第11話 任務:モンブランを連れてきなさい!

◇◇


 リゼット・ファブル。

 俺より5歳年上の28歳。

 艶やかな赤毛、美しい顔立ち、抜群のスタイル。さらに人望もあつく、仕事も完璧にこなす。

 傍若無人なシャルロットの侍女にしておくには、もったいない。

 もし彼女が暗殺者だったら……いや、それだけは考えないでおこう。



「もうすぐシャルロット様がお目覚めになるわ。洗顔の支度は整っているかしら」

「はい、リゼットさん。こちらがお水です!」

「冷たすぎるわ。シャルロット様は人肌がお好みよ。もう少し温めておいて」

「はいっ!」

「リゼットさん。シャルロット様のドレスを用意しました!」

「その色は変えた方がいいわ。昨日が淡い黄色だったから、水色系にして。きつい色はダメよ。女の子っぽさが際立つ柔らかな色味にするの」


 夜明け前からリゼットをはじめとする侍女たちは、シャルロットの準備に余念がない。

 その間、俺はどうしているかって?

 そんなもん決まってるだろ。


「あと10分はいけるな」


 至福の二度寝にどねタイムだ――。


 しかし悲しいかな。

 幸せな時間は長く続かないのが世の常だ。

 この日も同じで、遠慮なく部屋に入ってきたメアリーに無理やり起こされた。


「早く着替えて!」

「ん……ああ」と生返事が口から漏れる。だが手がまったく動かない。


 寝起きに弱い――これが俺の最大の弱点。

 頭がぼーっとして、体が言うことを聞かないのだから仕方ない。

 服を着始めるのに30秒は必要だ。

 そのことをよく知っているメアリーは、俺の前に昨晩のうちにアイロンをかけた白いシャツ、黒のズボン、ジャケット、ベスト、それからネクタイを並べてくれた後、

「早くしてよ!」とだけ言い残して、部屋を出て行く。

 

 その頃になると、ようやく手足の感覚が戻ってくるのだ。

 ささっと着替えてドアを開けると、待ち構えていたメアリーがぐいっと顔を近づけてきた。


「もうっ。しゃきっとして!」


 曲がったネクタイを彼女に直される。毎度のことだが、俺たちの様子を侍女たちがニヤニヤしながら見ている。

 なにがそんなにおかしいのだろうか……。

 そうこうしているうちに、全ての準備が整ったようだ。


「さあ、行くわよ!」


 リゼットの鋭い掛け声とともに移動を開始した。

 俺は一番後ろをあくびしながらついていく。

 広いロビーに入り、階段を3階まで上がり、右へ曲がる。

 真っ直ぐのびた長い廊下を、静かに歩く。

 突き当たったところで見えてきたのは、ひときわ豪勢な扉。


 ――コンコン。


 扉をノックするのはリゼットの役目だ。


「シャルロット様。おはようございます」

「起きてるから入っていいわよ」

「はいっ。失礼します!」


 ここから先は女子だけの出番。

 男の俺は部屋の外で待ちぼうけ。

 もっとも暗殺者だった頃は、『立って寝る』のは当たり前だったからな。

 ここで3度寝をするのが日課なのだ。


「ぐー……。ぐー……」


 気持ちよく寝息を立てていると、突然ドアが開いた。

 シャルロットの登場である。

 俺は薄目うすめを開けて挨拶をした。

 

「おはよう」

「あんた。いたの?」


 毎朝いることを知っているくせに。素直じゃないな。


「朝から目障めざわりよ。消えなさい」

「分かった」


 命令通りに消えてみせた。

 ……が、本当に消えたわけではない。

 シャルロットと侍女たち全員の死角に入っただけだ。


「うそ!? どこにいっちゃったの?」

「さすがクロードさん。まるで幽霊みたい」


 侍女たちがにわかにざわつきはじめる中、シャルロットは腕を組んで、ふいっと顔をそむけた。


「ふん! このままずっといなくなってくれればいいのに」


 俺だって姿をくらませたまま、ここにとどまれるならそうしたい。

 だがそういうわけにはいかないのは、よく分かっている。

 そのきっかけを作るのは決まってリゼットの一言なんだ。


「王女様。今朝はとても良い天気です。お散歩にはもってこいの日和でございます」


 シャルロットがニタリと口角を上げる。


「そうだ! モンブランと散歩がしたいわ。今すぐここへ連れてきなさい」


 モンブランとは白いモフモフの小型犬のこと。

 マルネーヌと一緒にいる時以外では、世話どころか、散歩すら一度もしたことがない。当然、誰かが連れてくるはずもない。


「シャルロット様。お散歩は朝食の後にしてはいかがでしょう?」

「私は今散歩がしたいの! ロビーにつくまでに用意しなさい!」


 シャルロットはモンブランを館の一室に住まわせている。

 1階の一番奥の部屋だったはず。その部屋の鍵はシャルロットしか持ってない。

 だから「今すぐモンブランをここに呼べ」というのは無茶がすぎる。


「できなきゃクビよ!」

 

 言うまでもないが、『クビ』という言葉はリゼットや他の侍女たちに向けられたものではない。

 ここにいない執事……つまり俺、クロードに対するものだ。


「シャルロット様……。いくらなんでも……」


 そうメアリーが口を開きかけたところで、俺は姿を消したまま声をあげた。


「分かった」


 侍女たちが驚いた表情でキョロキョロと辺りを見回す。だが残念ながら声からでは居場所がつかめないようにカモフラージュしてある。つまりどんなに周囲を探しても、絶対に見つけることはできない。


 ……はずだった。


 しかし、たった一人だけ、明らかに俺の方を向いた人物がいたのである。

 それは赤毛の美女――。


(リゼット……)


 俺が呆然とする中、彼女は素早く俺から視線を離した。


「王女様。では玄関の方へまいりましょう」


 何もなかったかのような澄まし顔で、シャルロットを誘導しはじめる。


(単なる偶然だったのか?)


 だが今はリゼットのことより、シャルロットのわがままにどうやって応えるかだよな。

 今からモンブランの部屋へいき、鍵を開けてから連れ出してくるとなると明らかに時間切れだ。


 長い廊下を疾風のように駆け抜け、階段までやってきた。

 これを下りればもうロビーだが、これといった案が浮かばない。


(ん……? 待てよ。犬、か……)


 暗殺者だった頃の記憶がよみがえると同時に、確信めいたアイデアが浮かんできたのだった。


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