第47話 フェリックス、じゃあな。

◇◇


 ――ジョー王子が悪魔に姿を変えるですって!?

 ――王宮から貴族や使用人たちが我先にと大勢飛び出してきたから間違いない。

 ――このままだとここらも危ないな。

 ――急いで遠くへ逃げましょう!


 俺、メアリー、レオ、そしてなぜか途中で合流したマクシムの4人が王宮を出る頃には王都はパニックになっていた。

 みな王都を出る門に殺到し、道は人であふれかえっている。

 とてもじゃないが馬車で通れそうにない。


「庶民は何かあるとすぐに慌てふためくから行儀が悪い。ああ、嘆かわしい……」

「ふふ。そういうマクシムさんだって、私たちの馬車の前に突然あらわれて、『お願いだから助けてほしいのであーる!』って泣きながら取り乱してたじゃない」

「こ、こらっ! ちみは何てことを言うのだ!」


 ある意味で普段通りのマクシムとメアリーをそのままにして、俺は御者台にいるレオに声をかけた。


「なあ、どこか裏道を知らないか?」

「裏道? いや、知らねえな」

「そうか……」

「だがもしかしたら美容室の姉ちゃんなら知ってるかもしれねえぜ」

「美容室の姉ちゃん?」

「ああ、まあとりあえずダメもとで行ってみるか」


 レオがピシリと馬の尻に鞭を打ち、馬車が門とは逆の方角へ動き始める。

 そして路地裏の古い建物の前で止まった。


「クロード。あんたが行けばきっと力になってくれるはずだ」

「どうして俺が?」

「いいから行ってこい。もう時間がないんだろ?」


 確かにレオの言う通りだ。

 グズグズしてたら日が暮れちまう。

 日が暮れればシャルロットはフェリックスに……。

 それ以上は考えたくない。

 馬車を出た俺は年季の入った木製のドアを開けた。


「いらっしゃいませ!」


 明るい元気な女の声。

 その声の印象そのままに、天真爛漫といった若い女が店の奥から出てきた。


「あら? あなたは……」

「クロードだ」

「そうそう! リゼットさんのお気に入りの!」

「リゼットのお気に入り? 何の話だ?」

「あははっ。まさか本物とおしゃべりする日がくるなんてね! あ、申し遅れたわね。私はメリッサ! よろしくね!」


 やたらフレンドリーな女だな。

 なぜか俺のことを知っているみたいだし……。


◇◇


 ちょっと話しただけでメリッサという女の正体はすぐ分かったよ。

 いわゆる情報タレコミ屋。

 リゼットが俺の正体を知っていたのは、彼女の仕事のおかげだったんだな。

 口が軽すぎるところからして、まだまだヒヨッ子だが、筋はいい。


「あ、そこを右ね! それから次の次の交差点を今度は左だよ」


 広い街の細かい路地を頭に叩き込むってのは、優秀な情報屋でもなかなかできないからな。

 彼女の指示は至極的確で、少々時間はかかったものの、王都からの脱出に成功した。


「ここからノーマまではどれくらいかかる?」

「うーん。明日の朝までには着くんじゃないかな」

「それだと遅い。日が暮れるまでには着きたい」

「ええっ!? 無茶言うなあ……。あはっ。分かったよ。少し揺れるけど我慢してね!」


 それからの道のりは『少しの揺れ』ってもんじゃなかった。

 マクシムのカツラが馬車の中で右へ左へ飛び交っていたからな。

 相当な悪路だったよ。

 途中の町で馬を変え、休む間もなく先を目指した。

 そうして空が紫色に変わり始めた頃。


「あはは! 見えてきたよー! あれがノーマの街!!」


 メリッサの掛け声で全員の顔がはっと上を向いた。

 御者台の向こう側を覗くとぽつぽつとオレンジ色の灯りが目に入る。

 ドクンと胸が脈打ち、手に汗がじんわりとにじんでくる。

 

 あそこにシャルロットがいる――。


 そう考えただけで心臓がはちきれんばかりに音を立てたのはなぜだろうか。

 彼女と分かれ分かれになってから、まだ1日もたっていないのに、なつかしさすら感じる。


 もうすぐだ。

 もうすぐ会える。


 純粋な期待がふくらんでいく。

 しかし、こちらに向かって這うようにして歩いてきた男が目に映ったとたんに、まるで風船に穴をあけられたかのように気持ちが冷めてしまった。


「フェリックス……」


 髪は乱れ、右肩からは血がにじんでいる。

 身だしなみには神経質なくらいにうるさい彼からは考えられないくらいに、みじめな格好だ。

 彼の身に何があったのか……。

 恐らくシャルロットを襲おうとして返り討ちにあったのだろう。

 リゼットが俺との密約を果たしてくれた証とも言えるかもしれない。

 向こうもすぐに俺に気づいたようだ。

 それまでの死んだ魚のようだった目に、媚びるような光をともし、口元に嫌らしい笑みを浮かべた。さも「当然俺を助けてよな」と言わんばかりに……。


「フェリックス殿下ではないか! しかもけがをしておられる! おいっ、ちみ! 今すぐ馬車を止めて殿下をお救いするのだ!」


 マクシムが耳元で騒ぎ出す。


「ここで助けねば国際問題になるのであーる! 逆に殿下の危機を救えば、両国にとってはまたとない友好を深めるチャンス! ささ、早く馬車を――」


 マクシムは身を乗り出して御者台のレオに命じようとしている。

 ……が、俺はそれを許さなかった。


「通り過ぎるんだ」


 マクシムが目を大きく見開いた。

 馬を操るレオは「え? 本当にいいのか? ケガしてるみたいだぞ」と俺に確認してくる。

 だが俺が無言で首を縦に振ったのを確認した直後、馬に鞭を強くくれた。


「はっ!」


 馬車は加速してフェリックスの横を通りすぎていく。

 口をポカンと開けて目を丸くしたフェリックスは、何もできずただ立ち尽くしていた。


「じゃあな」


 あえて口を大きく開いて言ってやった。

 どうせ声は届かないだろうから。せめて唇の動きで俺の言いたいことが伝わってくれればいい。

 何のためらいもなくフェリックスを置き去りにした馬車は、ノーマの街へ入っていったのだった。



 

  

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