第20話 シャルロットにかけられた呪い
◇◇
昼過ぎになり、館に併設された教会で降臨祭の式典が執り行われていた。
侍女や料理人など、使用人たちも全員出席を許されている。
式典の最中、リゼットは遠くに立つシャルロットの細い背中を見つめながら、彼女背負った過酷な運命を思い起こしていた。
それを知ったのは5年前。王妃ローズの部屋に呼び出された時のことだ。
ローズはパーティーの予定もないのに、きらびやかな宝石を身につけ、孔雀の尾で作った扇でゆらりゆらりと仰いでいる。
香水のにおいと白く塗りたくった化粧がきつく、まともに顔を上げることすらできないリゼットに対し、彼女はねっとりまとわりつくような口調で告げた。
「シャルロットは生まれた時から、とても強い呪いがかけられているの」
呪いなんて現実世界に存在しているの?
リゼットはにわかに信じられなかった。
そりゃ、何もないところから火や氷を出す魔法が存在しているのだから、多少変わったことを聞かされたって驚きはしない。
でも、呪いなんておとぎ話の世界のものとばかり思い込んでいた。
「嘘だと思うなら、彼女に何か魔法をかけてみなさい。呪いの前兆として、いかなる魔法も効かなくなるスキルが発動してしまったのよ」
翌日、リゼットは『くすぐったくなる魔法』をシャルロットに内緒でかけてみた。
しかし王妃の言う通り、まったく効かなかったのだ。それどころか、魔法が跳ね返されて自分がくすぐったくなってしまい、一人で笑い転げたのは、誰にも言っていない秘密だ。
リゼットはすぐに王妃のもとへ行き、「シャルロット様にかけられた呪いをお教えください」と頭を下げた。
「恐ろしい悪魔に姿を変えてしまう呪いよ」
王妃いわく、一度悪魔になったら最後。周囲にいる人間に襲いかかるとのこと。しかも理性を失っても、自分が誰を襲っているのか頭では分かっているという。
分かりやすくたとえるなら、『もう一人の自分』が勝手に人々に襲いかかるのを、『本体の自分』は指をくわえたまま、ただ見ているより他ない、ということだ。
「もし悪魔となったシャルロットが、自分の両親や兄を手にかけたなら、彼女は地獄のような苦しみを味わうことになるでしょう。それだけは絶対に避けねばなりません。だからあの子は一人で暮らさせることにしたわ。周囲が森に囲まれた静かなところでね」
13歳の少女を家族から引き離して一人で暮らさせる……。
あぜんとしたリゼットをよそに王妃は、何でもないかような淡々とした口調で続けた。
「リゼット。あの子が悪魔に姿を変えたら、あなたの手で楽にしてあげて欲しいの。それまではあの子の侍女として尽くしてくれないかしら。成人するまでのどこかで悪魔に変わってしまうようなのよ。もちろん引き受けてくれるなら、『例の件』をかなえてあげましょう」
『例の件』を持ち出されたら絶対に断れず、ただうなずくことしかできないリゼットに対して、王妃はさらに命じた。
「いいこと? シャルロットは悪魔になれば、真っ先に使用人たちを襲うでしょう。もしあの子が彼らに対して、強い思い入れがあれば、その分彼女は苦しむことになるの。だから侍女と執事に対してだけは、絶対に仲良くさせたらダメよ。そうなる前にクビになるように仕向けなさい。後のことは私が何とかするから」
「かしこまりました」
「あ、それからシャルロットが恋をすることも絶対に許しません。いいわね」
リゼットが返事に戸惑ったのを見た王妃は、眉間にしわを寄せて、首を横に振った。
「仕方のないことなの。もうあの子は死んだものと、国王陛下もそうお考えよ」
「でもそれでは悪魔になる前に苦しめることになるのではないでしょうか?」
「いえ、そんなことはないわ」
「どうしてそう言い切れるのでしょう?」
つい語気が強くなってしまうのを抑えられなかった。
しかし王妃は冷静に、淡々とした口調で返した。
「だって私が言ったことを望んだのは、シャルロット自身なのだから」
「え……?」
「家族から離れて暮らしたいというのも、誰とも仲良くなりたくないというのも、恋をしたくないというのも、全部シャルロットの口から出た言葉なのよ」
「そんな……」
「いいこと? あの子を『孤独』の檻から出したらダメよ」
リゼットはとてもじゃないが王妃の言葉が信じられなかった。
純真無垢な13歳の少女に、「恋をしたくない」と言わせなくてはいけない運命だとしたら……。
この世界はどれだけ残酷なのだろうか――。
「……リゼットさん。ねえ、リゼットさん!」
メアリーの高い声が耳に飛び込んできたところで、リゼットは現実に戻された。
どうやら降臨祭の式典は滞りなく終わったようで、司祭が壇上から姿を消している。
「シャルロット様のところへ早くいかないと!」
シャルロットに目を向けると、彼女は誰もお供をつけずに歩き始めている。
「ありがとう。メアリーはみんなをまとめてくれる? シャルロット様が教会から出て、10数えたら動きはじめるのよ。私は中庭を通るルートにするから、あなたたちは森の横を通るルートで館に戻りなさい。早足でね。シャルロット様が館のドアを開けた時は、みなでお迎えするのよ。いいわね」
「分かったわ。任せて」
メアリーが人懐っこい笑顔で、とんと自分の胸を叩く。彼女のこういう素朴な仕草はとても癒される。リゼットはほっこりした気持ちになって、駆け足でシャルロットの背中に追いついた。
「シャルロット様。ではお屋敷までお連れいたします」
「別にいいわ。一人で歩けるし」
「しかし……」
そう言いかけたところで、シャルロットが甲高い声をあげた。
「一人で歩けるって言ったでしょ!」
足を速めるシャルロットの後ろを、リゼットは慌ててついていく。
薄暗い教会から外に出ると、夏の終わりの太陽がシャルロットの髪を明るく照らす。
彼女はリゼットに背を向けたまま問いかけた。
「クロードは本当にヨダレアナゴを獲ってくるんでしょうね?」
リゼットは淡々とした口調で答えた。
「いえ。いくら彼でもヨダレアナゴを獲ってくるのは不可能です」
振り返ったシャルロットが、眉間にしわを寄せてリゼットに詰め寄る。
「奇跡を起こせるのはクロードしかいないと言ったのも、館から追い出せば尻に火がつくはず、と言ったのも、リゼット、あなたよ!」
「あきらめてください。ヨダレアナゴだけではなく、クロードのことも」
「んなっ!?」
中庭の噴水の前でシャルロットが足を止め、リゼットを睨みつける。
二人の間に静寂が流れ、心地よい水の音だけが漂った。
しばらくして沈黙を破ったのはリゼットの方だった。
「5年前、シャルロット様が自らおっしゃったのですよ。『誰とも仲良くしたくない』と。だから執事や侍女たちに冷たく当たり散らし、誰も近づけさせようとしなかったのですよね?」
「そ、そうよ。だから何なのよ?」
「でも、既にマルネーヌ様というお友達を作られました」
「それがなんだって言うのよ! 彼女はここから離れて暮らしてるからいいでしょ!!」
シャルロットが八重歯をむき出しにして抗議する。
リゼットは冷静な表情を保ったまま続けた。
「そうおっしゃるなら、それでもいいです。しかしいずれにせよ、これ以上は誰とも仲良くなってはいけません。たとえ執事であろうとも、です」
「ずいぶんと遠回しな言い草ね! 言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」
「だったら言わせていただきます」
リゼットは姿勢を正した。
一度だけ大きく息を吸っている間に、心を鬼にする覚悟を決める。
(こうするしかないのよ……)
そしてはっきりとした口調で告げたのだった。
「クロードのことはあきらめてください」
きっぱりと言い切ったリゼットに対し、シャルロットは口をへの字に曲げたまま、何も言おうとしなかった。
しかし大きな瞳にたまった溢れんばかりの涙が、すべてを物語っていた。
(私だって、こんなこと言いたくないんです)
リゼットは言葉に出さず、目でそう訴えかけたが、シャルロットは何も答えず、再び彼女に背を向けて歩き出した。
(シャルロット様にはもう一度『孤独』の檻に戻ってもらわねばなりません)
リゼットもまたシャルロットに背を向けて一歩足を踏み出した。
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