第13話 予想外の客人

◇◇


 夏の終わり。この日もシャルロットはマルネーヌのところへ遊びに行った。今日のお供は珍しくメアリーが担当している。

 シャルロットを乗せた馬車を見送ってから館に戻る途中で、侍女たちの浮かれた声が耳に飛び込んできた。


「ねえねえ、今度の休みにビーチへ行かない?」

「いいわね! 灼熱の太陽のもと、海の音を聞きながら、パラソルの中でキンキンに冷えたお酒を飲む――最高ね!」

「うふふ。楽しみ!」


 アッサム王国の南側は海。そして王都は海に面した場所にある。

 交易が盛んな巨大な港から少し離れたところに、白い砂浜が続くビーチがあり、多くの人々でにぎわっているらしい。


(海か……)


 侍女たちにしてみれば海と言えばバカンスの場だろうが、暗殺者にとっては格好の狩場。なぜなら逃げ場がないからだ。


 ――敵兵を乗せた船が近づいている。その船ごと爆破するのだ。


 兄のフェリックスから、そう命じられた記憶がよみがえってきた。

 あの時、船内にもぐりこんだ俺は、首尾よく船を木っ端微塵に爆破した。

 しかし運悪く、脱出用のいかだも一緒に燃えてしまったんだ。

 季節は冬。やむを得ず夜の海へ飛び込んだのはいいものの、急激に体温が下がり、意識は薄れていった。まさに命の危機。そんな俺を助けてくれたのは『虫』だった。


(確か『ファイアー・バグ』ってハエだっけか。食べるとお腹に火がついたように体温が上がるんだよな)


 だがファイアー・バグは南国の虫。冬の海にいるわけがなかった。

 つまり俺を助けるために何者かによって放たれたんだ。俺にはその正体がすぐにわかった。


(アンナ……。まだ生きてるかな)


 アンナ・ゾーン。

 5つ年下の黒髪の少女は、俺にとって唯一の弟子であり相棒。

 生まれてすぐに両親に捨てられ、育てられた教会でも、苛烈な虐待にあっていた彼女。

 唯一の心の拠り所は『虫』だったらしい。

 10歳の時、教会で自分をひどい目にあわせた神父たちを虫を使って皆殺しにしたのをかわれて、俺のもとにやってきた。


(様々な虫を懐に入れてるのを初めて見た時は、かなり気持ち悪かったな)


 でも数日も一緒にいればすぐに慣れたよ。

 俺たちは相棒として任務を次々にこなしていった。

 二人とも黒髪だったからだろう。

 いつしか俺たちについたあだ名は『漆黒の死神』。

 裏の世界ではそこそこ名が通っていたんだ。

 そして、俺は彼女に『暗殺者』としてのスキルを教え、彼女は俺に『虫使い』としてのイロハを教えてくれた。


 ――野生の虫を操るのは無理。


 だから『フェイク・バグ』という魔法で人工的な虫を作り、『仲間』と思わせて操るのだそうだ。

 

 ――魔法の虫は小石で作るの。


 形や大きさが虫に似ている石を二人で一緒に探したこともあったな。


 ――『虫』とクロードは私にとって大事な家族。


 いつも無口で無表情だった彼女が目を細めながら、そんな風に言ってたのを今でも鮮明に覚えている。


(はは。なつかしいな)


 思い出に浸っていると、ふいにリゼットの声が聞こえてきた。


「ねえ、口元が緩んでるけど、何かいいことでもあったの?」


 俺ははっとなって表情を引き締めた。


「いや、昔のことを思い出してな」

「どんなこと?」

「女だ」

「もしかして恋人?」

「違う」


 アンナの恋人か……。カブトムシにでもならなければ無理だな。

 苦笑いする俺にリゼットは怪しむような目を向ける。


「ま、いいけど。ねえ、ところでクロードはどんな女性が好みなの?」

「好み?」


 そう聞かれるとまったく考えたことないな……。

 返答に困っていると、リゼットは質問を変えた。


「じゃあ、どんな女性が嫌い?」

「素性をいつわって男に近づく女だな」

「ふーん。私はミステリアスな男って嫌いじゃないわよ」

「余計なお節介かもしれないが、そういう男には近寄らない方がいい」


 さんざん利用された挙句に寝首をかかれるのが落ちだから……とは言わなかったが事実だ。

 相手に好意を抱かせて油断させるのは、暗殺者にとっては基本中の基本だからな。


「ふふ。もう遅いかもしれないわ」


 リゼットがいたずらっぽく笑う。

 色恋については堅い方だと思っていたのだが……。

 いや、これ以上突っ込むのはやめておこう。


「そうか。気を付けろよ」

「大丈夫。こう見えても私強いのよ」

「そんな風には見えないけどな」

「人は見かけによらないものよ」


 ああ、確かにそれはその通りかもしれない。

 腕をちょっと強く握っただけで折れてしまいそうなくらいやせ細っていたアンナだって、大人の兵士が束になってもかなわないくらいに強かったからな。


「ふふ。またニヤけてる。彼女はクロードにとって、よほど大切な人みたいね」


 大切な人、か……。

 その通りかもしれない。

 地獄のような毎日で、背中から感じる彼女の息遣いが唯一の安らぎだったのだから。

 でもそれはもう過去のことだ。


(さあ、今日もフカフカのベッドで爆睡しよう)


 そう気持ちを切り替えて、館に戻ったのだった。


◇◇


 シャルロットの帰りを待っている間。

 俺はアンナと別れた時の夢を見ていた。

 それは去年の春のこと。


「クロード。敵に囲まれた」

「数は……足音からして、およそ100か」


 アッサム王国の東の果てにある森の中。

 情報屋から帝国の機密情報を持ち出した裏切者がここにいると聞いていたものの、それは敵の罠だった。


「隙を見て東の方向へ逃げるぞ。国境を越えてしまえば、敵は追ってこられない」

「クロードも一緒に」

「後で必ず合流する。だから先に行け」

「一緒じゃなきゃイヤ」

「ダメだ。アンナが先に行くんだ」


 アンナは言葉だけで素直に言うことを聞く相手ではない。

 だから俺は奥の手を使った。

 そう……『マインド・チェーン』だ。


「い……や……」


 涙を流しながら抵抗する彼女に対し、俺は容赦せず魔法をかけた。

 そうして自分が囮になった隙をついて、彼女を東へ走らせたんだ。


「命のいらないヤツからかかってこい」


 その後はまさに死闘だったよ。

 無数の傷を負いながらも、俺は一人また一人とアッサム王国の兵を倒していった。

 最後の一人は金髪で見るからに高貴な身分の青年。頬に深い傷を負わせ、とどめを差そうとしたところで、一枚の紙きれに目が留まった。描かれていたのは少女の似顔絵だった。


「それは俺の妹だ」

「妹……」

「両親はもうこの世にいない。俺が死ねば妹はたった一人になる」

「妹をだしにして命ごいをするつもりか?」

「いや、そのつもりはない。だがもし一つだけ願いを聞いてもらえるなら、俺を『風呂』に入れてもらえないか」

「は? 風呂?」

「私は風呂の中で死ねたら本望だ! 頼む!」

「いや、言っている意味が分からんぞ」

「おまえにも愛してやまないことがあるだろ? 俺にとっては『風呂』なんだ。罪人だって『最後の晩餐』が許されるのに、罪もない私は『最後のひとっ風呂』すら許されないなんて理不尽な話があるか! 頼む。もし俺を風呂に入らせてくれたら、必ず恩返しするから」


 ああ、こいつは俺と同類だ……。

 そう感じた瞬間に、剣を持つ俺の右手は動きを止めた。その隙をついて青年は逃げ出した。


「クロード! 何をしてる!? 追え!!」


 俺を助けにきた同僚の叫ぶ声がする。

 だが俺はその場から動けなかったんだ――。


 いつも通りにそこで目が覚めた。

 寝起きに弱い俺は、30秒、じっと何もせずに体が言うことを聞くのを待つ。

 それからゆっくりと起き上がり、衣服を整えた。

 懐中時計にちらりと目をやると、シャルロットが館を出てからちょうど2時間がたったようだ。


(もうすぐ帰ってくるな)


 窓を開けて外に耳を傾けた。

 ガラガラと馬車の車輪が回る音が遠くに聞こえてきた。

 だがその音はいつもよりもわずかに低い。車輪に負担がかかっている証だ。

 思わず目を丸くした。


(シャルロットが誰か連れてきた、ということか)


 いったい誰を……なんて考える必要はないな。

 俺は急いでロビーへ向かい、そこで待機しているリゼットに告げた。


「シャルロットがマルネーヌを連れてくるようだ」


 リゼットの顔つきがきりっと引き締まった。


「なんで分かるの?」

「そんなことはどうでもいいだろ。急いで客人を迎え入れる準備をしなくては」

「ええ、そうね。今からだと、泊まっていくことになるのは間違いないわ」

「となるとベッドの用意だな」

「相変わらず寝ることが中心ね。それだけじゃないでしょ。夕食に翌日の朝食。それからお着換えと――とにかく今いる全員で支度に当たらなくちゃ」

「俺が時間稼ぎを試みる。そっちは任せていいか?」

「うん!」


 俺はリゼットとうなずきあった後、一人で中庭に向かった。

 ちょうど庭の真ん中で立ち止まった俺は、頭を下げて馬車が止まるのを待った。


「おかえりなさいませ」

「まあ、あなたがシャルロット様の執事さんですね。はじめまして。マルネーヌと申します」


 優しい性格をあらわす、おっとりした口調だ。

 その丸みを帯びた声とは正反対の、とげのあるシャルロットの声が頭上から響いてきた。


「クロード。顔をあげて挨拶なさい」


 ゆっくりと顔を上げる。


「はじめまして。シャルロットの執事をして――」


 ……が、目に飛び込んできたマルネーヌの顔を見た瞬間に、言葉が止まってしまった。


(ウソだ……)


 なんと彼女の顔は、かつて俺が取り逃がした敵兵の持っていた似顔絵と、瓜二つだったのである――。

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