第4話

 どこかで爆音が響いたような気がした。それがどこからなのかは分からない。

 怪獣たちの注意が逸らされたのを確かめ、竜弥は周囲を見回した。

 自衛隊の攻撃か? しかし、そんな音の源たる光景は、どこにも見受けられない。


 一体何が起こっているのか。その答えは、意外なほどあっさりと出た。再び轟いた爆音。今度は明確だ。

 竜弥と実来は、揃って上を見上げる。そして、慌てて顔を手で覆った。


「うわっ!」

「きゃあっ!」


 真っ赤な爆炎が、頭上に広がっている。

 何なんだ、空爆か? 一瞬、そんな考えが竜弥の脳裏をよぎる。しかし、それにしては爆風が弱い。航空自衛隊がこの山を空爆したのなら、自分たちなどあっという間に焦げ炭になっていたことだろう。


 だが、今最も問題なのは、目の前の怪獣だ。注意を取り戻した怪獣は、再び鋏を竜弥に向かって振り上げた。もう一匹は、実来に向かって。

 竜弥は振り返り、怪物に背を向けるようにして実来の背中を抱き寄せた。せめて実来だけでも助けなければ。


 次に響いた、ずしゃり、という生々しい破砕音。


「ぐっ!」


 竜弥は自らの死を覚悟し、呻き声を上げた。

 だが、竜弥の背中へと降ってきたのは怪獣の鋏ではなかった。というより、何も降ってきてはいない。

 振り返って見てみると、そこには動きを封じられ、ギィギィと蠢く怪獣の姿があった。その海老のような胴体には、上方から光り輝く『何か』が落ちてきていた。それが怪獣に突き刺さっているのだ。


 槍? 弓矢? いや、これには鍔がある。ということは、剣か? いずれにせよ、その『武器』と思しき物体は、寸分たがわず怪獣の背中の中央部に突き刺さっていた。そのまま、怪獣を地面に縫い留めている。青黒い血液が、噴水のように飛散した。

 その光景に呆然としていると、凄まじい気合いのこもった叫び声が、周囲の空気を圧迫した。


「はあああああああっ!」


 そして降ってきたのは、一人の人間だ。

 やや煤で汚れた、しかし鮮やかな赤い道着。紅色の輝きを帯びた日本刀。ふわりと揺れるポニーテール。


「お、女……?」


 そう呟いたものの、竜弥は、今はどうでもいいことだと思考を放棄。実来を守ろうと腕を伸ばす。

 しかしその頃には、反対側にいた怪獣は、見事に身体の断面を晒すようにスライスされていた。

 自分と実来を挟んで動きを止めた、二体の怪獣。その一体を串刺しに、またもう一体を二等分にした刀の主。


 その人物は、まずスライスした方の怪獣の死骸から刀を抜き、実来の安全を確保した。

 それから一足飛びに竜弥たちの頭上を跳び越え、最初に怪獣を縫い付けた刀を引き抜いた。

 ゆっくりと倒れ行く、最初の怪獣。まだ息があったようだが、刀を背部から引き抜かれるのと同時、おびただしい出血を伴って倒れ込んだ。

 ようやく竜弥は、その少女が二刀流の日本刀使いであることに気づいた。


 幸いパニックにはならなかったものの、何をどのように、どんな順番で確認したらよいのか分からない。

 だが、自衛隊が入山するきっかけになったのがこの怪獣であることは、疑う余地がないだろう。

 となれば、後は刀剣少女の身上だ。竜弥は慎重に、ぼそぼそと声をかけた。


「あの、あんたは何者なんだ? どこから出てきて――」

「伏せろ!」


 少女に一喝され、竜弥は身を縮こまらせた。

 タン、と地面を蹴って、少女は山道の奥地へと跳躍。最初の怪獣の背後に向かって刀を振るった。


 何事かと目を瞠る竜弥。彼の目に飛び込んできたのは、三体目、四体目と続く怪獣だった。思わず『うわっ!』とも『うげっ!』ともつかない悲鳴が漏れた。

 このぶんだと、怪獣はまだまだいるのだろう。しかし少女は、果敢にも躊躇いなく刀を振るって怪獣の群れに突撃していく。


 彼女は怖くないのだろうか。あんな怪獣を目の前にして、刀二本で勝てると信じているのか。 


 きっとそうなのだろう、と竜弥は思わざるを得ない。そうでなければ、あんな自信と気迫に満ちた戦いなどできるものか。

 だが、それでも確認しておかなければならないことがあった。


 四体目の怪獣を斬殺し、刀を振るって鞘に収める少女。彼女に向かって、竜弥は問いかけた。


「な、なあ、あんた――」

「あちらからは火薬の臭いがする。味方がいるのであろう? ならばまずは、その者たちと合流せねば」

「は、はあ?」


 一瞬、何を言われたのか分からず、竜弥は目を丸くした。しかし、少女は顎をしゃくり、ついて来るように促すのみ。

 はっとして、竜弥は振り返った。


「み、実来、無事か?」

「うん……」


 さて、本当に無事だろうか。薄暗い月明りの下でも、実来が顔面蒼白なのが分かった。

 

「大丈夫、大丈夫だ」


 竜弥はそっと、その細い肩に両手を置いた。しかし、それだけで実来の震えを治めてやることはできない。


「ひとまず、あの子について行こう。滅茶苦茶強いみたいだから――」

「今何と言った?」

「え?」


 唐突に振り返った少女を前に、竜弥は進む足を止めた。


「な、何って……?」

「私は魔晴剣術の正当な継承者、國守楓だ。小娘扱いされる謂れはない!」


 その気迫に圧倒されていると、キン、と鋭利な音がした。目だけを動かして襟元を見る。

 そして、竜弥は短い悲鳴を上げた。


「ひいっ!」


 先ほど使われた刀が、抜き身でその先端を竜弥に向けている。いや、突きつけている。喉仏に至るまで、あと一、二センチといったところか。


「う、あ……」

「私は名乗りを上げたぞ、次は貴様の番だ。姓名を名乗れ!」

「わ、分かった分かった! ひとまず刀を仕舞ってくれ! 落ち着いて自己紹介もできねえから!」


 すると少女――國守楓は、ふん、と鼻を鳴らして刀を鞘に収めた。しかし、その眼光の鋭さに、緩みはない。


「お、俺は神山竜弥、高校二年生の民間人だ」

「コウコウ? ミンカンジン? なんだその言葉は。妙な呪術で私を惑わす気か?」

「違う違う違う! っていうか、お前も高校生じゃないのか? 俺と同い年くらいに見え――ひっ!」


 再び刀に手をかけた楓を見て、言葉を切る竜弥。

 剣呑な空気を破ったのは、思いがけない人物だった。


「ちょっと待って、楓さん!」

「む? お前は何者だ?」

「あ、あたしは神山実来。この人は、あたしの兄です」


 その言葉に、楓は竜弥と実来の間で視線を往復させた。


「もし、兄が失礼を働いたのなら謝ります。だから、どうか殺さないでください」

「み、実来……」


 喉から声を絞り出す竜弥。そんな彼のそばで、実来はしっかりと楓と目を合わせた。

 かと思えば、その場で膝をつき、丁寧な土下座をして見せた。


 竜弥は目を丸くした。さっきまであんなに怖がっていた実来が、刀剣少女を前に、こうも堂々と物申すとは。


「実来、と言ったな」

「はい」


 顔を上げる実来に向かい、楓は片膝をついて目線を合わせた。


「突然の無礼、失礼した。君や兄上には、剣術の心得がないのだな? だから帯剣していないのであろう?」

「え? タイ、ケン……?」

「なれば、私が君と兄上を守るのは必然、ということか。うむ。承知した。だが、この山を下りるのは早計だ。あの化け物共は、この山道の下に巣を張っている気配がある。私一人では相手をしきれないかもしれん。ひとまず、味方の――銃器を扱う者たちとの合流を優先しよう」


 そう言って、楓は腰を上げた。


「文句はないな、竜弥?」

「え、あ、はいっ!」


 楓の視線が少しばかり和らいだのを見て、竜弥はこくこくと頷いた。

 機嫌を損ねないよう、気をつけなければ。




 そんな竜弥に背を向けながら、楓は師匠の、母親の言葉を思い出していた。

 今自分は、あの時代とは異なる時代へと送り込まれたのだ。あの怪獣共を倒すために。


 もしここが、本当に未来の世界であるならば、自分の常識は通用しないかもしれない。こんな危険な場所で、刀の一本も身に着けずに、のこのこ歩いている少年少女がいるとは思わなかったが。

 

 いや、これは好機だ。彼らの身には、未だ危害が及んでいない。怪獣はまだ、それほど縄張りを拡大していないのかもしれない。

 となれば、母上、いや、師匠のように、誰かが身を挺して怪獣を倒すべく犠牲になることもなくて済む。自分がこの刀で、全て斬り捨ててやる。


 しかし、事態はそう簡単には進まなかった。


「止まれ!」


 鋭く、しかし小声で竜弥と実来に呼びかける。

 竜弥は実来の手を引いていたが、慌てて足を引っ込めた。


 すっと瞼を下ろし、身体を前傾姿勢に。右手で左腰の刀の柄を握り、抜刀の準備をする。

 そして楓が目を見開いたその時、山道わきの木々を押し倒しながら現れたのは、身の丈を遥かに超える巨大な怪獣だった。

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