第24話 クビ宣告
◇◇
かつてアンナと二人きりで小さな小屋で一夜を過ごさねばならかった時があった。
小さなベッドで横になった彼女の脇で、敵が襲ってこないか一晩中窓の外を見ていた俺に、彼女はむくれ顔でこう言った。
「クロードは何も分かってない」
いまだに俺が何を分かっていなかったのか、さっぱり分からない。
だがふと気づいたんだ。
俺は女の気持ちというものが、よく分からない、と。
今もそれは変わっていない。
(なぜリゼットはシャルロットを殺そうとしたのか……)
まったく分からない。
それになぜ俺をクビにしようとしていたのか。
孤独の檻、という比喩も分からない。
そして……。
「そんな……」
地下牢に閉じ込めておいたはずの彼女が、どうして消えてしまったのかも――。
降臨祭の翌日――。
――ドンドンドンッ!
「クロード!! 朝よ! 起きて!!」
祝日の次の朝であっても、ルーティンに変わりはない。
秋の訪れとともにベッドから出るのが、さらに厳しくなった俺を、メアリーは容赦なく叩き起こした。
「リゼットさんがいないから大変なの!」
ちなみにメアリーをはじめとした侍女たちは、リゼットがどうして昨晩から姿を見せなくなってしまったのか、まったく知らない。
いや、実のところ、俺もよく分かっていない。
電撃の魔法で気絶した彼女を地下牢まで背負ってきたのは確かだ。
それからシャルロットから使用人たちにヨダレアナゴが振舞われ、どんちゃん騒ぎが終わったのが夜更け。
その後、料理の残りを持ってリゼットの様子を見に行ったが、彼女は
「早く着替えて手伝ってちょうだい!」
ぷくりと頬を膨らませたメアリーは、アイロンのかかったシャツを俺に押しつけてから、プリプリして部屋を去っていった。
昨晩は「ヨダレアナゴ、さいこー! フォー!!」と叫びながら、浴びるようにワインを飲んでいたのを
――ドンドンドンッ!
「クロード!! まだなの!? 余計なことを考えずに着換えに集中して!」
口調がどことなくリゼットに似てきたな。
食べることしか興味のなかったメアリーが、いつの間にか侍女として立派に独り立ちし――
「クロード!!」
ついに堪忍袋の緒が切れたメアリーは部屋に入ってくるなり、ネクタイを引っ張って俺を部屋の外に出そうとする。
「ま、待て!」
「ダメよ!」
「いや、ダメなのはこっちの方なんだって……」
俺がちらりと下を向く。
つられるように視線を落としたメアリーの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まった。
「きゃああああ!!」
パンツは朝履き替えるタイプなんだ。俺は――。
◇◇
「ちょっとメアリー。すごい悲鳴だったけど大丈夫?」
「平気よ。部屋に落ちてたソーセージを見ただけだから。うん、ソーセージよ。ソーセージ……」
ブツブツと言いながらシャルロットの部屋に向かうメアリーの後を、俺や侍女たちはついていく。
「おはようございます、シャルロット様」
「おはよう。入っていいわよ」
「はい、失礼します」
侍女たちのリーダーだったリゼットがいなければ、シャルロットの朝は始まらないも同然だった。
たとえ休みの日であっても、彼女は朝の準備に欠かさず顔を出し、侍女たちの面倒を見ていた。
だが今日はリゼットがいない。
いつもより時間がかかったし、手際だって悪いはずだ。
それでもシャルロットの部屋からは、鋭く尖った叱責の声は聞こえてこなかった。
シャルロットもまたリゼットがいなくなった現実を受け止めているということか。
「シャルロット様。朝食の支度ができております」
「分かったわ。行きましょ」
シャルロットが侍女たちとともに部屋から出てきた。
俺に向けられた視線はいつも通りに冷たいが、発せられた声色は温かみが感じられるものだった。
「おはよう。クロード。ん? そのほっぺ。どうしたの?」
頬の色や形は自分では分からない。
だがメアリーからフルスイングで引っぱたかれた事実と、意識がもうろうとするほどの痛みを考えれば、真っ赤に腫れあがっているのは、ほぼ間違いないだろう。
「いや、なんでもない。転んだだけだ」
「転んでそんなことになる? ……まあ、どうでもいいけど」
メアリーの先導に従って長い廊下を歩き始めたシャルロットの様子は、いつもと何ら変わらない。
彼女には昨晩のうちにリゼットが地下牢から姿を消したことを伝えてある。
それから夜だけ効果を発揮する『スパイダー・ブレード』を、扉の前に仕掛けておき「怪我したくなければ、朝まで部屋から一歩も外へ出るな」とも話したよ。
そんなことがあったものだから、さすがに怯えているだろうと思っていたのだが、気をもむ必要はなかったのかもしれないな。
彼女は階段の手前でメアリーに声をかけた。
「メアリー。これからはリゼットの代わりをあなたがするのよ」
「えっ?」
メアリーが弾けるように振り返る。
「危ないから前を向いて歩きなさい」と軽くたしなめたシャルロットは、何事もないように続けた。
「リゼットはもう戻ってこないわ。だから新しい侍女を見つけてきなさい。いいわね」
有無を言わせない口調に、メアリーは「はい。かしこまりました!」と、前を向いたまま頭を下げ、階段をゆっくりとおり始める。
シャルロットはそれ以上、何も言おうとしなかったが、俺の前を行く侍女たちはおさまらないみたいだ。
「ねえねえ、リゼットさんに何があったの?」
「知らないわよ。でも降臨祭が終わった後、シャルロット様はお一人で館に戻ってこれらたものね。いつもならリゼットさんと一緒なのに」
「きっとリゼットさんの方から愛想をつかしたんだわ」
「うん、絶対そうに決まってる」
何の事情も知らないのをいいことに好き勝手言いやがって。
当事者ではない俺がイラっとしたのだから、シャルロットはもっと腹を立てているに違いない。
だが彼女はまったく意に介さず、背筋を伸ばしたまま階段を下りていく。
もっとも「リゼットは私を殺そうとしたからクビよ」なんて言えるはずもないから、うやむやにしたままにしておくのが最善かもしれないな。
「そうだ。クロード――」
ロビーに出たところで足を止めたシャルロットが、ふいに俺の名を口にした。
侍女たちがさっと階段の端に寄ったが、俺が近づく前に、シャルロットは冷たく言い放った。
「あなたには執事を辞めてもらうわ」
この瞬間、俺は確信した。
やはり俺には女の気持ちというものが、まったく理解できない、と……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます