第15話 アッサム王国一のイケメン

◇◇


 ハンモックで揺られながらホタルを鑑賞した翌日の朝。

 朝食を終えたシャルロットとマルネーヌに、俺は紅茶を差し出した。


「レモンが入っていないじゃない?」とシャルロットが冷たく言う。


 俺は小さくうなずいた。


「今日はそっちか」

「どういう意味よ?」

「いいや、こっちの話だ」


 シャルロットの紅茶の好みにはいくつかパターンがある。

 彼女自身、そのことに気づいていないかもしれない。いや、彼女でなくてもたいていの人間が、自分の持つ『パターン』を知らず知らずのうちに持っているものだ。

 暗殺者はそれを見抜く。

 いわば『生活のリズム』と言ってもいい。

 そのリズムに乗ってしまえさえすれば、相手の隙をつくことなど造作ない。

 逆にリズムに合わないことをされると『違和感』を覚え、それが警戒心につながるものだ。

 今日のシャルロットの紅茶は『レモンティー』というパターン。

 当然、どんなパターンがこようとも対応できるだけの準備は整えてある。


「ほら、レモンのスライスと角砂糖2つ」

「角砂糖のことは何も言ってないでしょ!」

「だったらいらないのか?」

「いるわよ!! 3つ!!」

「そう言われると思って、用意してある」


 ふむ。レモンティーに角砂糖3つか。

 となると……。


「メアリー。頼みがある」


 俺の頼みを聞いたメアリーが怪訝そうな顔をした。

 だが彼女にも『俺のパターン』が分かってきたようだ。

「分かったわ。夕食までに用意しておくわね」と、ため息交じりに言い残し、館を出て行った。


◇◇


 マルネーヌの帰りに、俺がお供することとなった。

『館に連れていってほしい』という約束を、早速果たしてくれるというわけだ。

 今日は兄のアレックスも館にいるらしい。だがそれを聞いた侍女たちが、一斉に詰め寄ってきた。


「ええっ!? ずるいっ!」

「アレックス様に会えるなんて!」

「サインもらってきてね!」

「あ、私も!」


 リゼットから「アレックス様は王国一のイケメンと言われていてね。若い女性にすごく人気があるのよ」と聞かされていたのだが、まさかこれほどとは……。


「アレックス様の頬に傷があるのよね」

「そうそう! 完璧すぎる顔に、あの傷があるからセクシーなんじゃない!」

「ふふ。でも傷をつけた相手が目の前にいたら許さないかもー」

「私も、私も! 同じように傷をつけてやるんだから!」


 頬に傷ね。似顔絵のこともあるし、確定だな。そのアレックスとやらが俺が取り逃がした敵兵だ。

 そして侍女たちの憤慨の原因を作ったのは俺、ということになるな。

 当然、そんなことなど言えるはずもなく、俺は勝手に盛り上がっている侍女たちから静かに離れ、マルネーヌの待つ中庭に向かった。

 だがそこには彼女だけではなく、シャルロットの姿もある。


「なぜここに?」

「あんた一人だと何をするか分からないから、私がついていくことにしたのよ! 悪い?」


 頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向くシャルロット。俺は首を小さく横に振った。


「別に悪くはないが……。言っておくが俺はマルネーヌに何かするつもりはないぞ」


 そう……彼女には用はない。俺が相手にするのは彼女の兄、すなわちアレックスだ。


「そ、そんなの分からないでしょ! 昨日だって、マルネーヌのことを『美しい女性だ』って褒めてたじゃない! もう何か月も執事やってるくせに、私なんて一度も褒められたことないんだから!」

「ん? シャルロットは容姿を褒めてほしいのか?」

「ば、バカにしないでよ! 誰があんたなんかに!!」


 おいおい。いったいどっちなんだよ?

 相手の言っている意味が分からない時は、とっとと話を進めてしまうのに限る――シャルロットの執事になってから学んだことだ。


「うむ。じゃあ、とりあえず出発しようか。さあ、マルネーヌと馬車に乗るんだ」

「ちょっと待ちなさいよ! 話はまだ終わってないわ!」


 金切り声をあげるシャルロットを馬車に押し込んでから、マルネーヌを乗せた。


「さあ、出発だ!」


 俺の掛け声とともに馬車が動き出す。ひとりでに浮かぶ笑みをこらえきれない。

 

(いよいよ再会か。あの時の借りを返してもらうぞ)


 そう決意して、馬車の後ろを馬でついていったのだった。


◇◇


 ソリス邸――。つまりマルネーヌ・ソリスとアレックス・ソリスの兄妹が暮らしている館は、シャルロット邸に比べれば一回り小さいが、それでも部屋がいくつもある豪勢な造りだ。

 事前にシャルロットの来訪が伝えられていたのだろう。

 大勢の使用人たちが馬車の到着を迎え入れた。

 一番奥にいるのはひと際背の高い、美しい青年。頬にはくっきりと傷の跡がある。

 ウエーブのかかった金髪、細い目、薄い唇――彼がアレックスに違いない。


「いらっしゃいませ!」


 門から玄関の扉に続く道の両脇に、使用人たちがずらりと並ぶ中、シャルロットが威風堂々と闊歩かっぽしていく。


(さすがは王家の血筋を引く者だけあって、様になっているな)

 

 立ち止まったシャルロットに対し、アレックスは片膝をついて、深々と頭を下げた。


「王女様。ようこそいらっしゃいました」


 低くて、透き通った声。見た目と同じくらい美しい。

 世の女性を虜にするのもうなずけるというものだ。

 

「久しぶりね、アレックス。近頃はずいぶんと忙しいようね。王宮に帰ってきたのも1ヶ月ぶりって聞いたわよ」

「ふふ。仕方ありませんわ。お兄様は王国で最強といわれた騎士団の団長として、世界中を飛び回っているのですから!」


 マルネーヌがシャルロットの脇から顔を覗かせた。

 ほう。敵に命乞いして生き長らえた割には、ずいぶんと出世したものだな。


「身に余る光栄です。これもすべて国王陛下のおかげでございます」

「ふーん。別にパパが何かしたわけじゃないわ」


 かなり冷めた口調だな。やっぱり家族内で何か問題でもあるのか?


「そんなことは……」


 アレックスが言いよどむのも無理はない。

 国王を立てようとすればシャルロットを怒らせることになるし、シャルロットを立てようとすれば国王を軽んじることになるからな。


「なに? 私に文句でもあるの?」


 アレックスは口元をかすかに緩めて立ち上がった。


「いえ、滅相めっそうもございません。では屋敷の中へご案内いたします」と言って、流れるように背を向ける。


 やはり今でも逃げるのは上手なようだな。だがまだ行かせるわけにはいかない。

 俺はシャルロットの横に立ち、彼女に目配せした。

 シャルロットは「分かってるわよ」と言わんばかりに、ふいっと顔をそむけると、甲高い声をアレックスの背中に突き刺した。


「ちょっと待ちなさい。どーでもいいことだけど、一応紹介しておくわ。ここにいるのは私の執事のクロードよ」

「執事、ですか……」


 振り返った彼の表情は「本当にどうでもいいことですね」と聞こえてきそうなくらい渋い。

 だが俺が顔を上げたとたんに、彼は大きく目を見開いた。


はじめまして・・・・・・。シャルロットの執事をしているクロードだ」

「あ、ああ。は、はじめまして」


 さっきまでの甘美な声はどこへやら。

 明らかに動揺している。


「あら? お兄様。どうしたのですか? ひたいから汗が噴き出してますわ」

「い、いや、なんでもない。1ヶ月ぶりの休日だから疲れているだけだ」

「ふふ。どんな手ごわい敵にも背を向けたことのないお兄様でも疲れることはあるんですね」

「ほう。アレックスは敵に背を向けたことがないのか」


 ニヤリと口角を上げた俺に、アレックスが引きつった笑みで返してくる。

 俺たちの関係を知らないマルネーヌは、誇らしそうに続けた。


「クロードさん、そうなのよ。去年の春、お兄様の率いていた部隊が敵の罠にはまって全滅しかけた時も、お兄様はたった一人で敵の大軍を返り討ちにして帰還してきたのですから!」


 ずいぶんと話がねじ曲がっているじゃねえか。

 罠にはめたのはアレックスだし、大軍を相手にして、返り討ちにしたのは俺の方だ。


「それはすごいな」

「ふふ。ですよね! あの一件でお兄様は実力を認められて今の地位を得たのよ」


 なるほど。

 命を助けてやった俺が国を追われた一方で、命を救われたアレックスは英雄あつかい――というわけだな。


「マルネーヌ。もういい! 王女様をこれ以上立ち話に付き合わせるわけにはいかないだろ!」


 これまでのクールな姿からは想像もできないような荒々しい声をあげたアレックスは、くるりと背を向け、扉の向こうへと消えていったのだった。

 しかし今度ばかりは逃がしはしないさ。


 俺の快適な安眠ライフのために――。


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