第2話

 魔晴剣術鍛錬場は、ちょうど和風寺院のような構造をしている。境内に上がると、うっすらと空気が青く色づいたような錯覚に囚われる。

 これは結界だ。師匠が展開し、周囲の邪気や弟子たちの煩悩を拭い去るのを、楓も見たことがある。


 しかし今夜は、その静謐さ、静かなる存在感が比べ物にならなかった。それに、この鍛錬場全域を包み込むだけの広さの結界など、術者に大変な負担を強いるに違いない。

 師匠は、何としてでもこの鍛錬場を死守するつもりなのだと、楓は察した。


「師匠! 師匠!」


 結界内に踏み込みながら、楓は師匠を呼ばわる。がらりと正面の障子を開けると、その鍛錬場の最奥部に師匠はいた。

 真っ白な道着を纏って、優雅な気品さえ漂わせながら、正座して瞑想に耽っているかに見える。


 だが、楓の目を惹いたのは師匠本人ではなかった。師匠が展開したと思われる、魔法陣だ。

 どうやらこの魔法陣を守るために、結界が張られていたらしい。


「し、師匠、これは?」

「時空を転移するための入り口です」


 うっすらと、切れ長の目を開けて答える師匠。その前で、楓は首を傾げている。


「時空を、転移……?」

「楓、残念ながら説明している暇はありません。どうやら麓の防衛線も、破られたようです」

「そんなっ!」

「わたくしが全霊を以て、あの異形の者共を駆逐します。あなたはこの魔法陣の力で、時を越えなさい」

「私が、時を超える?」

「あの異形の者共は、そう遠からぬうちに再びこの地を、星を、そしてそこに住まう人々を惨殺にやって来るでしょう。あなたはその時代に先回りして、彼らを迎え撃つのです」

「で、では師匠、あなたは?」

「言ったでしょう、楓? 全霊を以て、異形の者共を食い止めると。あなたには、まだその術が備わっていません。わたくしが身を挺して、執り行うしかない儀式なのです。だから、言ったのですよ。わたくしにはわたくしの、あなたにはあなたの為すべきことがあると」


 楓は直感的に、一つの考えに至った。


「まさか、あなたは死ぬ気ですか!」

「わたくしも皆も、ずっとあなたを見守っています。もちろん、五太も」


 ぺたり、とその場にへたり込む楓。五太の身体が、そっと板張りの床の上に置かれる。

 呆然としている楓に対し、師匠は穏やかに微笑みを向けるだけ。言うべきことは言い切った。そんな気配だ。


 しばしの後、外が騒がしくなってきた。


「異形の者共……。もうここまで来てしまったのですね。さあ楓、早く魔法陣の中央へお入りなさい」

「で、でも!」

「あなたがこんなに強情を張ったのは初めてですね、楓」


 愛おしいものを見つめる瞳。逆にそれに気圧されて、楓はゆっくりと立ち上がり、魔法陣へと進み入る。

 楓は片膝をつき、いつでも抜刀できる体勢を整え、師匠に問うた。


「これでいいでしょうか?」


 無言で、しかし満足気に師匠が頷いた直後。ふわり、と楓の身体が宙に浮いた。


「うあ!」

「今生の別れです、楓。どうか無事に、この戦いを終えてください」


 その言葉を解した瞬間、楓の身体はふっと暗闇に投げ出された。最後に目に入ったのは、師匠の身体から発せられた紅蓮の爆炎。これもまた、未だかつてない規模の広域破壊魔術であった。これでは術者は、間違いなく心身を枯らして死に至るだろう。


 楓は体勢を崩し、あるとも知れない地に足を着いて立ち上がった。

 腕を振り回し、何とか元の世界に戻ろうとするが、どう足掻いても叶わない。


「師匠……師匠! 母上、母上! うわあああああああ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る