第30話 シャルロット様のこと、大切にしてくれよな

◇◇


 クロードが騎士に叙任された日の翌日。

 シャルロットはマルネーヌの館を訪ねた。

 いつも通り、イチゴジャムをサンドしたクッキーとレモンティーで穏やかなひと時を過ごす中、マルネーヌがシャルロットの方に身を乗り出した。


「ねえ、王女様。ところで彼とのカンケイは進んだ?」

「彼? カンケイ?」

「彼はクロードさんで、カンケイと言えば、恋、に決まってますわ」

「んなっ!?」


 シャルロットは口に含んだばかりの紅茶を吹き出しそうになるのを、必死にこらえた。顔がかっと熱くなり、唇が上手く動かない。頭の中はグルグルかき回されたようで、言葉が出てこない。その代わり、なぜか涙が出そうになる。


「その様子だと、まだまだのようですわね」


 まだまだも何も……。

 と言いかけたところで、マルネーヌが得意げな顔で続けた。


「でも、ご安心ください。私のお兄様が上手くやってくださいますわ」

「アレックスが?」


 ドキッと胸が脈打つ。


「お兄様からクロードさんに、こう言ってもらうことにしたの」


 コホンと咳払いしたマルネーヌは、目を閉じて、胸を張った。

 アレックスになり切ったつもりなのだろう。


「シャルロット様のことを大切にしてほしい。彼女のことを幸せにできるのはクロードしかいない。恋をするんだよ」


 シャルロットはポカンと開いた口をどうふさいだらいいのか、まったく分からなくなってしまった。足元では主人の異変に気づいたモンブランが短い足を懸命に彼女の膝にかけている。

 モンブランの頭をなでて、私は大丈夫、と落ち着かせる。

 だが全然大丈夫じゃない。

 落ち着かなければならないのは自分の方だ。

 

 ――どうしよう……?


 と困惑する。……が、戸惑う気持ちはすぐにかすんでいく。

 代わりに威風堂々と闊歩してきたのは、


 ――もしかしたら……。


 と目をキラキラと輝かせて何かを期待する自分だった。


◇◇


 シャルロットがマルネーヌの館へ遊びに行くのにお供をするのは、リゼットの役目だった。彼女がいない今、新たに侍女のリーダーとなったメアリーにその役目が回ってくるのが普通だろ?


 それなのになんで俺なんだ……。


 クロードが一緒じゃなかったら絶対にいやっ、って、中庭でわめくものだからどうしようもない。

 そりゃ「どんなことがあっても、そばにいてくれ」と言われた時に、何も考えずに「はい」と答えたさ。

 でも、クソったれなこの世界は、本音と建て前でできてるじゃんか。


 あれはそう……建て前だ。


 前よりも快適なベッドをもらったからには、これまで以上に頑張ります、みたいなことを言わないと、人間的にダメだろ?

 でも実際には今まで通りで問題ないはずじゃないか。


 いや、別にここにくるのが嫌という訳じゃないんだ。

 俺はただ巨大なベッドで爆睡したいだけなんだよ――。



「うんうん。分かるよ。君の気持ち。でも、こう考えればいいんじゃないかな? 今、君は友と一緒に最高の風呂につかっている。しかもその友は明日からしばらく戦場に出てしまう。もしシャルロット様のわがままがなければ、こんな素晴らしい体験ができなかったできなかったんだよ?」


 俺は今、すべて大理石でできたバカでかい浴室に、アレックスと二人でいる。

 なんと風呂だけのためにアレックスが建てた別館だというから驚きだ。

 しかもわざわざ北の山の奥にある秘湯から湯をここまで引いているらしい。

 まさに風呂マニアであるアレックスのこだわりが詰まっていると言っても過言ではない場所なのだ。


「おい、待て。アレックス。一つだけ言わせてもらう。俺にとっての、唯一であり、最高の幸せは『爆睡』なんだ」

「あはは! そんなことは百も承知さ。でもさ。『幸せ』なんてものは色んなパターンがあった方がいいじゃないか」

「そうか? 俺は気持ちよく爆睡できれば、それだけで満足だけどな」


 熱い湯に長時間つかるのに慣れていない俺は、ものの5分もたたずに浴槽のヘリに腰かける。

 一方のアレックスはまだまだ余裕がありそうだ。鍛え上げられた上半身を湯船から出した彼は、顔の汗を純白のタオルで拭きながら言った。


「今日からは『友と一緒に風呂に入る』というのも、君の『幸せリスト』に加えてくれよ」


 幸せリストだと? なんでどいつもこいつも洒落た比喩が好きなのかね?

 まあ、今の状況だって、悪くないと思ってる。それは事実だ。

 だって考えてもみてくれ。

 ついこの前までは、何の警戒もせず、武器すら持たず、裸になって手足を思いっきり伸ばすなんて、考えることすらできなかったんだからな。しかも敵国の大将を目の前にして、だぞ。

 だから悪くないのは確かだ。

 しかしそれ以上のものでもない。

 

 それに幸せなんてものは誰かと分かち合うものではないだろ。

 一人でひっそりと、誰にも邪魔されずに、自分の世界だけに浸って堪能する――。それが幸せだと、俺は信じている。

 どんなに仲が良かろうと、互いのことを信じていようと、しょせん他人は他人。

 芯の部分で分かり合うなんて幻想だ。


「ああ、考えておくよ」


 生返事で受け流しつつ、湯船から出て、右足を床に置く。冷たい感触が足の裏から頭まで一気に駆け上ってきた。

 夢の中から現実に引き戻されたような錯覚に陥る。

 とは言え、本当にこれは現実なのか……。

 暗殺者だった頃とのギャップが大きすぎて、未だに長い夢を見ている気がする。

 一歩足を踏み出す。

 今度は左足から伝わる現実。やはり夢じゃない。

 

「なあ、クロード」


 ふいにアレックスが声をかけてきた。

 まさか彼の口から「これは夢なんだよ」と告げられるのではないか。

 悪い予感に心臓が音を立てはじめる。だが彼の言葉は想像の斜め上をいくものだった。


「王女様のこと。大切にしてくれよな」


 振り向いて、彼を見つめる。

 真剣な眼差しからして、彼がシャルロットにかけられた呪いのことを知っているのは間違いなさそうだ。

 だとしたら、彼の言う「大切にする」とはどういう意味だろう。

 まさか悪魔に姿を変えてからも、ちょっとぶつけただけですぐに傷んでしまうリンゴのように扱え、とでも言いたいのだろうか。

 これまで俺はシャルロットのわがままに散々付き合ってきたし、これからも仕方なく、付き合うことになるだろう。現にここにいるのだって、そうなのだから。

 それだけではダメなのか……?


「彼女を幸せにできるのは、クロード……君しかいないんだ」


 それはウソだな。シャルロットを幸せにできるのは、シャルロット自身以外はありえない。

 自然と乾いた笑みが浮かぶ。


「君はまだ分かっていないようだね。なぜ自分が騎士に任じられたのかを」

「リゼットを館に戻したくなかったからだろ?」


 アレックスは意味ありげに笑みを浮かべながら、首を横に振った。

 訳が分からないから、腰に巻いていたタオルを取って、肩にかけてみた。

 バチンと背中を鳴らし、冷たくなった湯が肩からお尻にかけて流れる。

 それでも分からない。

 ただ一つだけ分かったのは、メアリーとアレックスは違うということ。

 俺の下半身を見たメアリーは、天地が割れるほどの金切り声をあげ、俺の頬を渾身の力を込めて殴った。あれはソーセージと、呪文のように繰り返していた。

 でもアレックスはどうか。

 ほう、とだけ言ったきり、話を前に進めてきたのだ。


「リゼットじゃダメだから、君を手元に残したんだろ? 王国を影から支配している母親に逆らってまでしてね」

「なぜリゼットじゃダメなんだ?」

「リゼットではできなかったことが、君にはできたから――それしかないだろ?」


 リゼットではできなかったこと……。


 ――王女様を孤独の檻から出さないで。


 やはりこのことか……。


「あはは。あまり深く考えすぎなくても、君なら大丈夫さ」

「どうしてそう言い切れる?」

「なんとなくさ。でも君ならきっとやれる」

「ふん……。とにかく、俺は他人の頭の中を覗くのが苦手なんだ。シャルロットが俺に何を期待しようとも、それに応える自信はねえよ」


 再びアレックスに背を向けようとしたところで、彼の声が響いた。


「あ、それから『恋』をするんだよ」


 自然と顔がこわばり、目が大きくなる。

 俺の反応が意外だったのか、アレックスもまた目を丸くした。


「おや? もしかしてもう気になる人がいるのかい?」

「いや、いない。ただあまりに突拍子もないことだからな」

「突拍子もないこと? あはは。それは驚きだな。若い男女が恋をする、なんて、世界中どこにだってありふれたことじゃないか」

「いや、それはそうだが……」


 アレックスの言うことはもっともだ。

 しかし暗殺者にとって、色恋は命に関わる。

 もし恋に落ちた相手が敵のスパイだったら……。

 自分だけじゃなく、仲間……しいては国全体を脅かしかねない。

 だから俺にとって『恋』なんてものは他人事でしかなかった。


 今もそうだ。


 侍女たちが「あの人がカッコイイ」とか「ああ、カレシほしい」とかいう会話を、くだらないな、と思いながらも、つい耳を傾けてしまうのが、せいぜいといったところ。


「恋をすれば、自然と相手の気持ちを知りたいと思えるんじゃないかな?」


 つまり身勝手な考えを直したければ恋をしろってことか。

 悟りをひらいた仙人みたいに言いやがって。


「そこまで言うならおまえには気になる女がいるのか?」

「ああ……そうだな。うん、いるよ」


 目を細くしながら、さらりと答えたアレックスが、白い顔をわずかに紅潮させる。おまえは乙女か……。


「たまたま戦場で出くわした敵でね。黒い髪のミステリアスな女性さ。いや、僕はチラリと見ただけなんだ。でもその人のことが忘れられなくてね。大将に任じられた今でも、命を懸けて戦場にいるのは、いつか彼女に再会できるかもしれない、という、やましい下心のせいさ」


 アッサム王国の女性たちがそれを聞いたら、この国は絶望の渦に飲み込まれるぞ。


「くだらないな……」


 そうつぶやいた後、俺は浴室を後にした。


◇◇


 館に戻り、夕食を終えた後、シャルロットから応接間に呼ばれた。

 ソファに腰かけた彼女は、俺が部屋に入るなり、ガチャリとティーカップをテーブルに置いた。何かにせかされるようにして、姿勢を正し、ううん、と咳払いをした。

 何か重大な発表でもありそうな雰囲気だ。


「今日、アレックスとお風呂に入ったそうね」

「なんだ……。そのことか……」


 シャルロットの眉間にしわが寄る。


「何か言いたいことはないの?」

「言いたいこと? うーん……。そうだな……」


 しばらく考え込む。

 出てきたのは他愛もない感想。


「デカい風呂だった」

「あっそ」


 明らかに落胆の色を隠せないシャルロットは「もういいわ」と、まるでハエを追い払うかのように、しっしと手のひらを俺に向けて振っている。

 いったい何の用事で呼びつけたんだか……。

 身勝手にもほどがあるだろ。

 あ、身勝手と言えば……。


「アレックスが言ってたんだけどな。恋をすると身勝手な性格が直るらしいぞ。だからシャルロットは恋でもしたらどうだ?」


 死ね、バカ、もう顔も見たくない――。

 散々な言われようで部屋を追い出されたのだが、いったい彼女はなぜ俺をそこまで嫌っているのだろうか……

 まあ、いい。

 今夜もぐっすりと寝られれば、それでいいんだ。

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