊張感で振り返った。その視線の先には、東間の冷たい瞳がある。




 いつになくビビってしまっている兄を前に、実来は割合冷静に事態を見ていた。

 偶然にも、竜弥同様に、実来は東間を見てゴーレムを連想している。

 この東間という男性が本当にゴーレムだったとしたら、それは飽くまで敵キャラ、中ボスだ。クラスの友達は、主人公の刀を何度も浴びせることで、この怪物をやっつけていた。


「……ない」

「どうした、実来?」


 父親の腕を振り払い、その脇腹を突き飛ばすようにして、実来は兄のそばに立った。


「あたし、あんたなんか怖くない! 怖くなんかないんだってば!」


 唐突にそう告げられて、流石の東間も目を丸くした。


「お、お嬢ちゃん、勘違いしないで、ね? お兄さんたちは、君たちを助けようとしてるんだ」

「だったら楓ちゃんのことも助けて! 悪い人じゃないんだよ!」


 仲裁に入った西野もまた、実来に気圧されたようだ。ただ一人、楓だけが物言いたげな顔をしている。『楓ちゃん』と呼ばれたことが不本意だったのだろう。


 その時、西野の通信機に連絡が入った。


「神山隊長、怪獣の死骸が回収されました。間もなく運び込まれます」

「了解。お前と東間で、この少女からの聴取を続けろ。くれぐれも、武器になるようなものには触れさせるなよ」

「りょ、了解!」

「了解」


 西野と東間の敬礼を受けて、竜蔵は振り返り、カーテンの向こうに消えた。

 

 さて、どうしたものか。実来は首を捻った。

 目の前には兄の頼りない背中。背後には到底歯向かえそうもない大男。

 それでも、何とか自分が場を治め、楓にとって有利な方向に持って行かなければ。そう実来は考えていた。


 しかし、場は沈黙するばかりである。先ほどは果敢に割り込んできた西野も、今は俯いたまま言葉を発しようとはしない。

 すると実来の眼前で、竜弥はすうっ、と息を吸い、声を張り上げた。


「あ、あのぅおぉっ!」


 一瞬で、再び沈黙に帰するテントの中。

 だが、その意味合いは大きく異なる。まるで、警察署の取調室に小猿が闖入したような空気だ。

 何とかしなければという思いが先行しすぎて、何を語るべきかがすっぽり頭から抜け落ちていた様子である。


 謎の窮地に陥った竜弥を救ったのは、この場では異質な人物だった。


「どうしたんだ、竜弥? 先を続けたらどうだ」

「そ、そうは言ってもな、楓……。俺、何て言ったらいいのか分からないんだよ。お前を助けるのに」

「なっ!」


 その瞬間、楓の顔が朱に染まった。


「馬鹿者! 私はれっきとした武人だぞ! まだまだ修行中の身だが……。それでも丸腰の人間の施しは受けん!」

「武人かどうかは関係ない! っていうか、武人って自負してるだけたちが悪い!」

「何故だ! 私は魔晴剣術の継承者として、お前たちをあの怪獣たちから守ったのだぞ!」


 返す言葉を失い、額に手を遣る竜弥。

 対して、腕を組んで得意気に胸を張る楓。

 介入の余地を見つけられず、はらはらしながら周囲に視線を走らせる実来。


 ここで、意外な動きをする人物がいた。


「も、もう一度言ってくれるかね、君? ま、魔晴剣術、そう言ったのか?」

「そ、そうだが。私は國守葵から直々に剣技を習得した、正当な後継者だ。何か不都合があるのか、西野とやら?」

「ちょっと待ってくれ」


 すると、西野は背負っていた通信機を置き、肩から掛けていた大き目のポーチのようなものから、一冊の書物を取り出した。


「それは何だ、西野?」

「あ、東間も見てくれ、これだ!」


 ベッドを回り込んで、東間の前で書物を広げて見せる西野。

 背伸びをして覗き込もうとしている実来の頭を押さえながら、竜弥は二人の自衛隊員の挙動に注視した。

 目を合わせ、東間と一つ頷き合った西野は、ゆっくりと楓の方に振り返った。


「君、ああいや、國守楓……さん。君がいた時代の年号は『大正』で間違いないか?」

「そ、そうだが」

「そして、魔晴剣術を母上である國守葵から受け継いだ。そうだね?」

「何度も同じことを言わせるな!」


 ばさり、と薄い毛布を跳ね飛ばす楓。


「やっぱり、この事件は本当だったんだ……」


 目と口を真ん丸に見開いて、西野は驚愕した。


「皆、落ち着いて聞いてくれ。実は、國守さんがいた時代、ちょうどこの山の麓に隕石が落下……いや、落着した形跡があるんだ」


 おや、と実来は思った。隕石と言えば、普通は『落下』でいいのではないか? どうして西野は『落着』と言い換えたのだろう。


「この書物……戦後まもなく発行された近代書なんだが、ほら、ここを見てくれ」


 西野が書物を引っくり返し、竜弥たちの方へ見せつける。確かに、日に焼けて虫食いのある古い書物だが、読むのに不自由はしなかった。

 見えないからと背伸びをしている実来の頭に手を置いて、竜弥はゆっくりと音読を始める。


「大正五年、隕石落着の折、その岩より出でた異形の化け物が、山麓一帯の住民を……虐殺⁉」

「そう、そうなんだ、竜弥くん」


 西野はヘルメットの鍔を上げ、ぐいっと額を拭って言葉を続けた。


「それから、ここを見てくれ」

「んん? 化け物の類は甲殻類に類似し、その色は真っ黒、奇数の眼球、巨大な鋏を有している」

「に、兄ちゃん、これってやっぱり!」

「間違いない、俺と実来を襲った奴らだ。まさかこいつら、宇宙から来たってのか?」


 竜弥は勢いよく、その続きを読んだ。


「しかし化け物の類は、ある夜一瞬にして消滅。同時に、その山頂にあった魔晴剣術道場が消滅、原因は目下のところ不明」


 また顔を近づけ、続きを読もうと試みる竜弥。だが、その視界から書物は取り払われた。


「あっ! おい、楓!」


 咄嗟に竜弥は声を上げたが、楓の耳には入っていない。


「母上……母上が、怪獣を……!」

「やっぱりそうだったんだね、楓さん」


 急に嗚咽を漏らし始めた楓から、そっと書物を取り上げる西野。そこには確かに、『魔晴剣術最終師範・國守葵』の文字があった。


「楓さん、落ち着いて聞いてくれ。今は君がいた時代から、百年以上の時が経っている。人類も幾多の戦いを経て、武器を進化させてきたんだ。今怪獣たちが活動を再開した理由は不明だけど、刀で立ち向かうよりは銃器で駆逐した方が――」


 しまった、と竜弥が思った時には遅かった。

 楓がベッドの上に両手を着き、勢いよくカポエイラを繰り出したのだ。回転斬りならぬ回転蹴りである。


「うっ!」


 慌てて距離を取る西野。ぱさり、と書物が手から落ちる。


「西野! 貴様、我らが魔晴剣術を愚弄するか!」

「ちっ、違う違う違う! 僕が言いたいのは――」


 だが、そんな西野の釈明は、東間の重厚な声音によって遮られた。


「全員伏せろ」


 すっとホルスターから拳銃を抜く東間。カバーをスライドさせ、銃撃体勢を取る。

 その頃には、この区画にいる全員が、テント内で発生した異常自体に気づいていた。

 カーテンの向こうから、悲鳴混じりの怒声が上がったのだ。


「おい! この怪獣、生きてるぞ!」

「下がれ、危険だ! 早く殺せ!」

「だったらどけろ! 同士討ちになる!」


 そうか。今ここで銃撃しては、味方に当たる可能性が非常に高い。撃てないのだ。

 せめて楓が戦えれば。しかし、今の楓に刀はない。身体能力だけでも高そうだが、拳や蹴りであの怪獣の甲殻を破砕できるとも思えない。


「くそっ!」


 どうしたらいい? 銃器を使わずに怪獣を倒すには、どうしたら。

 だが、同じことを考えていたのは実来だけではなかった。


「お、おい東間、何をしてるんだ?」


 西野の声に目を遣ると、東間が隣のベッドわきの点滴台からチューブを引き抜くところだった。


「國守、今お前に与えられる武器は、この点滴の針だけだ。これで怪獣を一体、仕留められるか?」


 冷淡な東間の声。しかし、今はそれが逆に、楓に東間の意図を伝えるべく上手く作用した。


「承知した」


 そう言うが早いか、楓は東間の手から針をもぎ取り、テントの仕切りのカーテンを開けた。

 そこにいたのは、後ろの半身を機銃弾で穴だらけにされ、しかし片腕に残った鋏を振り回す怪獣だった。

 人間大の、言ってみれば働き蟻に当たるような、よくいる形態。


 楓はテント内にも関わらず、勢いよく跳躍して怪獣の前半身に馬乗りになった。甲殻に点滴の針を当て、そこに左手を添える。そして――叫んだ。


「魔晴剣術奥義――一天鉄砕!」


 次の瞬間、テントを吹き飛ばしかねない勢いの暴風が、楓を中心に吹き荒れた。

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