第5話
体高六、七メートルはあるだろうか。上半身を持ち上げるような姿勢を取っているから、体長は十メートルを超えるだろう。
先ほどの怪獣と同じような甲殻を有しているが、頭部は自分の身長よりずっと高いところにある。
そこから五つの眼球で、こちらを見下ろしてくる怪獣。今までにないプレッシャーが、楓たちに降り掛かってきた。
かぶりを振って、躊躇いを散らす楓。一瞬で抜刀する。しかし、相手は図体の割に機敏だった。
今までの怪獣には、一体につき二本の鋏を有していた。しかし、今相対している個体には、ムカデの足のようにたくさんの鋏がある。正面から突撃するのは困難だ。
じりっ、と竜弥と実来が後ずさる気配がする。
普段の楓なら、こんな逃げ腰の男を見たら『それでも男か!』と一喝するところだろう。
しかし、今は時代が違うのだと自分に言い聞かせた。それに、竜弥も実来も丸腰だ。ならば、自分が守らなければ。
ひとまず、敵の注意を自分に引き付けよう。
そう思った楓は、しばし目を閉じて刀に気合いを込めた。すると、刀は紅色に輝きだした。
キュイッ、と短い声を上げて、怪獣の五つの目が動く。
「伏せていろよ!」
そう竜弥たちに言葉をぶつけながら、まずは一太刀。しかし、これは呆気なく鋏で防がれる。
「くっ!」
今までの怪獣の鋏は、その根元にあたる関節部を狙うことで斬り落としてきた。だが、この個体にそれは通用しない。鋏の一つ一つが個別の動物のように動き回り、隙を見せないのだ。
それを見て、楓は左手で右腰の刀も抜刀。様子を窺う。
鋏を斬り落とせないなら、頭部を狙うしかない。楓はその場で回転し、振り返り様にそばの大木を切りつけた。すぐさまそこから飛び退き、怪獣と大木の間から離脱する。
大木は、楓の狙い通り怪獣の上半身に倒れかかった。地鳴りのような振動が、地面と空気を震わせる。
十五メートルを超える大木によって、怪獣は呆気なく這いつくばるような姿勢となった。
「そこだっ!」
楓は真正面から、怪獣の眼球目がけて突撃した。怪獣は身体の構造上、眼球のそばに脳を有している。それを突き刺し、斬り上げるつもりだった。
しかし、それは叶わなかった。怪獣が身体をもぞもぞと動かし、自らの背に乗った大木を弾き飛ばしたのだ。
「ッ!」
まずい。これでは、竜弥や実来のいる方に大木が転がって行ってしまう。
楓は怪獣に背を向け、斜め前方に跳躍。大木を三等分に斬り捌き、そのまま着地した。
眼前では、竜弥がこちらに背を向けて実来を抱き締めている。
その時、楓は側頭部を小突かれたような感覚を得た。
出会って早々言うのも難だが、腰抜けに見えた竜弥にも、『大切な人を守りたい』という意志はあるのだ。
ごとんごとん、と音を立てて、転がり落ちていく大木の残骸。一方で、怪獣は既に先ほどと同じ体勢で頭部をもたげている。
このまま長期戦に持ち込むのは不利だ。自分の体力と精神力を鑑み、楓は判断した。同時に、再度奥義を放つべきだということも。
風塵斬舞では、あの数の鋏を防ぐことができない。だったら。
楓は再び怪獣の方に向き直り、軽く屈みこんで呼吸を調整。心拍を意識し、怪獣の接近を気配で察知する。――今だ!
「魔晴剣術奥義――紫電空絶‼」
次の瞬間、楓の姿が消えた。かと思いきや、木々を蹴り、身体を捻りながら、楓は目にも留まらぬ速さで怪獣に連撃を加えていた。
ザン! という風切り音が、一瞬のうちに連続して木霊する。
怪獣から見て三百六十度、全方位から与えられる、すれ違いざまの斬撃。楓はまさに神速で、怪獣の鋏を落とし、甲殻を断ち、そして眼前に回り込んだ。
速度と勢いの乗った刀が、怪獣の眼球から後頭部までをばっさりと斬り払う。
怪獣は短い悲鳴を上げた後、頭蓋を露出させながら、どざん、と音を立てて前のめりに倒れ込んだ。
同時に遠くから、がさり、という音が聞こえてくる。弾き飛ばされた頭部が、森の中に落ちたのだろう。
「す、すげえ……」
この一瞬の、演舞の如き斬撃を、竜弥は驚きと共に見つめていた。
楓が『何かしらの攻撃を加えた』ことは分かる。しかし、それが具体的に何なのかと考えると、見当もつかない。
少なくとも、怪獣は頭部を斬り飛ばされ、死に至ったことは間違いない。
そんなことをぼんやり考えていると、すたっ、と落ち着き払った着地音を伴って、楓が下りてきた。その眼前では、怪獣の上半身が、どしゃり、と音を立てて倒れ込んでいる。
それらを見て、ようやく竜弥は事態が終息したのだと実感した。しかし、不思議と安堵感は湧いてこない。
「な、なあ、あんた……」
ゆっくりと楓に近づきながら、声をかける。
「本当に人間なのか? その、えっと、と、とんでもない戦い方だったから……」
しかし、楓は片膝をつき、刀を鞘に収める以外の挙動を取っていない。
竜弥がそれを訝しく思った直後、楓はばたり、とその場に倒れ込んだ。
「あっ、お、おい!」
慌てて駆け寄る竜弥。楓は地面に頬を押し付けるようにして、荒い呼吸を繰り返していた。
楓は休息を取る間もなく、奥義を二回も繰り出したのだ。心はともかく、身体への負担は、想像を絶するものがある。
「楓っ!」
先ほど刀を突きつけられた際の恐怖感は、最早消し飛んでいた。
「大丈夫か? しっかりしろ、楓!」
「ん……」
「意識はあるな? 聞こえるか?」
「竜弥、怪獣は……?」
「安心しろ、死んじまったよ。お前のお陰だ。実来も無事だし」
「そう、か。――むっ!」
すると唐突に、楓が立ち上がった。竜弥は突き飛ばされながらも、楓の身体にそんな力が残っていることに驚いた。
一本の刀を両手で構える楓。二刀流は使えずとも、『次の敵』に向かう闘志に陰りはない。僅かにふらついていたが、深呼吸すると共にその身体は落ち着きを取り戻していった。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ……。
竜弥の耳にも、『次の敵』の足音が聞こえてくる。山道の左側、木々の合間を抜けながら接近してくるようだ。実来がひしっ、と自分の腕にしがみついてくる。
だが、これは本当に敵、すなわち怪獣だろうか? 竜弥は内心、訝しんだ。わざと歩調を合わせ、警戒感を張り巡らせる気配。これは怪獣というより――。
「全員そこを動くな!」
「ひっ!」
実来が短い悲鳴を上げる。竜弥は慌てて両手を頭上に掲げ、叫んだ。
「お、俺たちは人間だ! 日本人だよ! う、撃たないでくれ!」
その言葉が切れると同時、バン、と音がして、光の筋が何本も竜弥たちを照らし出した。
「民間人三名、生存を確認。うち一名は刃物で武装中。交戦許可を。――了解」
そんな無線通信が聞こえてきて、竜弥は思わず楓の背中を見遣った。
「楓、刀を仕舞ってくれ! 彼らは味方だ、自衛隊だよ!」
「ジエイタイ? 何だそれは? そんな名の流派の剣術使いは知らん!」
「剣じゃない、銃で戦うんだ! 刀じゃ勝ち目はないぞ!」
「銃?」
楓は殺気を前方に放ったまま、竜弥に顔を向けた。
「銃など、放つのに時間のかかるただの火吹き矢であろう! 魔晴剣術の相手ではない!」
「あっ、馬鹿! よせ!」
竜弥の努力も虚しく、楓は勢いよく光源へと突っ込んだ。
直後、ズタタタタタタタッ、と『銃』が火を噴いた。楓の想像していた火縄銃ではなく、最新型の自動小銃が、フルオートで。
「楓っ!」
思わず、竜弥は絶叫した。
しかし、楓は撃たれてはいなかった。今の銃声は、飽くまで威嚇射撃である。
一旦後退した楓は、しかし戦う気をなくしてはいなかった。
「でやあっ!」
足首から全身を捻り、勢いよく最寄りの自衛隊員に斬りかかる。しかし竜弥からすれば、今の楓の挙動は明らかに精彩を欠いていた。
案の定、刀は呆気なく自動小銃の銃身で防がれた。動きの止まった楓の腹部に、コンバットブーツが蹴り込まれる。
「がはっ!」
楓は身体をくの字に折って、簡単にふっ飛ばされた。ざざざっ、と音を立てて地面を転がる楓。気を失ってしまった様子だ。
しかし、竜弥からそれは見えなかった。逆に、楓が殺されてしまったかのように見えたのだ。
「貴様ら!」
「あっ、待って! 兄ちゃん!」
竜弥はあらん限りの力で腕を振り回し、自衛隊員の列に殴り掛かっていった。
が、満身創痍だったとはいえ、楓でさえ相手にならなかったのだ。何の武術の心得もない竜弥に、できることなどありはしない。
竜弥はぐいっと頭を引っ掴まれ、押さえつけられた。
「畜生! そいつは……楓は俺たちを助けてくれたんだぞ! それなのに、こんなに乱暴にすることないじゃないか!」
「それは我々が決めることだ。民間人が口を挟んでいい事柄ではない」
その重厚な声音に、竜弥ははっと目を見開いた。
「あ、あんた、やっぱりここに……!」
「民間人三名を収容する。武器は取り上げろ。一旦前線基地へ戻るぞ」
そう言って、その人物はくるりと背を向け、自動小銃を構え直しながら去っていった。
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