第14話 任務:あたり一面をホタルで埋め尽くしなさい!

「クロード、挨拶すらできないんじゃ執事失格よ」


 シャルロットの突き刺すような声でようやく我に返った。


「ああ、すまない。クロード・レッドフォックスだ。よろしく頼む」

「ふふ。あなたのご活躍・・・はシャルロット様からよーく聞いておりますわ」

「ちょ、ちょっと! マルネーヌ! わ、私は一言も活躍なんて口にした覚えはないんだから!」

「あら? 楽しそうにクロードさんのことをお話しされるから、てっきりそう思ってしまいましたわ」

「い、い、いつ私が楽しそうに話したのよ!?」

「ふふふ」


 どうやらマルネーヌがからかってくれたおかげで、シャルロットに不自然がられなくてすんだようだ。

 それに、いつもより歩くスピードをぐっと抑えていることにも気づかれていない。


(しかしマルネーヌは本当にあの時助けた敵兵の妹なのだろうか……)


 雪のような白い肌に、小さくて丸い顔と鼻、そして口。ぱっちりとした目。小さな泣きぼくろ。ウェーブのかかった茶色の髪――。やはり間違いない。脳裏に焼き付いている似顔絵と同一人物だ。


「どうしたのですか? 私の顔に何かついてます?」


 しまった。ジロジロ見すぎたか。

 彼女のことは気になるが、変な勘繰りを入れられても困る。


「いえ、なんでもない。噂通りの美しい女性だと感心してただけだ」

「まあ! 嬉しい!」


 無邪気に喜ぶマルネーヌの横で、シャルロットが鬼のような形相で睨みつけてきた。


「クロード! もうあんたはここまででいいわ!」


 なんだかよく分からないが、ご機嫌ななめのようだ。

 でもじゅうぶんに時間を稼いだし、役目は果たせた。後のことはリゼットに任せよう。


「分かった。じゃあ俺はこれで……」

「ちょっと待ちなさい。私ね。マルネーヌと一緒に夏の思い出を作りたいの」


 すごく嫌な予感がする。


「そうか。勝手に作ればいい」


 話を切り上げようとした俺を無視して、シャルロットは続けた。


「そこでね。見せてあげようと思うの」

「何を?」

「ホタルよ! 見渡す限り一面にホタルが飛び交う幻想的な光景をね!」


 ああ、予感が確信に変わっていく……。


「しかしホタルなんて、ここらで見たことがないぞ」

「いるわよ! この館の敷地でホタルが暮らしていたって百科事典に書いてあったんだから!」


「調べ物がある」と言って、百科事典を30冊も部屋に運ばせたのは、このことだったのか……?


「つまり俺に『ホタルを用意しろ』と」

「今夜、私たちをホタルが見れる場所まで連れていきなさい。いいわね」

「王女様。あまり無茶なお願いをするものじゃありませんわ。クロードさんがかわいそうですもの」


 マルネーヌが俺に助け舟を出す。

 しかし火に油を注いだようだ。


「うるさい! とにかく私はホタルが見たいの!!」


 こうなればもうシャルロットのわがままを止める術はない。


「分かった」

「じゃあ、できなかったらクビよ」


 腕を組んで「ふん」と鼻を鳴らすシャルロット。

 取り付く島もなさそうだ。

 しかし今回の難易度はかなり高い。

 だからこっちだって、一つくらいわがまま言っても問題ないよな。


「もしできたならば、一つ願いを聞いてくれ」

「またお願い? あんたね。わがままもいい加減にしなさいよね!」

「ふふ。王女様、いいじゃないですか」


 再び横やりを入れたマルネーヌは、ムッとするシャルロットが何か言い出す前に、こっそり耳打ちした。

 だが悪いな。どんなに小さな声でも俺の耳はとらえてしまうんだ。


「お願いをきいてもらえれば、クロードさんが王女様のことをもっと好きになってくれるに決まってますわ」


『もっと好きになってくれる』というのは、かなり語弊があると思う。

 ……が、シャルロットの性格からして、どんな相手でも好かれたいのは確かだ。

 その証拠に、彼女の顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。

 口を小刻みに震わさせたまま固まってしまったシャルロットに代わり、マルネーヌが穏やかな口調で問いかけてきた。


「クロードさん、どんなお願いをしたいのですか?」


 俺はさらりと答えた。


「マルネーヌの館に連れていってくれ」


 目を大きくして顔を合わせるシャルロットとマルネーヌ。そんな彼女たちをよそに、俺は図書室へ向かった。


◇◇


 アッサム王国の王宮の敷地はかなり広大で、王族と貴族の館がある。シャルロットがマルネーヌの館へ遊びに行くのも、同じ敷地内にあって安全だから。

 特にシャルロットの館の庭は特別に広くて、川、森、それに山と海まである。

 言い換えれば、様々な動物や昆虫がいる、ということだ。


「うむ。確かにこの辺りでホタルが生息していたという記録が残っておる」


 ドギーが百科事典を開いたページを覗き込む。


「館が建てられてから姿を消してしまった――とも書かれているな」


「ホタルは光ることで仲間と会話しておるそうじゃ。人間たちはうるさいから静かなところで暮らそう、と誰かが言い出したのかもしれのう。はははっ」


(なるほど。その手があったか!)

 

「ありがとう、ドギー! おかげで助かったよ!」


「なんのことかのう?」と目を丸くする彼に頭を下げてから、俺は部屋を後にした。


◇◇


 夕食後、俺はシャルロットとマルネーヌ、それにリゼットの3人を連れて、近くの森に入った。


 リゼットが心配そうに「ここには何度も来たことがあるけど、ホタルなんて見たことないわ」と耳打ちしてきた。

 マルネーヌと並んで歩いているシャルロットもチラチラこちらを見てくる。


 ――大丈夫なんでしょうね?


 と言いたいのだろう。

 俺は確信を持って答えた。


「問題ない」


 アンナに教えてもらった『虫使い』の術。

 彼女が俺にでたらめを言うわけがない。

 だから絶対に大丈夫だ。

 

 しばらく歩いたところで、小さな川のほとりに出た。

 高い木々はなく、背の低い茂みが広がっている。

 ……と、その時、マルネーヌが高い声をあげた。


「あっ! 光りましたわ!」


 彼女の指さす方へ、全員の視線が集まる。

 確かに弱々しい光が規則的に点滅している。


「ホタルでございます!」


 リゼットが嬉々として声をあげたが、シャルロットは不満そうに口を尖らせた。


「私はこの茂みを埋め尽くすくらい、たくさんのホタルが見たいの! たったの1匹じゃ、いないのも同じだわ!」


 俺は即座に返した。


「同感だな」


 シャルロットがビックリして目を大きくする。

 だが本心だ。

 こんなもんじゃないさ。

 アンナが『家族』として心を寄せていた虫たちの力は――。


(さあ、こい! 今こそ見せてやるんだ!)


 そう心の中で叫んだ瞬間だった。


 ――ブンッ!


 空気を切る低い音が頭上から聞こえてきたのだ。

 俺はさっと上空を見上げる。

 とたんに笑いが止まらなくなった。


「あははは!!」


 シャルロットが気味悪そうに引いているのが分かる。

 でも俺は顔を上げたまま戻さなかった。

 つられるようにして空を見上げたリゼットとマルネーヌが、揃って驚きのため息を漏らした。


「ふわあああ」


 ついにシャルロットが顔をあげた。


「いったいなんなの……」


 言葉を切った彼女が目を大きくして素っ頓狂な声をあげる。


「んなっ!?」


 それも無理はない。

 なぜなら空一面をホタルの光が埋め尽くしているのだから。

 まるで満面の星空がすぐ頭上まで降りてきたかのようだ。


「うそ……」

「嘘なんかじゃないぞ。紛れもない現実だ」


 図書室を出た後、俺は庭で小石を拾い集めた。それらを魔法で『偽のホタル』にして放ったのだ。


 ――散り散りになっているホタルたちを森の小川に集めてくれ。


 と命じて。


 ――虫は裏切らない。


(そうだな。そのことが証明できて嬉しいよ)


 ちょっぴり誇らしい気分に浸る。

 アンナと共に過ごした暗殺者としての日々が、ホタルの淡い光に照らされてよみがえってきた。

 辛くて苦しかった。地獄だったよ。

 でもおかげでアンナに出会えたし、こんなにも美しい光景を作りだすことができたのだ。

 俺の手で殺されていった者たちには申し訳ないが、今となってはあの地獄の日々があって良かったと思えてくる。

 わがままな王女に仕え、隙を見ては爆睡する――。

 それだけで幸せに感じるんだからな。


 さてと……。

 ホタルの群れが小川のほとりに降り立ち、シャルロットがうっとりした顔でホタル観賞に夢中になっている。

 俺は「あとは頼む」とリゼットにささやいた。


「クロードはどうするの?」

「こいつに揺られて寝る」


 あらかじめ隠しておいた、ハンモックの網を見せる。


「ちょっと何を考えてるのよ!」


 だがいくら止めても無駄だ。

 もう俺の頭の中は寝ることでいっぱいだからな。


 少しだけ離れたところでハンモックをセットし、身を預けた。遠くに見えるホタルの群れを見ながら、ゆらりゆらりと揺られる。

 あまりの心地よさに、あっという間にウトウトしはじめた。


 ……が、しばらくして何者かが頬をツンツンとつついてきたのだ。


「なんだよ?」


 つっけんどんに言いながら目を開けると、硬い表情のシャルロットが立っていた。

 だが無礼な態度に怒っているわけでもなさそうだし、わがままを言うつもりもなさそうだ。ならば俺の楽しみを奪わないでほしい。

 

「悪いが今日の仕事は終わりだ。何か用があるならリゼットに言ってくれ」

「べ、別に用なんかないわよ。ただ……」

「ただ?」


 言葉を止めたシャルロットは言いづらそうにもじもじしている。

 

「別に言いたくないなら何も言わなくていい。俺は寝るから」と告げて、彼女から視線をそらした。


 すると消えてなくなってしまいそうなくらいに細い声が鼓膜を震わせたのだった。


「ありがと……」


 自然と目が大きく見開かれる。


 だってありえないだろ?

 悪魔の化身であるシャルロットが礼を口にしたんだぞ?


 俺は無言のまま彼女に視線を戻した。

 暗い中でも彼女の顔が真っ赤になっているのが分かる。


「……なによ?」

「いや……。熱でもあるのか、と思ってな」

「あるわけないでしょ! バカ!!」

「おいっ! 待て! 揺らすな!!」

「いやよ!! あんたの命令なんか絶対に聞かないんだから!!」

「め、命令じゃなくてお願いだ! これ以上揺れたら……うわあああ!!」


 地面に転がった俺を見て、シャルロットがケラケラと楽しそうに笑い始めた。

 その顔にはいつものような棘はない。

 どこにでもいそうな少女らしい、清らかに澄んだ真夏の青空のような笑顔だ。


(いつもこんな風に笑っていればいいのにな)


 そんなことを考えながら、ため息まじりに笑みをこぼした俺が、気づけるはずもなかったんだ。

 一匹の虫が王宮の敷地から遥か向こうに飛んでいったのを……。


 その虫は何日も飛び続けた果てに、黒髪の少女の手元に収まったのである。


「やっと見つけた」


 彼女は白い頬を赤く染め、アッサム王国の方へと駆けていったのだった――。

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