第2章 追放された元暗殺者の皇子が成り上がるまで
第17話 皇帝の憂鬱
◇◇
クロードが音楽隊の奏でる子守唄でウトウトしていた頃。
グリフィン帝国の玉座に、皇帝ハイドリヒが渋い顔つきで、肩肘をついて座っていた。
彼の目の前には息子のフェリックス。わざわざ自分専用の豪勢な椅子を運ばせた彼は、腰を深くおろしてワイングラスをゆらゆらと揺らしている。
ハイドリヒは思った。
(数十年前の自分はかくも小生意気な面構えだったのか)
フェリックスと自分とでは顔のパーツだけで言ってしまえば、よく似ていることは認識している。
くせ毛の多いブロンドの髪。シャープで尖ったあご。大きな鼻と口。
しかしギョロっとした目だけは違う、と思いたい。
「父さん。そろそろ南の反乱をどうにかしないと。ヤツらアッサムと手を組むつもりらしいよ」
「もとはと言えば、かの地を治めるクラウスの娘にお前がちょっかいを出したのが原因であろう。お前がなんとかしろ」
「ははは。あんなもん、単なるきっかけにすぎませんよ。ずっと前からヤツらは反乱を企てていた。挙兵する名分が欲しかったから、僕のもとへ女を送り込んできた。いわば僕ははめられたんですよ。それに3万はくだらない大軍なんですよ? そこまでヤツらの軍勢が膨らんだのは、周辺の国々とうまくやってこなかった父さんのせいじゃないですか?」
冷たい笑みを浮かべる息子を忌々しい目つきで睨みつける。
だが即座に言い返せなかったのは、自分にも落ち度があると分かっていたからだ。
確かに彼は周辺の国々と手を結んでこなかったが、れっきとした理由がある。
どの国にも借りを作らず、自分の力だけで国を築き上げたかった。
だから周囲は全員敵、という気概で戦ってきた。勝利してきた。
そして国を強く、大きくしてきた。
それでも無理を押し通せば、いつか必ずひずみができることは予見していたはずで、見て見ぬふりをしてきたツケが今になって回ってきた。
すなわち自分たちの内輪もめに、これまで冷たくあしらってきた周囲の国々が土足で足を踏み入れてきたのだ。しかも全部、敵として。
歯ぎしりをするハイドリヒからワイングラスに目を移したフェリックスは続けた。
「それにもうクロードもいないし」
「他の暗殺者どもは?」
「どいつもこいつも使い物にならなくてね。一人を除いて全員殺されましたよ。特にアッサムの王宮を襲った時はひどかったな。とんでもなく強い女剣士がいてね。彼女ひとりに50人も殺されてしまったみたいです」
「なら、残りの一人はどうした?」
「クロードと組んでいた黒髪の女……ああ、あいにく名前は忘れてしまいました。彼女ならクロードをクビにしてからすぐに姿を消しましたよ。今ごろはどこぞの男の妾にでもなっているんじゃないかな」
「だったらクロードを呼び戻せ」
「今さら彼を? どうして? まさかまた暗殺者として使うつもり? それはいけませんよ。だってあいつは敵兵に顔を覚えられてしまったんだから。もう使い物にならない、単なるクズですよ」
フェリックスの語気がわずかに荒くなる。
ハイドリヒは難しい顔のままだが、胸のうちでは苦笑していた。
(こやつ。まだ弟に対抗心を燃やしておるのか)
いや、弟とするのは虫が好すぎるか。
――クロードを王宮から捨てよ。
そう命じて、彼の母が亡くなった時から人間扱いしてこなかったのは自分だ。
しかし会うことすら不自由であったからこそ、その存在を常に気にかけていたし、彼が『漆黒の死神』と呼ばれるほどの活躍を耳にした時は、とても嬉しかった。
もしかしたらフェリックスに、クロードに対する秘めたる愛情が伝わってしまっていたのかもしれない。
そうなら悪いことをした、と思う。
なぜなら幼いフェリックスから弟を取り上げたくせに、息子として目にかけるのはフェアではないからだ。
だが一方でこうも思った。
フェリックスはこの先、帝国を背負っていかねばならない宿命を背負っている。小さな嫉妬心など封殺してもらわねば困る、と。
そこでハイドリヒは心を鬼にした。
「たとえ『クズ』であっても、それを『宝石』として磨き上げ、敵国を釣り上げる道具にする度胸と知略を身につけよ。フェリックス」
「どういうことでしょう?」
「とにかくクロードを呼び戻せ。話はそれからだ」
「でもどこにいるのやら……」
「なんとしても探し出せ。いかなる手段を使おうとも、だ。分かったら行け。もたもたしていたらこの玉座が他人のものになるぞ」
有無を言わさぬ口調でフェリックスを追い払った後、彼は玉座にもたれかかりながら天井をあおいだ。
「すまぬ。許せ。愚かな父を……」
誰も聞いていないと知っているからこそ発した弱々しい声だった。
◇◇
音楽を聴きながら、スヤスヤと寝息を立て始めたシャルロットをベッドに寝かせたリゼットは、自分の部屋に戻った。
使用人たちが暮らす建物の一番奥にある大きな部屋がリゼットの個室。侍女をまとめるリーダーに相応しい、立派な部屋だ。
あたりはすっかり暗くなっている。
明日も早い。だから今日はもう寝よう。そう思い、寝間着に着替えた直後だった。
――コンコン。
ドアをノックする高い音がした。
「どなた?」
「明日、シャルロット様のヘアメイクを担当することになった者です。ご挨拶を、と思いまして」
リゼットは上から白のショールを羽織った。
「入っていいわよ」
静かにドアが開けられ、あらわれたのは髪の短い若い女――メリッサだった。
リゼットはニコリと微笑んだ。
「何か飲む?」
「いえ、平気。貰うもの貰ったらすぐ帰るから」
メリッサが右のてのひらを上に向けて、くいくいと指を曲げる。
何かを催促しているのは明らかだ。
「報告が先よ」
「いえ、報酬が先だもん」
呆れた表情のリゼットは、数枚の紙幣をメリッサの右手に乗せた。
「ちょっと! これ半分じゃん!」
「残りは報告の後」
リゼットは口元こそ緩めているが、目は笑っていない。
「ぶー! もう、分かったわよ。言えばいいんでしょ! 言えば」
「素直でよろしい。さ、教えてちょうだい。クロードはいったい何者なの?」
「まだ分からないわ」
メリッサがそう言った瞬間に、目にもとまらぬ速さで彼女の手から紙幣が消えた。
「ちょっと、待って! 話はまだ終わってないから!」
「じゃあ、全部話しなさい。話してから全額あげるわ」
「わ、分かったわよ! でも、どうしても分からないものは分からないのよ!」
「んで? もしそれだけだったら、今すぐここから追い出すわよ。それくらいは分かってるわよね?」
「だ、だから分かってるって! そこで発想を変えてみたの。私、天才だから」
両手を腰にあて、薄い胸をぐいっとつきだしたメリッサに、リゼットは無言のまま冷たい視線を送る。
「ちょ、ちょっと! そこはツッコむところでしょ!? まあ、いいわ。んでね。改めて調べてみたのよ。彼のことではなく、彼以外のことをね!」
「彼以外のこと?」
リゼットが眉間にしわを寄せて首をかしげる。
メリッサはますます得意げになって続けた。
「近頃、姿を消した若者がいないか、ってね。そしたらすごいことが分かったの」
「もったいつけなくていいから、続けてちょうだい」
「グリフィン帝国の『漆黒の死神』って知ってる?」
「漆黒の死神? ふふ。いかにもファンタジー小説に出てきそうなあだ名ね」
リゼットが口に手を当てて笑うと、メリッサはやれやれといった風に首を横に振った。
「笑いごとじゃないわ。かつてアレックス様の部隊が全滅しかけた時があったでしょ。あれも『漆黒の死神』の仕業だって、まことしやかに噂されてるんだから」
「アレックス様がそうおっしゃったの?」
「いえ、それは違うけど……。とにかく! 『漆黒の死神』ってのは、とんでもなく強くて恐ろしい暗殺者の二人組だったの!」
「だった……。ということは今はいない、ということね」
リゼットが目を細くする。メリッサはニヤリと口角を上げた。
「ちなみに『漆黒の死神』のあだ名の由来は二人とも黒髪だったから。そして素性や顔は知られていないけど、若い男女だったって」
「そう……」
「それだけじゃないわ。男の方は耳が異常によくて、女の方は虫を使うのが上手だったんだって」
「耳……。虫……」
「二人とも今は行方不明。まだ正確なことは言えないけど、怪しいと思わない?」
そこでメリッサが再び右のてのひらを差し出す。
リゼットは黙ってそこに、さっきの倍の紙幣を乗せた。
「毎度あり! また何か分かったら報せるね! あ、でも追加料金はいただくから!」
メリッサがいなくなったとたんに部屋が静まり返る。
ショールを脱いだリゼットは、今度こそベッドにもぐりこんだ。
「とんでもなく強くて恐ろしい暗殺者、か……」
布団を頭からかぶった彼女は、真っ暗闇の中、クロードの顔を思い浮かべた。
「排除するしかないわね」
サイドテーブルに置いた短剣の鞘が月に照らされて怪しく光る。
それをじっと見つめるリゼットの瞳もまた不気味な光に包まれていた。
まるで百戦錬磨の剣豪のように――。
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