第12話 リゼットの秘密
◇◇
暗殺者だった頃、侵入先の館に番犬がいる、というのは、よくあるパターンだ。
昼夜関係なく彼らは主人とその館を守り、侵入者がいればけたたましく吠える。
実に美しい忠誠心である。
だがその忠誠心を主人ではなく、自分に向けさせることができるのも、一流の暗殺者としてのスキルというものだ。
(これだな!)
そう決意した直後に、シャルロットが走ってきた。
セットしたばかりのツインテールを振り乱し、腕を大きく前後に振っている。
その顔は真剣そのもので、己の限界に挑戦する戦士みたいだ。
「ぶはぁっ! ぜぇぜぇぜぇ」
俺の目の前で立ち止まった彼女は、膝に手を当てて苦しそうに肩で息をしはじめた。
「大丈夫か?」
手を差し伸べたものの、あっさりと振り払われる。
しばらくした後、彼女は膝に手を当てたまま顔だけを上げた。
「ぜぇぜぇ。も、モンブランはどこ? ま、まさかいないとは言わせな……おえっ」
「そんなに急いでもモンブランは逃げないぞ」
「ぜぇぜぇぜぇぜぇ。に、逃げ出したいのはあんたの方で……おえっ!」
「普段はまったく運動しないのに、いきなり全力疾走したから気分が悪くなるんだ。もっと鍛えた方がいい」
「いちいちうるさいわ……おええっ」
本当に気分が悪そうだ。真っ青な顔で目をウルウルさせている。
俺はふところから小さな水筒を取り出した。
「これを飲め」
シャルロットはかっさらうようにしてコップを受け取り、ぐびっと飲み干した。
「なんか苦いわね」
「ラベンダーティーだ。安眠効果があるから少しは落ち着くはずだ」
「あんたって本当に寝ることしか考えてないわよね。ん?」
「ほら。落ち着いただろ?」
「別にラベンダーティーのおかげじゃない! 私の体力がすごいのよ!」
顔を赤くしたシャルロットが詰め寄ってきたその時――。
「ワン!!」
足元から響くモンブランの声。
「んなっ!?」
驚きのあまり言葉を失ってしまったシャルロットに、モンブランは「早くお散歩に行こう!」と、首輪と革のひもを押しつけている。
(ふぅ。成功だな)
俺が階段の手前で唱えたのは『ビースト・テイム』といって、近くにいる動物を使役する魔法。『マインド・チェーン』の動物版と言えば分かりやすいかもしれないな。
ただ『マインド・チェーン』と違って、『ビースト・テイム』は魔法をかける相手と近距離で目を合わせる必要がない。その代わりに『契約』と呼ばれる、主従関係を結ぶ儀式をしておかねばならないのだ。
暗殺者だった頃、あらかじめ『契約』をすませた犬を、ターゲットに番犬として送り、『ビースト・テイム』を使って門を開けさせたことが何度かあった。
こんなこともあろうかと、モンブランがこの館にやってきた直後に『契約』をしておいてよかったよ。
――モンブラン。これからシャルロットと大好きなお散歩の時間だ。自分で鍵を開けて、ロビーまで走ってこい。
俺は心の中でそう命じ、モンブランはそれに応えてここまでやってきた――というわけだ。
だがこれで確信した。
俺の魔法の力は衰えていない。
となると、シャルロットに魔法が効かなかったのはなぜだ?
しかし今、この場で悩むことじゃないのは分かっている。
俺は近くで拝借した白い傘をシャルロットに手渡した。
「今の時期は朝でも日差しが強いからな。あ、俺はロビーのソファで寝てるから、ゆっくり散歩してきてくれ」
シャルロットは頬をひくひくと引きつらせている。まさにぐうの音も出ない、といったところか。
そんな彼女の隣に、後からやってきたリゼットが立った。
「王女様。私がお供いたします。さあ、暑くなる前に行きましょう」
シャルロットとともに階段を下り始めたところで、俺の方をちらりと見だけで何も言おうとはしない。
(さっきのは本当に偶然だったのか……?)
そんな疑問を抱きながらも、俺はロビーに置かれた大きなソファで4度寝を始めたのだった――。
◇◇
リゼットは初めて休日で、王宮の外にある美容室に足を運んだ。
店員に促されるまま、一番奥にある革製の大きな椅子に座る。
その背後にくりっとした目が特徴的な小柄で若い女が立った。
「今日はいかがしましょうか?」
「いつも通りにお願い」
女が鏡越しにリゼットと目を合わせる。
「初めての休日。初めての美容室。なのに『いつも通り』というのは不自然でしょ」
「ふふ。そうね」
「リゼットさん。私はあなたより
年齢の部分をやけに強調した彼女に対し、リゼットは表情ひとつ変えずに返した。
「だったらなおさら『いつも通り』でいいわ」
女はしばらく彼女と目を合わせていたが、急に冷たい目になって声をひそめた。
「……どんな情報が欲しいの? またマルネーヌ様のこと?」
女が聞き返したところで、リゼットは右手を軽くあげる。その手には一枚の紙。
「身分証の写しね。どれどれ……クロード・レッドフォックス。初めて聞いた名前だわ」
「シャルロット様の執事よ」
そう答えたリゼットはもう一枚の紙きれを渡した。そこにはクロードの似顔絵が描かれていた。
「へえ、なかなかのイケメンじゃん。だから調べて欲しいわけね」
小さく首を横に振ったリゼットは、今までクロードが起こした数々の奇跡を事細かに語った。
「ウソ……。なぜそんな男を3か月も放置していたの?」
「放置なんかしてないわ。これでも私なりに調べていたつもり。でも酒で酔わせても、口を割ろうとしないのよ」
「もしこのことが王妃様に知られたら……」
そうメリッサが言いかけた時、リゼットは人差し指を自分の口元に当てた。
『黙りなさい』というサインだ。
「この男が何者なのか調べてほしいの」
「場合によっては……。
メリッサがごくりと唾を飲む。
しかしリゼットは彼女の問いには答えなかった。
「さあ、彼の話はおしまい。髪を切ってちょうだい! うんと可愛くしてね!」
目を細めて柔らかな笑みを浮かべながら、椅子の背もたれに寄り掛かったのだった。
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