第21話 体育の授業中。顔面にボールが直撃。保健室に移動。そんなべたな展開になってしまった。

 試合終えての見学という名の休憩時間。体育館の壁に寄りかかる。


 コート2面で総勢約50人で授業を受けているため、試合できるのは20名まで。従って、他の30名程は休憩することとなる。その内数名は持ち回りでスコアボードをめくる。


 運動部で体力があまり余っている人はステージでドリブル対決をしている。盛快しげやすなんかがそうだ。楽しそうではあるが、僕にそんな体力はない。眺め見るだけで精一杯だ。


 休憩は普段から運動しない生徒のための配慮だろう。ありがたい。いっそのこと僕はずっと見学でもいいんだけど……すでにその枠は埋まっているようだ。お声が掛からない。自ら進言するのではなく、待っているあたり、僕らしい。


 積極性を欠き、同部内に好きな子がいたとしても、なかなか関係を結ぶ勇気を持てない。


 そうこうしているうちにまったく別の子からお声が掛かり、なんやかんやで好きでもないのに関係を結んでしまう。


 多くの人は学園一の美少女と付き合っている状況を羨ましいと思うだろう。


 ところが、僕は嬉しくはない。


 好きでもない子と付き合ってなんになるというのだ。そんな信念を持っていたはずなのに……川田さんの告白を了承し、新聞部に取り上げられ、彼女の元カレに睨まれる。僕にとって、彼女と付き合うことになって良くなったことがない。


 これまでのことを振り返りひとり嘆息する。


 することもないため、なんとなく試合を観る。


 野村くんが試合中だ。


 ボールを所持しておらず、パスを貰うのを待っている模様。彼が誰かからのパスを受け取って、そのまま流れるように誰かにパスをする。


 するとなにやら丸い物体が、まっすぐ僕の方へと近づいてくる。


 ドンッ!


 顔面と後頭部に強烈な打撃を受ける感覚があった。




 —―キーンコーンカーンコーン。


 学校のチャイムで目が覚めた。どれくらい時間が経ったのかわからない。


 場所はベッドの上。チャイムの音が聞こえたことと、消毒液の匂いが漂っていることから、僕は学校の保健室にいるのだと理解した。


 体を起こすと頭に鈍い痛みを感じる。我慢できないほど痛いわけではない。むしろ体よりも心の方が痛い。


 僕にボールをぶつけてきたのは川田さんの元カレ――野村のむら勝己かつき。睨むだけでは我慢できず体育の授業中の事故とこじつけて物理的な攻撃を仕掛けてきたのだと見受けられる。


 そこまで考えて本当にわざとだったときの恐怖を感じる。決めつけるのはよくないと思考を停止することにした。


 今まで優しくしてくれたことを思うと、ひどくギャップがあるように感じられる。


 ベッド備え付けのカーテンを開け放つ。その際、実は未知の世界が広がっているんじゃないのかという期待感を胸に抱く。


 いっそのこと、異世界に逃げ出したい。パーティーには、信頼できる心の友枠に男性弓使い、陽気な性格で場を盛り上げてくれる若い魔女、冒険を終えた後に結婚することを約束した回復魔法主体の魔術師。そこに僕を入れた計4人で冒険の旅に出たい。


 そんなはかない夢は一瞬で打ち砕かれた。そんな夢物語に浸ってないで現実を見ろ! と言わんばかりに視界に時計が入ってくる。


 時計を見ると昼休みであることがわかった。体育が3時間目だったことを思うと、4時間目は強制的に欠席で、最低でも1時間は寝ていたことになる。


 保健室の先生は室内にいない。


 僕が使っているベッド以外はカーテンが解放されている。そのことから、他に利用している生徒はいないようだ。


 ゆえに、保健室にはただいま僕ひとり。


 そのことに安堵して、肩の力が抜ける。抜けた力を感じて、保健室内に僕以外がいるかもしれないことを恐れていたことに気づく。僕としてはあんまり大事おおごとにしたくはないからね。


 廊下から足音が聞こえる。


 バタバタと騒がしく、慌ただしい。足音だけで急いでいることがわかる。その音は徐々に近づいてきているようだ。


 廊下を走るのは危ないよ。そんなのんきなことを考えていると、保健室の扉が開かれた。ガラガラと勢いよく人の手によって開け放たれる。


 扉を開けた当人はハァハァと息を切らしていた。息を整える間さえも惜しいようだ。そのままズカズカと僕がいるベッドに近づいてくる。ベッドの前で足を止めた。


 その人は僕の彼女――川田かわた愛澄華あすかだった。


 瞳から彼女の内から溢れ出る優しさがこぼれていた。どうやら僕が気を失って倒れたことを聞きつけて駆けつけてくれたようだ。


「……ふっぐ……心配……したんだよ~」


 川田さんが僕を抱きしめてワンワンと泣き出す。僕の体操着は濡れに濡れ、その奥にある僕の心が癒されていくのを感じた。


 僕はこの時まで好きでもない子と付き合っていていいのか、その子を僕の彼女だと心から思っていいものかと疑問に思っていた。


 でも……彼女にとって、僕は今付き合っている彼氏なんだ。


 そう考えると、もう僕は彼女のことを好きではないのに誤って告白を了承してしまったことがどうでもいいように思えてきた。


 今ある事実として僕たちは付き合っているんだ。その相手が気を失って倒れたとあれば駆けつけるのは当たり前だし、涙で癒そうとするのも当然の行動だ。


 だからこそ、僕は彼女を抱きしめ返して彼女の気持ちに応えた。


「心配かけて……ごめん」


 簡単な言葉しか交わしてはいない。でも、今の僕たちにはそれだけ十分だ。難しいことは必要ない。誰も求めちゃいない。


 学校の保健室というエロ漂う空間で恋人同士で抱き合う。


 傍から見たらどう見えるのだろうか。そんな今はない他人の目を気にしつつ、恋人との至福の時間を味わっていた。


「……えっと……そろそろいいか?」


 声がする方に視線をやると野村くんが立っていた。


 現バスケ部長で川田さんの元カレ。体育の時間、僕にボールをぶつけてきた――野村のむら勝己かつきだ。右手人差し指で恥ずかしそうに頬をかく。


「あなたね! どの面下げて、のこのこと、こんなところに来たんですか⁉」

「え? ……いや、オレは別に……」

「あなたはいつもそうです! 人の気も知らないで! どうせ彼の姿を見て嘲笑あざわらいにきたんですよね!」


 川田さんが異様な剣幕で野村くんをまくし立てようとする。その様子から彼女は気が強いなと思いつつ、僕は見ていた。


 ふたりが付き合っていたことは知っている。ただ、僕が知っているのはそれだけだ。それ以上のことを聞いたことはないし、川田さんに聞くのも躊躇ためらわれる。


「いや、違うって!」

「違いません! あなたはそういう人です!」


 野村くんの言葉を微塵みじんも聞く気がないと言わんばかりに威嚇いかくする。話が進まないことを悟った野村くんは川田さんの視界にカバンを見せつけた。


「立石のカバンだ。先生が今日はもう帰れって。じきに親が来る。念のため、病院で検査してもらえだとさ」


 野村くんがここに来た理由はなんてことない。


 荷物を届けにと、連絡事項を伝えに来ただけだった。そのことを理解した川田さんは冷静になり、力なく「そう」とだけで応えた。


 僕のカバンを川田さんに渡して、用事が済んだといわんばかりに、早々に保健室を去ろうと背を向ける。


 その刹那。ハッと忘れかけていたことを思い出したような素振りをしたあとに、野村くんは一言だけ告げる。


「……あと……わざとじゃねぇからな」


 謝罪することが恥ずかしいのか、野村くんは僕や川田さんの目をまったく見ないで告げた。野村くんは小声で……だけど確かに僕の耳に届く声となっていた。


 本当のところはわからない。ただ、本人がそういうんだから僕は信じようと思う。


 野村くんが僕にボールをぶつけたのはわざとではない。不慮な事故だ。


 そう考えるのは僕だけかもしれない。保健室の扉が野村くんによって閉められ、足音が聞こえなくなった頃。


「あんなの絶対にウソです」


 野村くんが去っていった扉を見つめている川田さんの小声が僕の耳を撃つ。


 僕に聞こえるように言っているのか、そうではないのか、僕にはわからない。だが、確かにわかることがあるとすれば、それは――


 ――川田さんに嫌われることを野村くんがしたという事実だ。

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