第21話 たとえ任務じゃなくても

◇◇


 どこにも隠れる場所がない場合、水の中に潜って身をひそめるのは、暗殺者であれば避けて通れない道と言えよう。

 基礎訓練でも水中で息を止める練習は毎日のようにやらされた。

 おかげで5分は持つようになったよ。

 裏を返せば、たった5分で『海の王者』であるマーマンの襲撃をかいくぐってヨダレアナゴをて手に入れなくてはならない、ということだ。

 しかし時間の経過とともに、怯むどころかやる気がますますみなぎってきた。


「やってやるよ」


 太陽が水平線に差し掛かり、空にほんのり赤みが混じりだした。

 ヨダレアナゴが海底から動き始める頃合いだな。

 

 ゆっくり起き上がり、体が言うことを聞くまでじっとする。

 ふっと風が通り過ぎるとともに、俺の耳がかすかに反応した。


(この足音は……。いや、それだけじゃない)


 だが今は他人のことなど気にしている場合ではないな。

 夏の日差しを集めた体はじゅうぶんに熱くなっている。これなら冷たい海の中でも動けるはずだ。

 俺は海の中へ入り、ヨダレアナゴが生息しているポイントまで泳いだ。


「さあ、いくぞ」


 気合いを入れた後、海中に潜る。

 水は綺麗に透き通っていて、視界は良好だ。

 だが魚はほとんど見当たらない。

 その代わり、体長2メートルはあるマーマンがあちこちにいる。


(きたか)


 マーマンたちの顔が一斉に俺に向けられた。

 キッチンに残されていたクッキーを手にした瞬間に、侍女たちから向けられた突き刺すような視線と同じものを感じる。

 あの時はクッキーから手を離したことで難を逃れたが、今回はそうはいかない。


(さあ、こいよ)


 ぐっと目に力を込め、さらに前へ進む。


「グオオオオオッ!!」


 鼓膜が破けてしまうかと思うほどに痛烈な雄たけび。言うまでもなく「今すぐここから出て行け!」ということだろう。耳に水が入る。自慢の耳が効かなくなった。

 だが引くわけにはいかない。

 ヤツらが一気に襲いかかってくる。

 思った以上に速い。

 中には大きな岩を振り上げながらこちらに向かってきているヤツもいる。

 あんなのが頭に直撃したら、一発でアウトだ。

 だがこっちには一撃必殺の秘策がある。

 そいつを繰り出すには、もっと引き寄せねば。もっと……。


(ここだ!)


 周囲がマーマンたちの巨体で埋め尽くされた瞬間に、最上級の電撃魔法を唱えた。


裁きの雷ジェッジメント・サンダー!!」


 バリバリと音を立てて、白い稲妻が海中を縦横無尽に走っていく。


「グアアアア!!」


 断末魔の叫び声を上げたマーマンたちが力なく浮き上がっていく。

 視界が開けたところで、間髪入れずに海底に向かって泳ぎ出した。

 別のマーマンがやってくる前にヨダレアナゴを捕えねば――。


(いたっ!!)


 キラキラと光る滑らかな皮膚をまとった、細長い魚――あれこそヨダレアナゴだ。

 しかも3匹もいる!

 じゅうぶんに近づいたところで、インビジブル・ワイヤーを繰り出して3匹とも捕獲する。


(よしっ!!)


 あとは海面に浮上するだけだ。

 しかし喜んだのつかの間、好物を横取りされたことで怒り狂ったマーマンの群れが、こちらに向かってきた。

 ジャッジメント・サンダーを使えば、ヨダレアナゴは丸焦げになってしまう。

 となると俺に残された道はたった一つ――。


◇◇


 どんな優秀な暗殺者でも、絶体絶命のピンチに陥ることはある。

 そんな時はどうするかって?

 答えは簡単。

 がむしゃらに逃げるだけだ。

 ヨダレアナゴ片手にマーマンの群れに囲まれた今も同じだった。

 自由のきく左手で相手の攻撃をたくみにいなし、隙を見ては両足を思いっきりばたつかせて海面へ急ぐ。


 ――ザバッ。


 海岸までなんとかたどり着くことができた。

 ここまでくればマーマンに襲われる心配はないだろう。

 ほっと一息ついたとたんに体のあちこちに痛みが走った。


「いてて……」


 さすがに無傷とはいかず、砂浜に血がしたたり落ちていく。

 せめて止血を終えてから服を着ないと、白いシャツが真っ赤になっちまう。

 そうなればメアリーから厳しい追及があるのは目に見えてるからな。


(傷薬を持ってきてよかったよ)


 太陽が背中を照らし、体を温めてくれる。

 乱れていた息がようやく戻ってきた。

 右手には3匹のヨダレウナギ。これだけあれば侍女たちにも振る舞うことができるな。メアリーの喜ぶ顔が浮かぶ。自然と笑みがこぼれたその時、雷のような声が耳をつんざいた。


「クロード!!」


 はっとなって顔を上げると、ドレスの裾をまくって駆け寄ってくるシャルロットが目に映る。

 やっぱり足音の正体はシャルロットだったか。


「どうしてここに?」


 ツインテールを大きく揺らす彼女の顔は、今までにないくらい険しい。

 館を出たっきり、いつまでたっても戻ってこなかったから怒っているのか?

 空はオレンジ色に染まっているが降臨祭の日は終わってないから、任務に失敗したとは言えないはずだ。

 

「おい、待て。まだ任務の途中――」


 そう言いかけた直後。

 彼女は地面を力強く蹴り、俺に向かって飛び込んできた。

 何が起こっているのか、さっぱり分からないが、自然と軸足に力が入る。

 軽い衝撃とともに、彼女の体が俺に預けられた。

 いまだに状況が飲みこめず戸惑う俺に対し、彼女は強い寂しさをともなう湿った声で告げてきた。


「抱きしめなさい!」


 いつもの悪い癖が出て、反射的に問いかける。


「それは任務か?」

「そんなの今、関係ある?」


 今にも泣き出しそうな彼女の顔を見れば、考えるまでもない。


「いや、ない」


 シャルロットの背中に両手を回す。

 その瞬間から、彼女は堰を切ったかのように大泣きしはじめた。


「うああああああ!!」

 

 一つになった俺とシャルロットの影が、白い砂浜に長く伸びている。

 だが俺の注意は、胸もとで泣きじゃくるシャルロットにはなく、体をわずかに揺らしながら、こちらにゆっくりと近づいてくる赤毛の女だけに向けられていた。


(リゼット……)


 右手に握られた細身の短剣が、夕日を浴びて不気味に光っている。

 それだけじゃない。

 リゼットから放たれた殺気の矛先は……。

 俺ではなく、シャルロットだった――。

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