第5話 魔剣聖Ⅴ
この世で最も美しいと思っていたもの。
それは田舎から飛び出して、この迷宮都市シスマにやってくるときに見た海が一番きれいだと思っていたけれど、そんなものはどこか遠くへ飛んでいったかのように思えた。
もっとわかりやすいように形容するならば、そこにいたのは美しい少女だった。
麦畑を彷彿とさせる豪奢な金髪は、少女が動くたびに波打ち、光を放っているかのように思えた。
いや、本当に光っていた。
浅黒い肌は、まさしく小麦色というのだろう。僕の少ない語彙で形容するならば麦の精霊となる。
それほどまでに美しい少女。
貧相な語彙と知識では到底彼女の美しさを語ることなどできやしないだろうと思われた。
「新しい人ね」
彼女はふっと、僕の方を見てそう言った。
星のように煌めく翡翠の瞳が僕を見据える。
僕は蛇に睨まれた蛙になったような気分を味わう。
彼女がなんであるのか、理解できないわけがなかった。
彼女こそがこの広大なまでの自己空間の主であることは自明の理。つまりは彼女こそが魔剣の魔性だ。
僕が調伏しなければならない相手。次の瞬間には攻撃され、殺されるかもしれない。
隠された魔剣がただの魔剣ではないことは想像に難くないし、あのマリさんがそんな安い魔剣に案内するとも思えなかった。
けれど、僕は動けなかった。
闘おうという気が一切失せていた。
「どうしたの? 来ないの? 剣も抜かずに。戦いに来たんでしょ?」
「あ、あの。いや……」
「他の人は私を倒しに来る人ばかりなのに、あなたは違うの?」
「ぼ、僕は……」
「なに?」
完全にひとつのことに頭を支配されていた僕はまるっきり働いていなかった。
「す……好きです!」
「…………え?」
有体に言えばぼくは一目見た瞬間から、彼女に惚れていたのである。
「あ、い――」
言ってしまってから、何を言っているのか自覚する。
もっと早くに自覚しろと僕は自分自身を怒りたくなったけれど、今更、口にしてしまった言葉はどうしようもない。
後悔先に立たずとはこういうことで、あとはもう沙汰を待つ犯罪者の気分だった。
ああ、これはもう殺されてしまう。
魔剣の魔性を口説くだなんて、そんな馬鹿なことできるはずなかったのだ。
そう思い、すがるような思いで彼女を見る。
「…………ぁぅ」
「……………………」
――かわいい。
いや、ではなく。
彼女は頬を真っ赤に染めて、ちらちらと僕を見ている。
これは脈ありな反応なのではないだろうか。
近くにいた女の子など僕にとっては幼馴染しかいなかったけれど、流石の僕もこれは脈ありなのではないかと思う。
あるいは勘違いで痛いことを思っているだけなのかもしれないけれど、もう僕に後はないのだ。
だったら行くしかない。
「お、お返事は!」
「え、あ、ぇえ!?」
攻めろ。
退けば死ぬ。臆しても死ぬ。
だったら前へ出ろ。
魔物との戦いと同じだ。
恐れた冒険者に魔物は一切容赦しない。だから冒険者は恐れていても下がってはいけない。
そうなれば魔物は直ちに牙を突き刺してくる。
「あ、わ、わかんない……。そんなの言われたの初めて、だし」
「それは他の人が見る目がないからですよ! あなたみたいな綺麗な人を見抜けないんですから!」
普通、見抜ける方がおかしいというか、おかしいのはどう考えても僕である。
それでも僕に悔いは不思議となかった。
ついにというか、やっとというか、言わなければならない言葉を言えた。
そんな気すらしていた。
「僕は、君が好きになった。君と一緒にどこまでも冒険したい。駄目、かな?」
「あ、ぅぅうぅ」
「君はどうしたい? 僕と行くの嫌かな?」
「ええと……嫌じゃない、かも……」
「良かった。そうだ。僕は、アナト・ウシャス。君の名前を教えてほしい」
「名前……。わかった、アナト。私、アナトと行く。私のこと好きって言ってくれた人、初めてだから、好きってどういうことかわからないけど、そうしたいって思ったから」
「ありがとう」
「アナト。私の名前は――」
●
『GAAAAA――』
「いや、もう多いですね!」
はい、絶賛戦っている最中のわたしです。
あとからあとから湧いてきます。ちょっとした魔物の見本市状態ですよ。こんなに複数の魔物が一堂に会するなんて魔物部屋くらいのものです。
ああ、ここ魔物部屋なんですね。納得です。
悪魔の鉄・慈悲の鋼の力を使って足止めしながら、その都度各個撃破で対応していますが限度というものがあります。
正直、それももう持ちません。あれの鎖の強度って、実はわたし自身の力によるところが大きかったりするのです。
力といっても総合的なそれですが、当然疲労すれば落ちるわけで、もうゴブリンを止めるのも億劫になってきました。
ただでさえ血を使う魔剣に、細かい傷をつけられて出血がだいぶ多くなっています。
身体が冷えてきてますし、息切れが酷いですし、眩暈までしてきて、もうどれくらいも戦えそうにありません。
ここまで頑張ったわたしは表彰されてもいいのではないでしょうか。まあ、誰に表彰されるんだという問題はありますが。
褒められたい。
もうめっちゃ褒められたい。
わたし凄い頑張ってますよね。
『GIGIGI!』
「ああもう、うるさいですよ! 魔物は喚かないでください。煩いんですから!」
悪魔の鉄・慈悲の鋼で首を切り裂けば血が噴き出してゴブリンが絶命します。これで何体目でしょうか。
積み重ねた死体。床を濡らす血。防波堤の代わりになったのは最初だけで、今ではもう邪魔なだけ。
防波堤を作っても意味のない巨体もちらほらと。そういう輩は走り回ってかく乱するのがわたしの手なのですが、死体と血で滑ってうまく走れません。
『GROOOOOO!』
わたしに暗い影を落とす巨大な鬼。
「はぁ、まったくオーガまで」
ゴブリンやオークよりも強く、ランクにしてAランク。硬く、重く、力強いだけの魔物ですが、それだけに弱点がない面倒くさい魔物です。
わたしにとっては相性最悪です。
なにせ、このオーガは、悪魔の鉄・慈悲の鋼の効果が通用しないタイプなのです。理由は体積が大きいのと、膂力があり過ぎる。
つまりゴリラだからです。
万全の状態で相対すれば、ギリギリどうにかできるかなぁ、くらいの相手ですが、今のわたしは既に満身創痍。全身傷だらけ、お風呂入りたい状態。
確定で死にます。
しかし、傷つくわたし、薄幸美少女じゃないですか?
これでアナト君が戻ってきたら、この姿を見せて利用してやりましょう。
『GRAAAAAAAA!』
「ああもう、変なこと考えてる余裕もありませんね!」
でも、オーガのおかげで回りの魔物たちは動けません。Aランクの魔物は超強いので、いるだけで弱い魔物は動けなくなるのです。
まあ、わたしも圧力に負けて動けないわけですが。精神の能力値が完璧に負けてるんですよねぇ。
逃げられません。
「ま、仕方ないですね。これもざまぁのため。もうひと頑張りしましょう。ええ」
そう覚悟を決めた瞬間、わたしの背後から魔力が爆発しました。
「やれやれ、本当、遅いですよ」
『GRA!?』
オーガや他の魔物たちが今更のように慌てだすが、もう遅いです。
「すみません、遅くなりました」
アナト君が魔剣を手にその目を開いていました。
先程までの弱弱しい彼はどこへやら。
魔剣というには清浄な気配を放つ白亜の剣を手に、彼はわたしを庇うように前に出ました。
「お帰りなさい。遅れたお詫びは何かもらうとして、勝てるんですか?」
「勝ちます!」
彼は剣を構える。
それはただの剣というには大きく、柄には伸縮機構も備えているようでした。
「ふむ、聞いた覚えがありますね。確か……」
わたしがどこぞでざまぁさせた魔剣大好き冒険者が言ってましたね、確かあの剣の名前は――
「行くぞ、ヴィグナスティール!」
そう槍剣ヴィグナスティール。
槍を剣を融合させた魔剣。深淵を旅する聖者があらゆる敵を打ち倒すために己の骨と聖銀から鍛えあげた剣。
紛れもない聖剣の類ですね。わたしの悪魔の鉄・慈悲の鋼と違ってオーラが綺麗すぎます。ズルい。わたしもああいうのが欲しかったです。
カテゴリとしては魔剣ですけど、教会に持ち込めば、その場で聖剣指定されるほどの格があったはずです。
三日三晩聞かされたので覚えてますよ。最悪の体験も何かの役に立つみたいですね。
アナト君が剣名を呼ぶと、ヴィグナスティールは応えるようにオーラを返す。
アナト君の全身を包むオーラは、魔物が苦手とする聖の気を放っている。あれは物理的な障壁にもなるようです。
狂乱のままアナト君に突っ込んでいったゴブリンどもが消滅してます。
ああ、勿体ない。素材を売ればお小遣いにはなるのに。
アナト君は、向かってくる魔物たちを鎧袖一触。
凄いですね。潜在能力の全てを引き出せた上に、戦闘中に上昇してますよ、あれ。
本当、逸材ですねぇ。あんな使えなかった塵能力が、今では大陸有数の冒険者になってますよ。
これは良いざまぁ顔が見れそうです。
「あとはおまえだけだ」
『GRAAA!』
おっと、気が付けばオーガだけになっています。
「アナト君、オーガは売ると高いので素材は残してくださいねー」
「えっと、わかりました」
不安ですが、残ることを祈りましょう。
流石にAランクの魔物は今のアナト君でも一筋縄は行かないはず。
『GAAAAAAAAA!?』
と思っていたのですが、成長速度早すぎません?
まるで今までの分を取り戻すように、さながら進化するかのように、アナト君はオーガすらも一撃のもとに屠ってしまいました。
「これで終わりですかね」
「そうみたいですねぇ」
この部屋に満ちていた魔力はヴィグナスティールを引き抜いたことでどうやら打ち止めになったようです。
「とりあえず魔物の素材を回収してしまいましょう。これだけ倒したんですから、結構な値段になりますよ」
「あ、その前にマリさんの治療しないと!」
「大丈夫ですよ」
悪魔の鉄・慈悲の鋼にはもうひとつ能力があります。慈悲の鋼の方でわかると思いますが回復能力です。
ただこれ使うには魔物を倒す必要があるんですよね。倒した魔物の分だけ回復できるっていうそういう悪魔仕様なんです。
わたしは結構倒しましたので、あの程度の傷なら回復可能。ただ回復に多少のラグがあるので、戦闘中は使いにくいんですよね。
さらに悪魔の鉄側の能力と同時に使えないので、本当、単純に強いって魔剣は羨ましいですねぇ。
「回復の力もあるんですね」
「あなたの魔剣には負けますよ。それより早く素材回収しますよ。ちゃきちゃき解体してください」
「あ、はい、わかりました」
さて、あとはどうやってアナト君を追放したチームの面子の悔しがる顔を見るかですねぇ。
オーガをひとりで討伐したというのは結構な功績ですが、誰も見ていないというのがいただけません。
わたしの証言だけでは彼らも信じないでしょう。
やはりここはいつも通りの手段でいきますか。
そんな風に素材を空間拡張の魔術のかけられた鞄に詰め込んだところで、わたしたちは再び世界が反転するのを感じました。
次の瞬間には、静けさと信頼の平原洞に戻っています。
素材回収を待ってくれるとは親切設計ですね。ありがたいことです。まあ、あんな大群でなければいらぬ世話なのですが。
「戻って、これた……?」
「はい、戻ってこれましたね」
「はぁぁ……良かったぁ」
アナト君は安堵したのか座り込んでます。
まあ、わたしも疲れましたからね、お酒飲んで宿に帰って眠りたい気分です。
「ほらほら、座り込んでないで立ってください。休むなら迷宮から出てからですよ」
「もう少し休んでからでも」
「時間は有限です。さあ、戻りますよ」
「わかりました」
来た道を戻れば無事に迷宮から脱出できます。
酒と料理、汗と血、鉄の匂いが混じった雑多極まるギルドの香りをかぐと戻ってきたという気分になります。
まあ、わたしはこの匂い嫌いですけど。特に汗の匂いです。風呂も併設されてるんだから、そこで汗を落としてから酒を飲めばいいのに。
「さて、とりあえずわたしは宿に帰りますね」
「あれ、換金していかないんですか?」
「そうでしたね。はい、これ」
「え?」
「あなたが換金してきてください。わたしは疲れたので」
「駄目ですよ。マリさんが倒したのもあるんですから!」
「お小遣いにしかなりませんよ。それよりわたしは休みたいので」
反対なんて知りませんとわたしはさっさとギルドを出て行きました。
もちろんただアナト君にお小遣いをあげたというわけではありません。そもそもあんな大量の魔物の素材です。お小遣いなんてもんじゃない大金になるに決まってるじゃないですか。
わたしが全部もらいたいくらいなんですよ。
ですが、そんな目先の欲に囚われてはいけないのです。
アナト君はお人好し。絶対にわたしが倒した分は別にあとで渡してくるに決まっています。
そう人鑑定でもそう出ているので確実です。
つまりここで魔物の換金をやらせたところで利益はちゃんとこちらにも入ってくるというわけです。
じゃあ、なんでこんなことをするのかというと、換金する手間が面倒だということと、アナト君を目立たせる為です。
アナト君が力を手に入れたことを彼を追放したパーティーの面々が知ればどんな顔をするのか。
きっといい顔をしないでしょう。
そんな顔を見れるし、魔物の素材代もくるのですから、むしろ良いこと尽くめ。
「おっと、予想通りに騒ぎになってますね」
ギルドを出て窓からこっそりと中を伺うと予想通りの展開になっています。
「ええ、オーガの素材!?」
「ええと、はい」
「しかも、他にも凄い量……え、これヘルスパイダーじゃないですか、静けさと信頼の平原洞じゃ出ないはずなのに!?」
「あー、何か隠しエリアで出てきて」
「隠しエリア!?」
受付嬢さんいい仕事しますね。大きな声で騒いでくれるおかげで、だいぶ注目を集めているみたいです。
「おいおい、ありえねえだろ」
「あいつ生得技巧ない無能だろ」
「何かズルしてんじゃねえの」
ふふふ、良いですねぇ。
良い感じに疑ってくれている様子です。
ここであとは大きく活躍させるだけです。それもみんなの目が見えるところで。
「なるべく大きな危機がいいですよねぇ」
それを救って、彼は英雄として祭り上げられる。それをあの追放したチームに見せつけてやれば、目標達成。
ざまぁされた悔しがる顔が今から楽しみです。
「さて、となると準備準備。そうですねぇ。最低でも竜種くらいがいいですねぇ」
都合よく襲ってきてくれないのでこちらから準備しないといけませんね。
さて、早速テイマーに連絡しないと。
わたしは連絡魔石を使ってテイマーに連絡をつけます。
「ふふふ、今から楽しみになってきました――あ、ルドラですか? はい。ドラゴンに街を襲わせたいので一頭かしてください。はい、たぶん殺されるので死んでもいいやつで」
ふふふ、楽しみですね。
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