第19話 神様にすがる時

◇◇


 降臨祭――。

 神がこの世界に降り立ったのが、大昔の今日だということで、世界中の教会で式典が執り行われる。

 無論、俺は一度も出席したことはない。

 そもそも神様に頼る生き方が嫌いだからな。

 自分の運命は自分で切り開くしかないのを、これまでの人生で痛いほどよく学んだよ。

 どんなに祈りを捧げても、どんなに清く正しく生きても、優秀な暗殺者に目をつけられたら一巻の終わり。

 神様はただ傍観しているだけで、助けてなんかくれない。

 だから俺は多くの人が祈りを捧げる時間を、自分を鍛えることに費やしてきた。

 それでも都合がいいもんでな。

 神様にすがることだってあるんだよ。



 この日の朝。

 式典に臨むため、黒いドレスに身を包んだシャルロットは、俺のことを見つけるなり、開口一番こう命じた。


「まだヨダレアナゴが獲れてないんですって? だったら今すぐ館を出なさい! 獲ってくるまで一歩たりとも館に足を踏み入れることを禁じるわ!」


 拒否する理由はない。

 簡単な支度を終えてロビーに出ると、降臨祭の式典の準備に忙しくしていた侍女たちの手が一斉に止まり、俺を見てきた。

 みな一様に心配そうだ。

 メアリーにいたっては今にも泣き出しそうな顔をしている。

 やめてくれ。

 まるで死地におもむく兵士みたいじゃないか。


「じゃあ、いってくるわ」


 軽く挨拶をして、外に出たところで、待ち構えていたのはリゼットだった。


「今回のこと、謝るつもりはないわ」


 やっぱり彼女の差し金だったか。

 となると……。


「今回だけじゃないだろ?」


 そうたずねた俺に、リゼットは間髪入れずに答えた。


「ふふ。そうね。これまでも王女様からあなたへの無茶ぶりの多くは私が仕向けたものよ。あなただけじゃないわ。邪魔になった執事や侍女をクビになるよう仕向けてきたのも私よ。王女様は私の思うがままに命じていただけ」


 こいつは驚きだ。

 悪魔の化身はシャルロットじゃなくて、リゼットの方だった、というわけか。


「ずいぶんとあっさり認めるんだな」

「今さらごまかしても、仕方ないでしょ」


 まったく悪びれもせずに答えるリゼットに対し、不思議と怒りの感情はわいてこない。むしろ感心すら覚える。だがそれでも疑問はある。


「どうしてだ? どうして俺をクビにしようと仕向けた?」

「それはあなた自身がよく分かってるんじゃない?」

「どういう意味だ?」

「漆黒の死神――と言えば分かるかしら?」

「なんのことだか……」と、首を振ったが、心臓が大きな音を立てている。


 まいったな……。

 どこまで知られているんだか……。


「でもね。本当はあなたの正体なんてどうでもいいの」

「どういう……」と、言いかけた次の瞬間、彼女からすさまじい殺気を感じ、俺はとっさに距離を取った。


(ああ、彼女も俺と同類・・か)


 彼女が暗殺者なのかは分からない。だが人を殺すための特殊な能力を身につけているのことは、何となく分かった。

 しかもかなりの腕前であることも……。


「ふふ。安心して。さっきも言った通り、私はあなたが何者であっても関係ないの。だってもしあなたが王女様の首を狙おうとしても、私自身で対処できるもの。問題はそこじゃないのよ」

「だったら何が問題なんだ?」


 リゼットがひと呼吸置き、先ほどまでの強烈な殺気を解く。

 俺もまた肩の力を抜いて、彼女の言葉を待った。


「あなたはね。王女様を『孤独』の檻から出してしまったの」

「孤独の檻?」


 言っている意味がよく分からない。

 ……が、リゼットはそれ以上、何も話すつもりはなさそうで、話題を変えた。


「ヨダレアナゴが獲れなかったらどうするつもり?」


 命乞いをするなら考えてあげてもいいわ――という意図なのは分かってる。

 だが誰かにすがるような生き方は、もう卒業したんだ。


「その時はその時に考えるさ」と、手を振りながら、その場を後にしたのだった。

 


◇◇


 敷地内の海辺にやってきた。

 美しいビーチだが、手入れはされていないようだ。

 海から流れ着いた木の枝があちこちに転がっている。

 

(館を出されたってことは、今日は仕事をしなくていいってことだよな)


 そう言い聞かせて、一人でうなずく。


(よし、寝よう)


 服を脱ぎ、履いてきた海水パンツ一丁になった後、こっそり持ち出したシーツを白い砂浜に敷き、仰向けに寝転がった。

 

(うむ。悪くない)


 時間はたっぷりある。水分不足にならないようにラベンダーティーを水筒に入れて持ってきたし、キッチンからサンドイッチもくすねてある。


 心地よい波の音。

 鼻をくすぐる潮の香り。

 全身を焦がす太陽の光。


 ほどなくして強い眠気が襲ってくる。

 数時間後にはマーマンたちがたむろす海へ飛び込まねばならない。

 だからと言ってヨダレアナゴが獲れる保証はない。

 ドギーから傷薬を手渡されたが、果たしてそれで事足りるかも分からない。

 下手をすれば命を失うかもしれない。

 

 でも、いいんだ。

 眠りから覚めたその瞬間に、ほんのわずかな希望が感じられれば。

 それに誰かのために命を張る、というのも、それほど嫌いではないしな。


 さあ、このまま寝てしまおう。

 ああ神様、願わくば良い夢が見られますように――。

 

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