第6話


         ※


 竜弥は自らを恥じていた。自衛隊員たちに警備(という名目で拘束)されながらの、ベースキャンプまでの道のりだ。

 正直、この道のりは、竜弥にとって屈辱的なものだった。


「どうしてあいつなんかが指揮する部隊に守ってもらわなきゃならないんだ……」

「あいつって……お父さんのこと?」

「ああそうだよ」


 小声で尋ねてくる実来に、ぞんざいに答える竜弥。どうやら実来も、先ほどの声の主が自分の父親であると悟っていたらしい。

 ふと目を遣ると、刀を二本共没収された楓が、気を失ったまま担架で運ばれているのが見えた。


 間接的とはいえ、自分の父親が楓を武装解除してしまったのだ。その自責の念が、竜弥の胸中に湧き上がってくる。

 こんなのが、命を賭して自分たちを守ってくれた人物に対する礼儀なのか。


 ふるふるとかぶりを振って、竜弥は考えを切り替えた。

 ベースキャンプとはいえ、医療設備は整っているはずだ。楓に外傷はなく、ただ気絶させられただけの様子だし、命に別状はあるまい。


 しかし待てよ、と竜弥は自問自答した。

 楓が無事目を覚ましたとして、自分は何がしたいのだろうか。礼を述べるのか、非礼を詫びるのか、それとも他に何か言いたいことがあるのか。

 

 ぐるぐると考えを巡らせている間に、竜弥は一つの結論に辿りついた。

 守られるばかりではいられない。自分も楓を守ってやりたい。

 竜弥の瞼の裏には、楓の端整な、そして鋭利な横顔が貼りついている。


「兄ちゃん、どうしたの? 顔が赤いけど?」

「ぐっ!」


 竜弥は短く苦し気な声を上げた。


「そっ、そんなわけないだろ! お前こそ、怪我はないのか、実来?」


 そう言って話題を変えようとすると、


「うん、楓さんが守ってくれたから」

「そ、そうか」


 その言葉は、竜弥の心に冷風を吹かせた。

 今までずっと、自分は実来の保護者なのだと自認してきた。その座を楓に奪われようとしている。

 これでは、自分の存在意義がないではないか。そう思うと、竜弥は楓のことが厄介者に思えてきた。無論、彼女がいなければ、自分も実来も命はなかったはずなのだけれど。


「ああ、俺は一体……」


 守りたいのか、厄介払いしたいのか。楓に対する竜弥の気持ちは、混迷の度を深めるばかりだった。


         ※


 無事ベースキャンプに到着し、楓と実来が負傷者専用テント(実来の方は掠り傷だったが)の方へ連れていかれるのを見て、竜弥は深呼吸を一つ。

 楓のことはさておいても、『自分には目的があってここまで来たのだ』と言い聞かせる。

 そうでもしなければ、とてもあの男に会うだけの勇気というか、勢いというか、そういったものが湧いてこない。


「よし」


 竜弥は小声で呟いて、近くにいた隊員を捕まえた。単刀直入に尋ねる。


「隊長に会いたいのですが、どこにいますか?」

「隊長? 神山二佐に?」


 やはりだ。父はこの部隊を指揮している。

 今にも『それは駄目だ』『君も休んでいなさい』と言い出すであろう隊員に向かい、竜弥は一言。


「自分は、神山竜蔵二佐の長男、神山竜弥です」


 すると、隊員は目を丸くした。


「神山二佐のご子息? どうしてこんなところに? いやそもそも、入山規制は敷かれていたのに……」

「その警備網を潜り抜けて、ここまで来ました。神山竜蔵に会って話をするためです」


 突然上官が呼び捨てにされ、怪訝な顔を隠せなくなる隊員。

 だが、竜弥はそんなことを気にかけはしなかった。


 何のために山に入ったのかと言えば、現場で冷酷非情な司令官――ある種の仕事人間になっている神山に、がつんとこちらの主張をぶつけるためだ。

 お前が家族をばらばらにしたのだと。自分と実来の人生に、暗雲をもたらしたのだと。


「この通信機器に囲まれたテントになら、司令官がいて然るべきでしょう? どこにいるんです?」

「たとえ隊長のご子息であれ、君が民間人であることに変わりはない。早く休息室へ――」

「断る!」


 その怒声に、テント全体が震えた。


「認めたくないけれど、俺は民間人である以前に、あの人の息子なんだ! 言いたいことを言う権利がある!」


 その時だった。

 竜弥の後方の仕切りが捲れ上がり、一人の男性が現れた。長身でがっちりした体躯、理知的な瞳、迷彩服の襟元に光る階級章――神山竜蔵・二等陸佐である。


「私に用事があるようだな、竜弥? だが、ここは親子喧嘩に適した場所ではない。後にしろ」

「嫌だ!」


 再び叫んだ竜弥を前に、神山は僅かに目を見開いた。しかし、それは一瞬のこと。


「では用件を聞こう。ここで。今この場でだ」

「い、今? ここで?」


 事務的な口調で話を続ける神山。その感情のない瞳に射すくめられ、竜弥はごくり、と唾を飲んだ。


 騒ぎ散らすのはいい。だが、この場で家庭問題の中身をぶちまけるのは、いくら何でも抵抗があった。

 自分の弱みを、家族以外の人間の前でひけらかしてみろ。唐突にそう告げられたようで、竜弥は我知らず竦み上がってしまった。


 どのくらい時間が経ったのだろう、数秒ではなかったはずだ。十数秒か数分か、竜弥には分からない。だが、次に動いたのは意外な人物だった。


「止めよう、兄ちゃん」


 ぎゅっと片手を握りしめられ、竜弥ははっと我に返った。


「み、実来……」

「今は喧嘩してる場合じゃないよ、兄ちゃん。見たでしょう? あの怪獣。あれはたくさんいるし、まだまだいるかもしれない。楓さんだけの力ではどうにもできないかもしれない。ここにいる皆で協力しなきゃ、生きて帰れないよ」


 その言葉は、怒りで煤けた竜弥の心に、清流のように染み渡った。

 竜弥はしゃがみ込み、実来と視線を合わせる。


「悪かったな、実来の言う通りだ。今は、安全にこの森を出ることを考えよう」

「あの~、み、皆さん? ご歓談中申し訳ないんですが……」


 背後から声がして、竜弥はテントの入り口を振り返った。そこに立っていたのは、自衛隊員としては小柄な男性だ。何故か、迷彩服の上から白衣を羽織り、通信機と思しき機械を背負っている。

 ガチガチに緊張していることと、童顔であることが相まって、竜弥の目にはかなり若く映った。

 その人物は、正面に立っていた神山と目を合わせ、勢いよく敬礼してみせた。


「に、西野忠次・三等陸曹です! 先ほど保護した少女が目を覚ましたので、ご報告に参りましたっ!」

「分かった。私も事情聴取に立ち会おう。竜弥、実来、お前たちにも来てもらう」


 楓が目を覚ましたと聞いて安堵していた竜弥は、しかし、心臓をざぶんと冷水に放り込まれたような気分になった。

 知らなかったとはいえ、楓は自衛隊員に武器を振るってしまったのだ。罪に問われてしまうのではないか? 自分と実来を救ってくれた恩人だというのに。


 いや、だったら自分が楓を弁護してやればいい。

 彼女がどこから来た何者なのかは知らない。しかし、正義の心を抱いているのは間違いようのない事実だ。助けなければ。


         ※


 テントの仕切りを潜りながら、実来も竜弥と同じことを考えていた。

 楓ちゃん――と呼んだら彼女は怒るだろうか? ――は悪くない。それを、お父さんにも分かってもらいたい。一途にそう思っていた。

 しかし、小学五年生の自分に、一体何を、どう説明できるだろうか?


 西野に先導されて仕切りを潜ると、そこには担架と簡易医療機器が四、五セット並んでいた。しかし、そこに横たわっているのは楓一人だけ。どうやら今現在、自衛隊員に死傷者は出ていないらしい。


「おのれ! この私から刀を奪うとは! 卑怯者! 正々堂々勝負しろ!」


 怒鳴り散らす楓は、先ほどと同様、闘志を漲らせていた。しかし、暴れる気配はない。


「楓、無事か!」


 竜弥の声に、楓ははっとして振り返った。しかし、竜弥の視線はすぐに上方へと逸らされた。

 友達が学校に持参したスマホでゲームをしていた。そのプレイ画面を思い出す。

 剣士が魔界の怪物を倒していくゲーム。それの中ボスだっただろうか、岩でできた巨人。確か名前は――。


「ゴーレム?」


 そのゴーレムが、楓の寝かされたベッドの反対側にいた。

 怖気が足元から這い上ってくる。気づいた時には、竜弥は飛び退いていた。実来に至っては、悲鳴を上げて父に抱き着いている。


「あ、ああ、ごめんよ。怖がらせてしまったね」


 西野が素早くフォローに入った。


「こいつは僕の防衛大の同期で、東間鉄也・三等陸曹だ。怖い顔してるけど、そんなに心配することはないよ、根は優しい――」

「余計なことを言うな、西野。次は腕を折る」


 それきり黙り込む東間。こんな遣り取りは日常茶飯事なのか、西野は怖がるでもなく、やれやれと眉間に手を遣っている。


 竜弥は、防衛大やら階級やらということには詳しくはない。ただ一つ得られた知識は、ゴーレムは実在する、ということだ。

 父親を上回る体躯に、筋肉で盛り上がった迷彩服。訓練中のものだろうか、右頬には横一線に古傷がある。


 竜弥はそっと楓や実来たちを見遣った。

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