第16話 任務:音楽隊を用意しなさい!

◇◇


 シャルロットとマルネーヌがモンブランの散歩に出たのを見計らって、俺は客間でアレックスと二人きりになった。

 彼は警戒しているのか、俺から3歩ほど離れている。


「安心しろ。俺はシャルロットとマルネーヌに危害を加えるつもりはない」


 そう言ったものの、おいそれと警戒を解いてくれるはずもない。

 むしろ罠だと思ったのか、腰に差した長剣に手をかけはじめる始末。


「安心していい、という証拠はあるのか?」

「証拠? そんなもんあるわけないだろ。だが考えてみろ。俺がシャルロットの執事になってから3か月たった。王女を殺すつもりだったら、とっくにやってる」

「それはそうだが……」


 アレックスの手が剣から離れたところで、近くのソファに腰を下ろし、両手を後ろに組んで寄り掛かった。


「それにわざわざ危険をおかしてお前に会いにくると思うか?」

「だったらどうして王女様のところにいるんだ」

「安眠できるからだ」

「は? 安眠?」


 目を丸くするアレックスに、俺はこれまでの経緯をつぶさに話した。

 あ、でも帝国の皇子であることは隠しておいたよ。

 色々と面倒なことに巻き込まれそうだからな。


「なるほど……。なぜ『安眠』なのか、いまいち分からないが、それでも事情はよく分かった。では僕に会いにきた理由を話してくれないか?」


 向かい合うようにして座った彼に、俺は身を乗り出して答えた。


「あの時の借りを返してもらおうと思ってな」


 緩みかけた緊張の糸が再び張り詰め、アレックスの顔が引きつる。


「何が望みだ……?」

「俺を守ってくれ」

「は? いや、しかし……」


 アレックスが戸惑うのも無理はないよな。

 まともに対峙したら、明らかに俺の方が剣も魔法も勝っているのだから。

 しかし俺は冗談で言ったつもりはなかった。


「この国で俺の正体を唯一知る男がお前だ。だからお前さえ俺のことを守ってくれれば、これからも俺は安全な場所で寝ることができる」

「つまり何があっても君の過去を知らない振りを通せ、と」

「それだけじゃない。もし俺の正体を嗅ぎまわるヤツがいたらひねり潰してくれ。王国最強の騎士団を率いるお前なら容易いだろ?」

「嫌だと言ったら?」

「言わなくても分かってると思っていたのだが……違うか?」


 俺はニヤリと口角を上げて続けた。


「俺は『相棒』がほしいだけだ。どの国にいようとも、どの仕事につこうとも、『相棒』の存在が大きいのはよく知っているつもりだ。それにお前にとっても悪い話じゃないはず。なぜならあの時の真相を知っているのは俺だけだからな。俺たちが手を結んでいる間は、互いに後ろめたい過去を知られずにすむ、というわけだ」


 アレックスも乾いた笑みを浮かべた。


「いいだろう。恩返しをすると約束したしね」


 彼が差し出してきた右手をがっしりと握る。


「頼んだぞ」

「任せてくれ。同士よ」

「同士? どういう意味だ?」

「すぐに分かるさ」


 小首をかしげたアレックスは、俺の疑問には答えようとせず、話題を変えてきた。


「ところでグリフィン帝国が今、大変なことになっているのを知っているかい?」


 アレックス真剣な顔つきを見れば、帝国がかなり深刻な事態に陥っているのは想像がつく。

 だが俺はその帝国に、さんざんこき使われた挙句に捨てられた人間なのだ。


「知らないし、興味もない」


 本音が口をついて出てきた。

 自分でもびっくりするほど冷たい口調だ。

 そんな俺の心情を察したのか、アレックスは頭を下げた。


「そうか……。すまなかったね」

「いや、別にお前を責めちゃいない。あの国がどうなっていようと、本当にどうでもいいんだ」


 俺が半笑いを浮かべると、アレックスもまた肩の力を抜いて言った。


「そうだよね。分かるよ」

「どうしてだ? お前は見捨てられたことなんかないだろうに?」

「ああ、でも分かるんだ」


 首をすくめたアレックスの様子を見て、今度は俺の方が察した。

 

(アッサム王国にも、隠された大きな闇があるってことだな)


「だったらこの話題は終わりだ」

「そうだな。よし、じゃあ、こうしよう! 『相棒』になった証として、一緒に風呂に入るというのはどうだい?」


 ああ、そう言えばすっかり忘れてたよ。

 こいつの頭の中は、常に『風呂』だってことを……。


「いや、遠慮しておく」

「つれないこと言うなよ。裸同士の付き合いって響き――。すごくいいと思わないかい?」


 恍惚とした表情のアレックスをどうしようかと悩んでいるうちに、ドアが勢いよく開けられ、マルネーヌの甘ったるい声が響いてきた。


「クロードさん、そろそろお兄様を返してくださる? 今日は一緒にお食事して、本を読み聞かせてくれて、それから一緒にお風呂に入ってくれるって約束になってますの」


 目を丸くした俺に、アレックスがこっそり耳打ちした。


「マルネーヌはかなりの甘えん坊なんだよ。すまない。風呂の件はまたの機会にさせて欲しい」


 おいおい、待て待て。

 その前に、今お前の年頃の妹が「お兄様とお風呂に入る約束をしている」と爆弾発言したんだぞ。

 そこはスルーしていいのか?

 もしかして俺の耳がどうかしてるのか?


「もうっ、お兄様! 今からお兄様は私だけのものなんですから。クロードさんから離れてください!」


 マルネーヌがアレックスの右腕に抱きつく。

 いやいや……。普通にドン引きだ。

 兄妹のそばから一歩離れたとたんに、今度はドアの向こうからシャルロットの声が聞こえてきた。


「クロード! 帰るわよ! 館に戻ったら音楽が聴きたいの。音楽隊をすぐに用意しなさい。いいわね」


「大丈夫? 音楽隊なんてすぐに見つからないだろう?」とささやいたアレックスに、俺は首をすくめて即答した。


「問題ない」


 彼の同情するような目を見て、ようやく気づいた。

 なるほど。彼の言う『同士』とはこういうことか。

 

 ――そばにいる少女に手を焼いている男同士。


「では、また」

「ああ、また会おう」


 俺たちは軽い挨拶で別れた。

 そしてこの時こそが、二度目の人生における『相棒』を手に入れた瞬間でもあった。


 マルネーヌの館を出て、シャルロットを乗せた馬車の後ろをついていく。

 やはり生活のリズムどおりってやつだな。


 レモンティーに角砂糖3つ――。


 その日は音楽隊に演奏させるのが、彼女のリズム。

 今ごろメアリーが館に呼び寄せているに違いない。


(音楽隊には子守唄をリクエストしよう。俺がぐっすり寝られるように)


 こうして俺は『世界一安全な場所で安眠をむさぼる』という目標を、完全に果たすことに成功した。

 あとはシャルロットのわがままに上手く付き合っていけば、何の問題もない。

 そんなことを考えていた俺は、自分の身に迫りつつある『大きな波』に気づこうともしなかったのである。



【第1章 完】

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