第18話 任務:ヨダレアナゴを獲ってきなさい!

◇◇


 どの国にも『食の恒例』というものはある。

 グリフィン帝国では、春の聖霊祭せいれいさいの日にラム肉料理を食べるのが一般的だったな。

 恒例行事の夜は気が緩む。つまり料理に毒を仕込みやすい。だから俺は様々な国のあらゆる『食の恒例』を学ばされた。 


 ここアッサム王国には、夏の終わりに行われる降臨祭こうりんさいの祝日に、ヨダレアナゴ料理を食べるのが恒例らしい。

 この変な名前の由来は「ヨダレが出るほど美味しい」というのだから驚きだ。

 数十年前から獲られ過ぎたため、今では降臨祭の日を含めた5日間しか漁が許されていない。さらにこの国では「ヨダレアナゴを食べていいのは降臨祭の日のみ」と法律で定められている。


 だが今年は様子がおかしいようだ。

 降臨祭を翌日に控えた早朝。

 メアリーから叩き起こされ、渋々着替えている最中、隣の部屋にいる侍女たちの話し声が耳に入ってきた。


「ねえ、聞いた? 今年はヨダレアナゴが不漁で1匹も取れないんだって!」

「ええ!? じゃあ、降臨祭はどうなっちゃうの?」

「降臨祭はやるわよー。だってこの世界に神様が降臨したのをお祝いする儀式なんだから。でもヨダレアナゴ料理は食べられないわね」

「うっそー! ヨダレアナゴがない降臨祭なんてやる意味ないじゃん!」


 最後のセリフはメアリーだな。

 いや、意味はあると思うぞ。と、心の中でつっこむ。


「ああー、もう最悪。年に1度のヨダレアナゴが食べられないなんてぇ」


 この国の女はどんだけヨダレアナゴが好きなんだ?

 まあ、白焼きにすれば、ふわふわした食感がたまらないのは確かだがな。

 

「ところでシャルロット様にはヨダレアナゴの料理が出ないことを内緒にしておかなきゃダメよ」

「どうして?」

「なんでも年に1度のヨダレアナゴの食事をとても楽しみにしてるんだって。もし事前にヨダレアナゴが獲れないなんて知られたら、『何がなんでも獲ってきなさい!』ってわがままを言うに決まってるもの」

「そうよね。分かるわ」


 ああ、俺も同感だ。


「当日の夕食が出されるまでは内緒にしておいて、それからリゼットさんがお話しすることになってるの」

「リゼットさんから諭されたら、さすがのシャルロット様も納得するしかないってわけね」


 うむ。それは妙案だな。


「リゼットさんから『シャルロット様の前で降臨祭の話をすることは禁止』ってお達しが出てるからね。ちゃんと守らなきゃダメよ」


 なるほど。何も聞かされていないが、俺も気をつけよう。


「ほらほら。無駄口はそこまでよ。さあ、今日も一日頑張りましょう!」


 リゼットの掛け声が聞こえてきた。まずい。おちおちしていると置いていかれる。

 俺は慌てて部屋を出た。

 いつもなら「おはよう」と爽やかな笑顔を向けてくるリゼット。

 だが彼女はちらりと俺に目をやっただけで、すぐにその視線をそらした。


「ねえ、夫婦げんかでもしたのかな?」

「ちょっと! あの二人ってそういう関係なの?」

「え? 知らないの?」

「私、てっきりメアリーとくっついているもんだと思ってた」

「私はシャルロット王女様とクロードがこっそり付き合ってるって聞いたわ」

「いやいや、それはないでしょ!」


 部屋の隅にいる侍女たちのひそひそ話が耳に入る。

 そこにいるからって、聞こえないとでも思ったら大間違いだぞ。

 もっともこの手の話題にいちいち相手をしていたら、余計に変な噂が広まるのは目に見えている。平然と無視するのが一番だ。


「では、行きましょう」


 リゼットの表情が心なしか暗い。

 

(疲れてるのか? 目が少し赤かったし)


 しかし俺の心配をよそに、彼女はピンと背筋を伸ばし、スタスタと前を行く。

 そして声をかける間もなくシャルロットの部屋の前までやってきた。


「シャルロット様。おはようございます」

「おはよう。中に入っていいわよ」

「かしこまりました」


 俺はいつも通りに廊下で一人たたずむ。

 外は快晴。気持ちのいい朝だ。


(なんだか今日は良い日になりそうな予感がするな)


 しかし、そんな予感をぶち壊したのは、なんとリゼットだった。


「シャルロット様。降臨祭の式典でお召しになるドレスですが、今年はシックなイメージの黒をご用意しました」


(ちょっと待て! なぜリゼットは自分で禁じたことを破ったのだ? やっぱり疲れてるのか!?)


 もやっとしたものが胸の中に広がる。

 だがどんな理由があるにせよ、リゼットが口を滑らせてしまった事実に変わりはない。その後は予想通りの展開が繰り広げられた。

 

「それでいいわ。ところで降臨祭と言えばヨダレアナゴね。今年も楽しみだわ」

「シャルロット様。今年はヨダレアナゴ料理をお出しすることではできません」

「は? なんでよ!?」

「10年に1度の不漁で、1匹も獲れなかったからです」

「嫌よ! ヨダレアナゴが食べられないなんてぜーったいに嫌!!」

「そうおっしゃられても、ないものは出せませんので。我慢なさってください」

「ぜーったいに嫌!! 誰か獲ってきなさい!!」

「しかしそんな奇跡みたいなことをできるのは……クロードくらいなものかと」


 おいおい、リゼット! なんてことを言うんだ!?


 ――バンッ!


 勢いよく扉があき、花柄のパジャマ姿のシャルロットが俺の前で仁王立ちした。


「ヨダレアナゴを獲ってきなさい! 獲れなかったらクビよ!」


 シャルロットはそれだけ言って、また「バタンッ!」と扉を閉めて部屋の中へ消えていった。


◇◇


 ないものは出せない――リゼットの言葉はもっともだ。

 だがシャルロットは「出せ!」と言う。

 どうやって出せばいい?

 さすがの俺でも魚を魔法で出すのは無理だ。

 夕方になり、この日の仕事を終えた俺は、ヒントを求めてドギーのところへ行った。


「それはまた難題じゃのう」と切り出した彼から、ヨダレアナゴの生態について聞く。


 ヨダレアナゴはどこの海域でも生息しており、なんとこの館の敷地であるビーチのすぐそばにもいるらしい。

 夕方前に太陽が海面に差し掛かった頃に、エサを求めて海底から出てくる。そこを漁師は狙うのだそうだ。

 

「だが10年に1度、『絶対に獲れない年』があってのう。その原因はマーマンじゃよ」


 海で暮らす魔物のことだ。

 下半身が魚で上半身は人間の形をしている。

『海の王者』と呼ばれるヤツらは、頭はちょっと弱いが、高速で泳ぎ、やたら怪力で、岩やら槍やらをぶん回してくる。海の中でヤツらに目をつけられたらひとたまりもないだろう。


「しかしマーマンはを荒らされなければ何もしてこないはずだよな?」

「そうなんじゃが、10年に1度、ヨダレアナゴを奴らが根こそぎ獲っていくんじゃ。人間が漁をしようとすると、容赦なく襲ってくる始末でのう。なんでも月と太陽の周期が影響しているとか」

「ふーん。変な習性だな」


 率直な感想が口をついて出てくる。


「となるとヨダレアナゴが完全にいなくなった、というわけじゃないんだな?」

「うむ。その通りじゃ。今もきっと海底で震えておるだろうよ。残酷なマーマンにいつ食われてしまうのか、とのう」

「マーマンがいなくても同じだろ。結局は人間に食われるんだから。それに奴らは10年に1度。人間は毎年だからな。しかも人間は人間に対しても残酷だからたちが悪い。自分の利益のためなら他人の命などなんとも思わないからな。弱い相手をいじめるのも人間。人間を殺すように命じるのも人間。使い物にならなくなったら追い出して命を狙うのも人間。人間がこの世界でもっとも残酷だよ」


 ドギーが目をぱちくりさせて俺を見つめる。

 

(ああ、しまった……)


 つい本音が出てしまった。

 バツが悪そうに苦笑いしてごまかす。


「ところで、なぜシャルロットはヨダレアナゴに固執してるんだ? 旨いものなら他にいくらでもあるだろうに」

「それはのう……」


 言いづらそうに言葉を濁したドギーの目をじっと覗き込む。

 魔法をかけずとも、相手の口を割らせるには目で訴えるのが一番だと知っている。

 目は口程に物を言う、とは、まさに言い得て妙だ。

 ドギーは観念したように重い口を開いた。


「思い出じゃよ」

「誰との?」

「陛下に王妃様、それに兄のジョー殿下――つまり家族との思い出じゃ。毎年、降臨祭の夜はどんなに忙しくても家族そろってヨダレアナゴ料理を食べること、それが代々伝わる王家の習慣なんじゃよ」

「だったらなぜ彼女はその食卓に呼ばれないんだ? そもそもなぜ彼女はこんな広い敷地に一人で暮らしている?」

「それはのう……」


 そう言いかけたドギーだったが、すぐに首を横に振った。

 俺は再びドギーの目をじっと見つめたが、彼の意志は相当固いようだ。

 口を真一文字に結んだまま、何も教えてくれそうにない。

 

(……ん? 待てよ)


 そもそもなぜ俺は余計なことに首を突っ込もうとしているのだ?

 シャルロットが一人で寂しく食事をとろうとも、俺の人生には何の関係もないじゃないか。

 しかしなぜだろう……。


 今の俺は「なんとしてもヨダレアナゴを獲ってきてやる」と燃え盛っている。


「ドギー。時間をとらせてすまなかった。おかげで助かったよ」


 頭を下げた後、席を立とうとする。


「まさかとは思うが、明日、ヨダレアナゴを獲りに行くつもりか? ただではすまぬぞ」


 渋い顔からしてドギーは「無謀だ」と言いたいのだろう。

 俺は何も答えずに乾いた笑みだけを見せた。


「むう……」


 彼は呆れたようにうなる。


「どうして命をかけてまでして、王女様のわがままに付き合うのじゃ?」


 少し考えてみたが、自分でもよく分かっていない。

 だが一つだけ言えることはある。


「知ってるからだよ」

「何を?」

「孤独を」

「孤独? じゃと……?」

「ドギー。あんたは家族と無理やり引き離された経験はあるか?」


 ドギーの眉間にしわが寄る。


「それは……ないのう……」

「だったら分からないよな。シャルロットの抱えた『孤独』が」

「そこまで言うならお主は知っておるのか?」

 

 少しだけ間を置いて、小さくうなずいた。


「まあ……うん、そうだ。知ってるいるさ。彼女の場合はどういういきさつか知らないが、俺も似たような境遇だったからな」

「そうか……」


 ドギーは空気の読めるじいさんだ。それ以上、深く聞いてくるつもりはないらしい。


「シャルロットが大事にしている『家族との思い出』を守ってやりたい。これは俺の意志だ」

「そうか……」

「誰にも言わないでくれよ。とんだ勘違いかもしれないからな」


 しんみりした空気を振り払おうと、最後は軽い調子で告げた後、図書室を去ったのだった。


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