第28話 私に忠誠を誓いなさい!
◇◇
人間、誰の腹から生まれてきたって同じ人間だろ?
だが人間ってのは身勝手な生き物でな。『身分』という見えない天秤を作りやがった。
親の『身分』で、赤ん坊の行く末は決まってしまう。
一生食うに困らぬ人生か、世間から虐げられなければならない人生か――。
俺の母親の『身分』は
だから
もし『身分』と引き換えに、爆睡を約束されるなら……喜んで差し出すよ。
――クロード。私と取引きしなさい。
そう言われたのをすっかり忘れてた。ぐっすり寝入ってしまった俺を叩き起こしたのは、例のごとくメアリーだった。
「クロード!! 何やってるの! シャルロット様がお探しよ!!」
「ちょっと待ってくれ……」
寝起きの30秒は体が動かないんだ――と最後まで言わせずに、彼女は俺の服を脱がせ始めた。
「おい、何をしてるんだ!?」
「着替えに決まってるでしょ!」
「着換え? どういうことだ?」
わけが分からないまま、着替えが終わる。
タイトな白いベストに細身の真っ赤なジャケット。
ジャボと呼ばれるレースのスカーフをネクタイ代わりにつけ、丈の短いズボンに、白いハイソックス。先の尖った革靴――。
とても執事の服装とは思えない……。
「これはいったい……」
「いいから、いいから! 早くしないと叙任式がはじまっちゃうわ!」
「叙任式?」
「式が終わればパーティーよ! うふふ。美味しいお料理が並ぶみたい。楽しみね!」
まったくもって、何がなんだか分からない。
しかしジタバタしても仕方ないと判断した俺は、メアリーの後ろを黙ってついていった。
「ここからはクロードだけで行くのよ。私は一足先に館に戻ってパーティーの支度をしているから」
目の前には大きな扉。その先は『謁見の間』。
俺が執事になって初めてシャルロットと対面した広間だ。
(もうすぐ4か月か……)
なんだかんだ言って、あっという間だったな。
あの時は正直言って、「こんなヤツが主人なんて……」と、ちょっと気落ちしてた。
けど今は違う。
小声で「ありがと」と言われたからだろうか。
彼女の孤独を知ったからだろうか。
大泣きした彼女を、そっと抱きしめたからだろうか――。
自分でもよく分からない。
それでも、残酷な運命に対して、小さな体で必死に立ち向かおうとしている彼女の背中を、支えられるものなら支えてやりたい――そう思っているんだ。
だからどんな取引きを持ちかけられても関係ねえよ。
俺は決してこの館を離れない。
そう心に決めている。
ただし安眠が約束されれば、の話だがな――。
――ギィ……。
ゆっくりと扉を開けたとたんに、オルガンの調べが耳に入ってくる。
敷き詰められた赤い絨毯の先には大きな玉座。その前に純白のドレスに身を包んだシャルロットが立っている。
俺は一歩また一歩と、ゆっくり彼女の方に向かって足を進める。
途中、マルネーヌとアレックスの兄妹の横を通り過ぎた。
シャルロットのかたわらには神父もいる。
彼らは儀式の証人ってわけか。
そうしてシャルロットの前までやってきたところで、俺は片膝をついた。
シャルロットが神妙な面持ちで手にしたのは一振りの大きな剣。
おいおい……まさか俺の首をはねるつもりか?
「なんじに問う!」
シャルロットが
誰に問いかけたのだろうか?
しばらく沈黙が続いたかと思うと、シャルロットが小声でせついてきた。
「ちょっと! 何を黙ってるのよ! そこは『はい』でしょ!」
「は? 俺に問いかけたのか?」
「当たり前でしょ! あんた以外に誰がいるのよ!」
ちらりと神父に目をやる。
「あの人は飾りよ!」
神父が「ううんっ!」とわざとらしい咳払いをする。
全部聞こえてます、ってことだな……。
とりあえずここは返事をしておいた方が無難だ。
「はい」
「では、なんじ! われに忠誠を誓うか!」
「いや、条件次第だ」
ぷぷっとアレックスの吹き出す声が聞こえてくる。
しかしこっちは至って真剣だ。
無条件で他人に忠誠なんて誓えるかっつーの。
「…………今よりもうんと快適な睡眠を約束するわ」
ぼそりとシャルロットがつぶやいた。
俺は声をさらに低くする。
「具体的には?」
「私の部屋の隣をあんたにあげる。しかも今よりも広くてフカフカなベッド付きよ」
うむ。答えは出たな。
「誓う!!」
一国の皇子が敵国の王女に忠誠を誓うなんて――という後ろめたさなど微塵もない。
安眠のためならプライドだろうが身分だろうが、なんだって捨てる覚悟が俺にはあるのだから。
「では、クロード・レッドフォックス! なんじをわれの
「ナイト……」
なるほど。
メアリーの言ってた叙任式ってのは、俺をナイトに叙任する儀式のことだったんだな。
シャルロットが剣の平をそっと俺の肩に乗せた。
彼女の顔が凛々しく輝いている。
なんだかずいぶんと嬉しそうだ。
そしてシャルロットは左手を俺の前に差し出した。
俺はそっとその手を取る。
彼女の熱がかすかに伝わってくる。
不思議と胸が高鳴るのを感じていた。
優しく手の甲にキスをして、もう一度彼女を見上げた。
「ありがと」
消え入りそうな声をあげたシャルロット。
俺はじっと彼女を見つめ、彼女もまた俺から目を離そうとしなかった。
俺たち二人の間に、心地よい沈黙が流れる――。
シャルロットと太い紐で強く結ばれたかのような一体感に身をゆだねていた。
……と、その時、オルガンの演奏が鼓膜を震わせ、ようやく我に返った。
「おめでとう!」
「クロードさん! おめでとうございます!」
なぜかは分からないが、顔が熱い。火を吹く、という表現がピタリと当てはまりそうなくらいだ。今の顔を誰にも見られたくない。
マルネーヌたちの拍手に送られながら、俺は足早に広間を後にしたのだった。
◇◇
王族の騎士に任じられると、貴族の『身分』を与えられることになっているのだそうだ。
いくら王妃と言えども、貴族を本人の意志とは関係なしに、自分の執事にすることはできない。
執事を辞めてもらう、というのは、こういうことだったんだな。
「でも勘違いはしないことね。これまでと同じ……いえ、これまで以上に私に尽くしてもらうんだから」
新しい部屋の鍵を渡しながら、シャルロットが口を尖らせる。
「ああ、分かってるって」
さらりと受け流した俺は、その鍵でドアを開けた。
シャルロットの部屋ほどではないが、じゅうぶんな広さだ。
テーブルにソファ、机、さらに浴室……。
だが俺の視線は一か所に釘付けだった。
「おお……。これが新しいベッドか……!」
最高級の木材で作られたベッドフレーム、手触り抜群なシルクのシーツ、フカフカな羽毛布団、大きな枕――。
「よっ」
早速ベッドに身を預けてみる。
すぅっと音がしそうなほど、やわらかくて、布団の中に吸い込まれていった。
あまりの気持ち良さに、意識が遠のいていく。
「これからはどんなことがあっても、私のそばにいてね」
シャルロットの甘えた声が遠くに聞こえる。
「ああ……」
そう答えたのが最後、俺は夢の中へ入ったのだった――。
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