第23話 おとり

◇◇


 暗殺者と騎士ナイトでは、人を殺すスキルを叩きこまれているところに変わりはないのに、民衆からの扱いは天地ほどに差がある。

 言うまでもないかもしれないが、暗殺者は「悪魔」「卑怯」「汚らわしい」といった風に、道ばたに転がっている犬のクソのようにさげすまれる一方で、騎士は「正義」「博愛」「素敵」と神に使える天使のような慕われようだ。


 では、何が違うのか?


 答えは単純で、「誰かを守るために戦うか否か」だ。

 もし暗殺者に「俺を守ってくれ」と依頼でもしてみろ。


 ――ああ、無理無理。


 と一蹴されるのがおちだ。

 暗殺者の優劣は『回転率』で決まるからな。

 1か月にどれだけの依頼をこなせたか、が勝負なのだ。

 誰か一人にはりついて、四六時中周囲を警戒する、なんて非効率な仕事を請けるはずがない。

 しかし暗殺者の仕事を辞めた今ならどうか――。



 リゼットが、凄まじい殺気を漂わせて近づいてくる。

 もし俺一人なら……足元の砂を風の魔法で舞わせて、相手が一瞬だけ怯んだところを海中に飛び込みめば、逃げることができるかもしれない。

 だが俺の背中には小さくなって震えているシャルロットがいる。


「クロード……。なんとかしなさい」


 いつもの威勢はつゆと消え、まるで小動物のようなか細い声だ。


「それは命令か?」

「だから、そんなの今関係ある?」

「いや、ないな」


 さあ、どうするべきか……。

 一瞬だけ考える。


 もしシャルロットを見殺しにして、この場から逃げればどうなるか……。

『王女を見殺しにした不届ふとどもの』としてアッサム王国の兵たちに追われるのは目に見えている。

 当然、グリフィン帝国からも追っ手がくるだろう。

 つまりここで働く前よりも状況が悪化し、快適な安眠ライフなんて夢のまた夢ってことだ。

 何よりも安心して寝ることが最優先。それが奪われてしまうならば――。


「うむ。答えは出たな」


 ぼそりとつぶやくと、リゼットが半笑いしながら声をあげた。


「何の答えが出たの?」

「あんたを止める」

「ふふ。そんなことできると思ってるの?」


 腕をだらりと垂らした構え――。

 一見いっけんするとやる気のない素人みたいだが、大間違いだ。

 むしろその逆。

 余計な力が一切入っておらず、相手の出かた次第でどんな型にも変えられる。

 

(ああ、もしかしてグリフィン帝国の暗殺者どもを一掃したのは、リゼットだったのか……)


 うん、間違いない。

 彼女は化け物だ……。

 

「できるかどうかは関係ない。やるだけだ」


 しかし忘れないで欲しい。

 今の俺は海パン一丁で、手にしているのは剣ではなく、3匹のヨダレアナゴであることを。


「ふふ。あなたらしいわ」

「俺らしい?」


 リゼットに俺の何が分かるというんだ?


「そんな怖い顔しないで。そうね。私はあなたのことを何も知らない。でもあなたは知ってるの? 私のことも。そこにいる王女様のことも」

「なに?」


 リゼットの瞳が灰色ににごる。


「私の家――ファブル家はね、罪もないのに王族からはずかしめられたの。でもね。神様はちゃんと見てくださっていた。だから王女様に悪魔の呪いをかけてくださったのよ」

「悪魔の呪い……だと?」

「ふふ。成人するまでに悪魔に姿を変えてしまう呪いなの。その悪魔を討つ役目が私、リゼットに命じられているのよ」


 なるほど。シャルロットが一人で暮らしている理由はこの呪いのせいだったのか。

 しかし『悪魔の化身』とあだ名されていた彼女が、本当に悪魔になっちまうなんてな。

 笑えない冗談だ。


「降臨祭の日に王女は悪魔に姿を変えてしまった。隣にいた執事を無残むざんに殺したところで、王妃様から密命を受けた侍女が悪魔の首をはねた――完璧な筋書きだと思わない?」


 ひたひたと近づいてくるリゼットに対し、俺はシャルロットとともに一歩また一歩と後退していく。

 波打ち際まで追い込まれ、かかとに水がかかる。

 水は冷たいが、ひたいから噴き出す汗は止まりそうにない。


「でも安心して。王女様。まずはあなたの首からはねてあげる。だって好きになってしまった人の死を見るのは苦しいんでしょ?」


 まずいな。こいつはジョークじゃなさそうだ。

 リゼットの殺気がシャルロットに集中している。

 足首まで水がつかり、もう後退はできない。

 覚悟を決める時が刻一刻と迫っている。

 ごくりと喉を鳴らした俺を見て、リゼットは微笑んだ。


「ふふ。あなた暗殺者なんでしょ? だったら王女様をおとりにして逃げればいいのよ。だっておとりを犠牲にして生き延びるのが得意技じゃない」


 おい、待て。なぜリゼットが俺の正体を……。

 いや、違う。肝心なのはそこじゃない!

『おとりにして逃げればいい』のくだりだ。

 とあるアイデアが脳裏をよぎる。

 もうこれしか残されていない。


「俺の合図で右に走れ」と小声で背後にいるシャルロットへ話しかける。

「はっ? どういうことよ?」


 彼女の問いに答えている暇はない。

 俺は勝負に出た。


「走れ!!」


 ――バッ!


 3匹のヨダレアナゴをリゼットの頭上に向かって放り投げると同時に、俺とシャルロットは左右に分かれて逃げ始めた。

 綺麗な放物線を描くヨダレアナゴ。

 しかしリゼットの視線は、シャルロットに向けられたまま。


「くだらない……」


 彼女が吐き捨てるようにつぶやいたその瞬間だった――。


 ――ザバァッ!


 巨大なマーマンが海面から飛び出してきたのだ。

 リゼットが驚きを隠せないでいる一方で、俺は「読み通り!」と言わんばかりに口角が上がるのを抑えられなかった。


「グアアアア!!」


 鋭く尖った爪をヨダレアナゴとその先にいるリゼットに向けて振り下ろす。

 抵抗のある海中で高速だったのだから、海の外ではとてつもない速さなのは言うまでもない。


「ちっ!!」


 眉間にしわを寄せながら短い舌打ちをしたリゼットは、マーマンよりもさらに速く、剣を右斜め上に一閃させた。

 次の瞬間にはマーマンの右手首が、くるくると宙を舞う。


「ガアアア!!」


 マーマンはひるむどころかますます怒りをあらわにして、左手をリゼットに飛ばす。

 リゼットがかえがたなで振り下ろすと、夕日を浴びた短剣は白い糸のように一本の線を描く。


 ――ゴトッ……。


 マーマンの左手首が海岸に落ちると同時に、リゼットはシャルロットの背中に向けて、右手で剣を構えた。

 だがそれこそが俺の待ち望んだ瞬間だった。

 どんなに鍛えられた剣豪であっても想定外のできごとの後は集中が乱れるというもの。彼女の意識は完全に俺からそれている――。


「させるか!!」


 インビジブル・ワイヤーを放つ。


 ――シュルッ!


 リゼットの右手首に絡まり、彼女の動きが止まった。


「くっ!!」


 鬼のような形相で俺の方を振り返ったリゼットが、今度は俺に向かって突進してきた。彼女の左拳ひだりこぶしが固く握られる。

 剣を封じられてもお構いなしってか。

 だが俺は女と殴り合う趣味はねえんだ。

 悪いが、ここでねんねしてもらうぜ。


 ――バリバリバリッッ!!


 インビジブル・ワイヤーに電撃の魔法を走らせる。


「きゃあああ!!」


 甲高い叫び声が鼓膜を震わせた直後、動きを止めたリゼットが顔を大きく歪ませた。


「王女様を……孤独の檻から……出さないで……」


 孤独の檻?

 詩的なたとえを出されても、意味がまったく分からない。

 だがリゼットは俺が問いかける前に砂に膝をつき気絶してしまった。


「超一流の暗殺者は、おとりを犠牲にしないんだ。他に使い道があるからな」


 口をパクパクさせながら、体をくねらせている3匹のヨダレアナゴを拾い上げた俺は、シャルロットの背中を追ったのだった。

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