第22話 排除せねばならぬ理由

◇◇


 少しだけ時を戻す。

 ドギーから「クロードはヨダレアナゴを獲りにビーチへ向かうつもりじゃ」と昨晩のうちから聞かされていたリゼットは、シャルロットと中庭で別れた後、迷わずに海へ向かっていた。


(クロードを始末するには今しかない)

 

 館から遠く離れた海岸であれば、ひっそりと彼を始末しても誰にも知られることはない。死体は海に流せばいいだろう――そう考えていたのだ。

 その道すがら、彼女の脳裏をよぎったのは、ここに至るまでの軌跡だった。


 元はと言えば、ファブル家が落ちぶれたのは王族のせいだ。

 先代の国王の側近だった祖父。

 未曽有の飢饉が襲ってきた際に、王宮の財政を立て直したのは祖父の力が大きかったと死んだ母から聞かされた。

 しかし周囲から賞賛をあびる祖父のことを、国王はよく思っていなかったらしい。

 醜い嫉妬ってやつだ。

 そして、あろうことか国民たちの不満を矛先を、祖父に向けさせた。

 つまり民が貧しいのは、祖父の失政による結果であると公言し、ファブル家を王宮から追放したのだ。

 リゼットが生まれたのはその翌年だった。

 両親は貧しい農家として一から出直し、愚痴の一つも言わず、リゼットを育て上げた。

 母はリゼットが働きに出る頃に流行り病で死んだ。医者に診せるお金がなかったからだ。

 そうしてリゼットに縁談の話が舞い込んできた日……。リゼットは珍しく酒に酔った父に全てを聞かされた。父の無念が胸に深く刻まれると同時に、負けじ魂に火がついた。


(ファブル家を再興するのは私の使命だ)


 そう決意した彼女は、家庭を持つというありふれた幸せを捨て、剣の道に進んだ。

 がむしゃらに己を鍛え、戦場に出ては敵をことごとく排除し、ついにはエリートの証である近衛兵に抜擢された。

 憎むべき王族を守る立場となったのは本意ではなかったが、ファブル家復興のためなら何でもする覚悟はできていた。

 そんな折だ。王妃からシャルロットのことを頼まれたのは。

 

(この任務さえ終えれば、私の使命は果たせる。もう少しの辛抱だ)


 そう何度も言い聞かせて、これまで5年もシャルロットの世話をしてきた。

 

 ――あの子を『孤独』の檻から出したらダメよ。


 あのクソみたいな王妃の命令を守ってきた。

 成人するまであと2年。それまでに全ての苦労が報われる時がくる。

 だがそこに現れたのが、全てをぶち壊した男――クロードだった。


(ここまできて失敗は許されない。だから彼のことは絶対に排除しなくてはならないのよ)

 

 リゼットは足音を一切立てず、彼のいる海岸に近づき、草むらに影を潜める。

 目を凝らして様子をうかがうと、なんとクロードは気持ちよさそうに寝ているではないか。


(まあ、呆れた! こんな時まで!)


 今なら彼の息の根を止めるのはたやすいが、リゼットはクロードが起きるまで待つことにした。汚いことに手をよごすが、汚いやり口でよごしたくない――彼女に残された一片の理性だった。

 太陽が水平線にかかり始めた頃になって、ようやく彼が体を起こした。

 

(やるなら今ね)


 リゼットはスカートの裏に隠している短剣を抜き、目をつむりながら深呼吸をする。

 クロードは敵ではない。むしろこれまで苦楽をともにしてきた仲間だ。殺してしまうのにためらいがないわけがない。

 それでもすべてはファブル家復興のため――覚悟を決めて目をゆっくりと開ける。

 しかしクロードは既に海の中へ消えた後だった。


「しまった」


 慌てて立ち上がった直後、背中から鋭い声が突き刺さった。


「リゼット!?」


 振り返るとそこには黒いドレスを着たシャルロットが一人で立っていた。

 ここまで一人でやってきたというのか?

 顔すらまともに一人で洗えないくせに。

 それほどまでにクロードという男に惚れてしまったのか……。

 出すべき言葉を探すが見当たらない。


「なんで剣を持っているの……?」


 いぶかしげに問いかけたシャルロットだったが、すぐにはっとなってリゼットを睨みつけた。


「クロードを斬るつもりだったのね!!」


 いくら隠してもいつかはバレるのは分かっていた。

 それが少し早くなっただけ。

 リゼットは淡々とした口調で答えた。


「クロードはクビになりますので、私が処刑いたします」

「まだクビになるか分からないでしょ!」

「王女様、何度も言うようですが――」


 そう言いかけた直後、シャルロットの目が大きく見開かれ、その視線はリゼットの向こう……つまり海の方に向けられた。

 リゼットがちらりと背を向く。

 すると彼女もまた目を大きくしてしまった。


「うそ……」


 なんと数体のマーマンが力なく海面を漂っていたのだ。

 その数がどんどん増えていく。

 海中で何かが起こっている――。

 当然、その中心にはクロードがいるに違いない。


「あはは! やっぱりクロードならやってくれるわ!」


 シャルロットがピョンと嬉しそうに飛び跳ねる。まるで自分の推している騎士が、戦場で活躍しているのを知った平民の娘のようなはしゃぎよう。

 心を殺し、5年もの歳月を費やした主人は、完璧でなければ許せない。

 完璧な相手だからこそ、息の根を止めるその瞬間の歓喜が爆発するのだ。

 その主人から完璧を奪い、俗世間のレベルに陥れたのがクロードだ。

 許せない――リゼットの決意がますます強くなる。


「王女様。実を言いますと、クロードにはとある疑いがかけられております」

「どんな疑いよ?」とシャルロットが腕を組んで口を尖らせる。

「敵国であるグリフィン帝国の暗殺者ではないかという疑いです」

「ふーん。それがどうしたって言うのよ」


 口では素っ気ないが語尾が少し震えている。

 事の重大さをシャルロットも瞬時に察知したことは明らかだ。

 リゼットはため息交じりに続けた。


「そのような者を王女様のそばに置いておくわけにはいきません。それに生かしておけば何をしでかすかも分からない。だからここで始末するより他ないのです。さあ、王女様。血生臭いところをお見せするわけにはまいりません。どうぞ先にお引き取りください」


 しかしシャルロットは即答した。


「嫌よ!!」


 ビリビリと空気を震わせるような大きな声が、リゼットの顔をさらにこわばらせる。


「ならばここで彼が無様に死んでいくさまを、その目に焼き付けてください」

「嫌!!」

「明日には別の者を連れてまいりましょう。そうだ。今度はもっと歳の取ったベテランにしましょうね。隙を見ては居眠りするような怠け者ではなく、しっかり者が王女様の執事にふさわしいわ」

「嫌!!」

「なんでもかんでも『嫌』と言われても困ります。けど、どんなに王女様がわめこうが、クロードが死ぬことに変わりありません」

「嫌! ぜーったいに嫌!!」


 一歩も引かないシャルロットに、リゼットのいら立ちが募っていく。

 彼女はぐっと声を低くして問いかけた。


「なぜそのようにわがままをおっしゃるのですか? たかだか執事ひとりではありませんか」

「たかだか執事ひとりですって? じゃあ、聞くけど、私にとって初めての友達を作ってくれたのは誰? 夏の思い出にホタルを見せてくれたのは誰? それから今、家族との思い出を守ろうとしてくれているのは誰なのよ!! 答えなさい! リゼット!!」


 リゼットは唇を噛んで、目を伏せた。

 むしろ面白い展開になった、と、笑いをこらえるのに必死だった。

 なぜならもし今の状況でクロードがいなくなれば、シャルロットは絶望し、自分から『孤独』の檻に戻ってくれるのは目に見えているからだ。

 そんな彼女の気持ちなど知らず、シャルロットは己の胸の内をさらした。


「私決めたわ。たとえ悪魔になる運命だとしても、クロードをそばに置く。彼が暗殺者なら好都合だわ。私が悪魔になったら、彼に殺してもらうから」


 リゼットの眉がピクリと動いた。

 ついさっき立てた計画が、いとも簡単に崩れていく……。


「その役目は私のはずです」

「だったらリゼットはもう用なし、ってことね」

「どういう意味でしょう?」

「私の言うことを聞こうともしない。クビにするにはじゅうぶんな理由だわ。あっ……!」


 顔色を青くしたリゼットの横をシャルロットが駆け抜けていく。


「クロード!!」


 彼の名前を耳にしたとたんに、ガンガンと叩かれたかのように頭が痛くなる。

 ゆっくりと振り返ると、シャルロットがクロードに抱きついているのが目に飛び込んできた。


(ああ、もうダメだ……)


 リゼットはシャルロットを孤独の檻に戻すことを、すぐにあきらめた。

 こうなればもはや彼女が取れる手段は一つしか残されていない。


(シャルロットは今、ここで悪魔に姿を変えたのよ)


 そう思い込むことにした。

 すなわち、シャルロットを排除せねばならない理由が、リゼットの中で作られたのだった。


 

 

 

 

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