第31話 補習を受けた記憶はありません。記録に残らない嫌な記憶は抹消する。

 試験明けの休日を終え、いつもと変わらぬ生活が送れると僕は思っていた。


 試験の結果を知るまでは……。


「補習対象者は放課後、会議室にて課題を終わらせるように」


 クラス担当の教師がそう告げた。


 その補修対象に僕の名前は載っていない。ではなにが問題なのかというと……。


鈴寧すずねが補習なんて珍しいね。なにかあったの?」

「ううん、なにもない……よ?」

「なんで最後、疑問形? 本当に大丈夫?」

「大丈夫。天地がひっくり返っても驚かない自信があるから。ええ」

「ん~。よくわからないけど、補習手伝おうか?」

「大丈夫。むしろ、ひとりになりたいというか……ひとりが好きというか……」

「そう? ならいいけど、なにかあったら言ってね」


 庭城にわしろ鈴寧すずねさんが補修対象として名前があがっていた。しかも、対象者は彼女ひとりだけ。


 もしかしなくても僕のせいだ。


 僕が庭城さんにラブレターを渡したにもかかわらず、別の女子と交際していることが影響しているのだろう。


 今まで目に見える形で影響が出ていなかったため、気づかなかった。


 いや、僕は気づこうとしなかった。


 庭城さんの心に負うダメージを測ろうとすらしなかったのだ。


 なにもフォローせず、知らん顔していた影響が成績という目に見える結果として表れた。


 それを知った僕は遂に決意する。


 —―庭城さんには真実を知ってもらおう。


 愛澄華あすかには知らせなくとも、庭城さんには知る権利がある。そう思った。




 ――放課後。


 僕は部室にも、図書室にも行かず、庭城さんがいる会議室へと向かった。


 僕はどう思われようと構わない。でも、彼女を傷つけたままにするのは違う気がする。


 意を決して、会議室に入ると……すでに庭城さんが補習課題に取り組んでいるところだった。


「あれ? なに? 立石くん?」

「庭城さん。ごめん! 僕はキミに謝らなければいけない」


 入ってすぐ僕は謝罪の言葉を述べる。


 すると、庭城さんの反応は僕が思っていたものと違った。


「あ……えっと、なにが?」


 まるで僕がしたことがなかったことにされているようだ。


 本当に僕がなにを謝っているのかわからないという様子。


 いや、違う。


 庭城さんはなかったことにしたくなるほどに苦しんだんだ。


「手紙……好きだなんて書いておいて、別の人と付き合ってる。それどころか、僕は指定した場所に顔すら見せなかった。本当にごめん!」

「あ~、ううん。もう気にしてないから大丈夫だよ」

「本当⁉」

「ええ、本当よ」


 庭城さんの言葉に嘘はないようで、ただただ僕の行動に困惑しているように見える。


 そして僕は、さらに続けて本当のことを話した。


「あと、僕が庭城さんのことを好きなのは本当だから!」

「ふぇ? ……でも……立石くんは川田さんと付き合ってるんじゃ……」


 庭城さんは驚きふためくも、僕の話を黙って聞いてくれた。


「付き合ってるよ。でも、それは間違いで……本当は告白されたあの日。断るつもりだったんだ。でも、あらぬことか返事を間違えて……僕は庭城さんを傷つけることになった。本当にごめん!」


 突飛なことを言っているのは自分でもわかっている。でも僕は、逃げるわけにはいかない。


 僕はどうなろうと構わない。


 庭城さんに殴られようと、突き飛ばされようと、軽蔑されようと…………僕がやったことはそれほどに酷いことだと思う。


 だからこそ僕は、庭城さんの表情に驚かされた。


「……そう……なのね……」


 庭城さんは涙を流すも、不思議とその涙の意味は悲しみではなかった。頬を緩めて、嬉しそうにしている。


 終いには「よかった」と言って、安心しきった表情を見せていた。


 怒られることを覚悟していた僕は、呆気に取られる。


「それじゃ、行こう」


 袖で涙を拭った庭城さんは僕の手を取り、先導してどこかに連れて行こうとする。


 庭城さんがなにをしようとしているのか理解できない僕は問う。


「どこに?」

「どこにって……決まっているでしょ……?」


 庭城さんがなにをしようとしているのか理解できない僕は足を止め、この場から動かないようにしていた。


 すると彼女は首を傾げ、わからないの? という風な表情を見せて言った。


「川田さんのところに行くの。本当は付き合うつもりじゃなかったのなら、いつまでも交際を続けるのはおかしいでしょ」

「……うん……確かに……そうなんだけど……」

「なら、行くの!」


 庭城さんが僕の手を引くも、僕は動く気になれなかった。というのも、愛澄華に真実を言えない事情があるからだ。


 そのことを庭城さんは知らない。


 だからか、僕の行動理由が理解できずご立腹だ。徐々に怒りを顕わにする。


「もう! まだなにかあるの⁉」


 愛澄華は野村くんに弄ばれていた過去がある。もしもまた同じようなことがあったと知ったら、彼女は立ち直ることができないだろう。


 今回の僕の件はわざとではなく、うっかりだ。だからといって受け取る側—―愛澄華はどう思うだろうか。


 いくら弁解しても聞き入れてくれないかもしれない。


 そう考えると愛澄華に真実を話すことは躊躇ためらわれる。


 庭城さんに事情を話して、愛澄華に真実を話すのを止めたい。


 だが、愛澄華の過去は彼女のプライバシーに関わることで、おいそれと話していいことではないだろう。


 なにかうまく庭城さんに伝える方法はないだろうかと考えてみる。


 そしてある結論に至り、話してみた。


「例えば……」

「例え?」

「そう。例え」


 庭城さんが理解できないという風に首を傾げている。僕は気にせずに続けた。


「例えば、ずっと欲しかったくまのぬいぐるみがあったとする」

「は~」

「それを念願叶ってクリスマスにサンタさんからプレゼントしてもらった」

「で? それが?」

「ところが数日後、それは本当は違う人にあげるつもりのものだったから返して欲しいと言われる」

「ん?」

「そんなことされたらどう思う?」

「怒る……よね?」

「そう。あす……川田さんに真実を話すのはそういうこと」


 咄嗟に愛澄華と下の名前を呼びそうになったが、この場でそれをすると火に油な気がして言い直した。


「怒られるのがイヤだから言わないつもり?」

「いや……そういうわけじゃ……」

「いいから行くよ!」


 ダメだった。


 僕の手を引くのを止めようとしない庭城さん。


 もう……こんな説得なんて止めて、庭城さんの言う通り、あすかに真実を話してもいいのではないかと思い始めた。


 ――刹那。愛澄華が悲しみの涙を流す光景が脳裏をよぎる。


 僕の過ちで誰も悲しませないよう動いているのに……こんなところで諦めるわけにはいかない。


 そう決意を固め、庭城さんへの説得を再度、試みる。


「今のを!」


 必死になるがゆえに、声を荒らげてしまう。


 庭城さんが僕の声に驚くも、僕は気にせずに続ける。


「今のを……なんどもされたらどう思う?」

「今のを……って、くまのぬいぐるみの話?」

「そう!」


 庭城さんが困惑するも、僕は引くわけにはいかない。


 これ以上だれかを傷つけるわけにはいかない。そういう思いが僕を動かしている。


 そうした僕の思いが通じたのか。庭城さんは呆れたという風に嘆息したあと、言った。


「わかった。真実を伝えない。別の方法を考えましょう」


 こうして愛澄華に真実を話さないという方向で落ち着いた。

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