第22話 保健室では飲食禁止だったかどうかなんてもう忘れた。

 野村君が保健室から去っていった後も、保健室の先生は不在。


 昼休みは始まったばかり、付き合っている彼女――川田かわた愛澄華あすかとふたりっきり。これでやましいことをしない方が無理がある。


 付き合うことになってから、初めて密室にふたりっきりになった。付き合っているのだから、なにもおかしいことはない。


 僕ら以外に誰もいない。周囲の視線にさらされることはなく、なにが起きてもうわさされることもなければ、新聞部に取り上げられることもない。


 なにをするにしても僕らの自由。そんな開放的な空間の中で僕たちはなにをするのかというと……


「諒清……ほら、あーん」

「いや、いいよ。自分で食べれるから」

「ダメですよ。私の言うことを聞いてください!」


 どういうわけか、僕は川田さんにご飯を食べさせられていた。狭いベッドにふたりで入り、壁に寄りかかる。


「お腹空いてますか? 空いてますよね」


 そう言って強引に保健室での昼食タイム。


 手際よく準備をして、川田さんが普段から愛用しているであろう箸で卵焼きを挟んで僕の口を目掛けて突きだしてくる。


 川田さんの好意を無下むげにできない。気持ち的に逃げ場のない僕は抵抗できず、川田さんが突き出してくる卵焼きを頂くことにした。


「あむ。もぐもぐ。ごっくん。……おいしい」


 食べた瞬間にめようとしていたわけではない。


 僕が食べられさせられたそれは卵焼きにしてはあまりにもおいしかった。絶妙な焼き加減、味付け。難癖なんくせつけることはなにもない。


 卵焼きに焦げ目はなく、程よく焼けている。砂糖多過ぎな甘さはなく、醤油しょうゆ多過ぎな感じもなく、砂糖と塩を間違えたということもない。ただただ、よくできた卵焼きだった。


「ふふん。これでも私は家事が得意なのです。どうですか? れ直しましたか?」

「……うん……」


 胸を張って自信ありげにしている川田さん。自分で料理……それもお弁当を作っているだけでも偉いのにその味が絶品とは恐れ入った。


 僕の返事を受けた川田さんが「はへ?」と頬を赤くしてるがどうしたのだろう。


 僕はなにか変なことを言ったかな? と川田さんが言ったことを反芻はんすうする。


『惚れ直しましたか?』これに対して僕は…………思い返したことで僕は顔に熱を感じる。


「それにしても僕が倒れたなんてよく知ってたね」


 川田さんは別に僕をとがめることなく、淡々と応じた。


「すごい騒ぎになっていたんですよ。流れ弾が顔面に直撃して、気を失うようなぼーっとした文芸部員がいるって……なんで避けなかったんですか?」

「えっと……避けなかったわけではなく……避けられなかった……と言いますか……」

「中学時代はサッカー部だった訳ですし、避けようと思えば避けたんじゃないんですか?」


 前言撤回。


 僕がした質問になんだか怒ってないか? なんだか僕……川田さんに責められているように思えてならない。


「ちゃんと避けないと危ないですよ。元サッカー部」

「……うん……?」


 はたと疑問が僕の脳裏を過ぎる。


 僕と川田さんは別に同じ中学に通っていた訳ではない。さらに僕から中学時代にサッカー部だったことを話した記憶もない。それでは川田さんはどこでその情報を得たのだろうか。


「僕……サッカー部だったこと話したっけ?」


 あわあわとやらかしてしまったという風に川田さんは慌て出す。


「そりゃ彼女ですから、知ってて当然です」

「そういうもんなの?」

「はい!」


 今まで彼女ができたことのない僕は初めて知った。さらに聞いてもいないのにペラペラと川田さんはしゃべり続ける。


「他にも妹がいること、文芸部であるのに国語の成績が良くはないこと」


 ここまではそうか彼女なら友達から情報を集めて知っていてもおかしくはないかもしれないなとうんうんと頷いて聞いていた。だが、問題はここからだった。


「小学校入学直前までおねしょしていたこと」

「ちょっと待って!」

「なんですか?」

「なんですか? じゃないよ! なんでそんなこと知ってるの? 僕でさえも忘れかけていることだよ」

「彼女ですから」

「その一言で済んでいいこと!?」

「はい!」


 清々すがすがしい程に見事な――はい! という返事に納得しかけるも、僕は続けた。


「いったいどこからそんな情報を手に入れるの?」

「諒清母、私の母、私、の順に情報が回ってきました」

「情報漏洩者は僕の母だった」

「同じマンションに住むなら情報共有するのは常識です」

「そんな常識は僕、初めて聞いたよ」


 ツッコミで切れた息を整えてから、すでに知っていそうなことを確認で話してみる。


「その分だと中学時代の定期テストで0れいてんを取ったことも知ってるの?」

「それは初耳ですね。しっかりノートに記録しておきますからご安心ください」


 川田さんのカバンから『立石諒清の記録ノート』と記載されたブツを取り出して、これ見よがしに僕に表紙を見せてくる。


「なにも安心できないモノが出てきたよ!」

「記録をつけておくことは大切ですよ」


『なにもおかしいことはないはずなのに、なにがいけないの?』と言わんばかりに首を傾げて川田さんは僕を見ている。逆におかしくないところを教えて欲しい。


 記録をつけることは大切。


 いや、そこじゃない。確かにそこはおかしくないけど、言いたいことはそういうことじゃない。


 僕は川田さんがカバンから取り出した『立石諒清の記録ノート』を取り上げようと手を伸ばす。それを川田さんは回避した。


「ちょっと見せて欲しいだけなんだけど……」


 ひきつった表情で僕は川田さんに微笑みかける。


「その手には乗りませんよ。これは私の私物です。所有権は私にあります」

「そこに書いてある内容は僕に管理する権利があるはずだ。だから僕にそれを見せる義務がある」


 ベッドを飛び出してブツを取られないように川田さんは逃げる。川田さんを追いかけてブツを僕は奪おうとする。


 保健室内をぐるぐる、バタバタとふたりして駆け回る。


 脳内に『捕まえてみなさい』『待ってー』なんて浜辺のきゃっきゃむふふなシーンを再生するも、今はそういう状況とは違う。


 僕の貞操ていそうが記録されたブツを奪取すべく必死だ。対して、川田さんもノートを奪わせまいと必死だ。


 そんな必死と必死が交わり、絡まることで起こることといえば――


「いつつ……」


 ――気づけば僕が川田さんを押し倒す形になってベッドに横たわっていた。


「強引なのは嫌いじゃないですよ」


 ポッと頬が赤くする川田さん。


 その刹那の出来事だ。


 ガラガラと保健室の扉が開いて誰かが入ってくる。


「なんだ。元気じゃない。いろんな意味で」


 そこには僕の母親と保健室の先生が立っていた。


 出たな! 情報漏洩者! ……なんて言える状況ではない。




 保健室でのバタバタのあと、近くの脳神経外科を標榜ひょうぼうしている病院へと受診しに行った。


 受付の際に授業中のことだから学校の保険を使うか聞かれた。僕にはなんのことかわからなかったが、母はわかっているようで適当に応じていた。


 待ち時間。


 保健室での飲食は禁止だということを思い出す。ルールを破ってしまった罪悪感を発散させるかのように、僕は母に情報漏洩したことを責め立てた。


 母は「ごめん。ごめん」と軽く謝罪したが、反省はしていないだろう。


 検査を終え、診察に入る。


 検査結果は特に異常なし。いろんな意味で健康体だと意味深な診断を受けてから家に帰った。


 ちなみに『立石諒清の記録ノート』は川田さんが所持したままだ。

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