第41話 兄弟の再会
◇◇
「今までの交渉を白紙にしたい、だって……?」
フェリックスの顔から血の気が引いた。
「フェリックス殿には悪いが、これまでの両国のたどってきた歴史を考えれば、そう易々と貴国を信頼するわけにはいかないのだよ」
アッサム王国の国王エルドランが淡々とした口調で返したのに対し、フェリックスは懸命に笑みを浮かべようと努力する。だがどうしても眉間にしわが寄ってしまうのを抑えられなかった。
「納得がいきませんな。これまでのことはすべて水の泡というのは」
エルドランはグラスにウィスキーをそそぎ、くいっと飲み干す。
深いしわが刻まれた顔に、すわった目。凄みのある表情にフェリックスの引きつった笑いが消えた。
「外交ってのはそんなもんだ。おぼっちゃん」
半開きになった口が閉じようとしない。
テーブルの下に隠した拳がわなわな震え、フェリックスは叫び出しそうになるのをこらえるのに必死だった。
そんな彼の様子を見て、エルドランはふっと肩の力を抜いた。
「だが、一つだけあるぞ。我が国と貴国が固い絆で結ばれる方法が」
フェリックスの顔がはっとなった。
「それはいったい何でしょう?」
「婚姻だよ。家族になれば信頼を寄せられるだろう?」
「婚姻……。いったい誰と誰が……」
「ははっ。それを言わせるとは、おまえさんもなかなか意地が悪いな! 我が国の王女と貴国の皇子に決まっておるではないか」
エルドランはニヤリと口角を上げた後、告げたのだった。
「貴国の皇子殿に、我が娘シャルロットを妻に迎えてほしいのだ」
◇◇
騎士の叙任式の時も感じたが、シャルロットには華やかな場が良く似合う。
淡い水色のパーティードレスに身を包んだ彼女は、女のことに疎い俺の目から見ても、眩しいほどに輝いている。
横を歩いているのが俺で本当にいいのか、と疑いたくなるくらいだ。
「どうしたの?」
目を丸くしたシャルロットが突然こちらを向いたものだから、慌てて俺は顔をそらした。
「いや、なんでもない」
「ははーん、さては私があまりにも綺麗すぎて、見とれてたんでしょ?」
はい、その通りです――なんて答えるわけにもいかないしな。
いや、実際のところ、別に見とれてはいない。
ただ、いつもと違う雰囲気だったから……。
「冗談よ。そんなわけないのは知ってるから。さあ、行くわよ」
シャルロットの方から話を切り上げてくれてほっとしたのもつかの間、宮殿の応接間のドアが大きく開かれた。
国王主催の晩餐会とあって、高貴な貴族や令嬢たちで溢れかえっているが、シャルロットの登場で全員がざわついた。
「あれってシャルロット様よね?」
「うそ。もう何年もお見かけしなかったけど……」
「あの隣にいる男はもしかして庶民の間で『聖騎士』と噂になっている御方かしら」
好奇の目がこちらに向けられる中、シャルロットは堂々とした態度で一喝した。
「道を開けなさい!!」
はじけるようにして人々が脇に寄り、巨大な広間に道ができる。
その先にはこれまた大きなテーブルがあり、髪を塔のようにセットしたローズと、その隣にかっぷくのよい初老の男が並んで座っている。
きっと彼がこの国の国王、エルドランだろう。
王妃の背後には髪をオールバックにした青年。さらに国王の脇に控えているのはリゼットか。
「ローズお母さま、お久しぶりでございます」
「久しぶりね。元気にしてたかしら?」
「ええ。私、強くなりましたの。何度か命を狙われましたからね」
「ほほ。それは頼もしいわ」
「ふふ。これも全部ローズお母さまのおかげですわ。ところでジョーは?」
「ああ、あの子は体を崩していてね。今日は残念ながら欠席よ」
「まあ、そうでしたの」
剣豪同士の斬り合いのような緊張感のある母娘の会話すら興味がわかない。
俺の目をくぎ付けにしていたのは、彼女たちに向かい合って座る身なりのよい青年だったのだ。
「まさか……」
周囲の声がぴたりとやんだ。否、正確には耳に入っても脳が反応しなくなった。
高い鼻、尖ったあご、何よりも薄気味悪い口元の笑み……。
間違いない。
俺の兄、フェリックスだ――。
彼もまた俺に気づいたようで、一瞬だけ目を丸くしたがすぐに元の表情に戻る。
だがその瞳は俺をとらえたまま離れようとしなかった。
――見つけたぞ。
口に出さずともそう思っているのは、彼の三日月のような口角を見ればすぐに理解できた。
体温が急激に下がり、心臓が音を立てて動き出す。
インビジブル・ワイヤーが体中にからまっているように足が動かない。
「……ド。……ロード。ねえ、クロードったら!」
耳元でシャルロットに大声で呼ばれ、ようやく我に返ると、いつの間にか彼女の席まできていた。
「私はここに座るから、食事の間、あなたは後ろで控えてなさい」
「あ、ああ」
フェリックスだけでなく、国王や王妃も俺に不審な目を向けている。
ここで余計な勘繰りをされるのはまずい。
気を取り直して、オールバックの青年の横に立つ。
「大丈夫か? 顔が青いぞ」
「大丈夫だ。問題ない」
そう答えたはいいものの、大問題なヤツがすぐ近くにいるのだ。
なぜ彼が?
その疑問は意外にもすぐに解かれた。
「諸君。よく集まってくれた!! 今宵は実に嬉しい報せが2つある!!」
エルドランがよく通る低い声で切り出すと、それまで騒がしかった場が静寂に包まれた。
「1つ目は長年いがみ合ってきたグリフィン帝国と手を結ぶ機会を得られたことだ。ここにいる帝国の皇太子、フェリックス殿によって吉報がもたらされた! 皆の者、あらためて尊き客人に惜しみない賛辞を送っていただきたい!」
割れんばかりの拍手が巻き起こる中、立ち上がったフェリックスが軽く手を上げてから深々とお辞儀をする。
ちっ、かっこつけやがって。
てめえはただ出された書状にサインしただけだろうに。
喉まで出かかった反吐を飲みこみながら黙然としていると、場がしずまったところで、エルドランが再び口を開いた。
「そしてもう1つ! 我が娘、シャルロットについて、皆に報告があるのだ!」
なんだって!?
ドクンと心臓が脈打つ。
シャルロットが焦った顔つきで俺の方をちらりと振り返ってきたが、俺だって何も知らない。
嫌な予感しかしない展開。
だが何もできず、ただエルドランの言葉を待つしかなかった。
「グリフィン帝国の皇子と結婚させることにした!! 皆の者!! 大いに祝ってくれ!!」
グリフィン帝国の皇子と言えばフェリックスしかいない。
……ということは、フェリックスとシャルロットが結婚する、ということか。
これは大変なことになったぞ。
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