第10話 純情王女、俺様系わがまま執事に壁ドンで迫られる

◇◇


 ――行方不明に見せかけて殺せ。


 兄のフェリックスから、そんな命令がくだされたことがある。

 相手は体重150kgの巨漢。しかも屋敷に引きこもりっぱなしの貴族の中年。

 違法な薬物を売買している組織の元締めで、金さえ持っていれば子どもにすら売りさばいていた極悪人。殺されて当然のヤツだった。

 部屋に忍び込んで息の根を止めるのは容易かった。だが彼をかついで誰にも見られずに外に運び出さねばならなかった。


(あの時はマジできつかったな)


 しかしそれでも俺はやり遂げることができた。だから今回も大丈夫なはずだ。


「クロード。この30冊をどうやって運ぶつもりかね? ちょっとバランスを崩しただけで、たちまちバラバラになってしまうぞ」


 図書室の主であるドギーが眉をひそめる。

 俺は「大丈夫」と短く答えた後、魔法を唱えた。

 

見えざる鉄線インビジブル・ワイヤー


 術者以外には見えない魔法の糸。かつてはターゲットの首を締め付けたものだが、今は両手に本を15冊ずつくくりつけるのに使った。


「ふんっ!」


 気合いを入れて持ち上げる。


「おおっ! すごいのう!」


 驚きをあらわにするドギーに、「ドアを閉めておいてくれ」とお願いして、図書室を出た。

 するとロビーでシャルロット、リゼット、メアリーの3人にばったりと出くわした。


「んなっ!? あ、あんた正気なの!?」


 青い顔をしたシャルロットが甲高い声をあげる。

 俺は足を止めずに早口で答えた。


「正気だ」


 ギリっと歯ぎしりしたシャルロット。


「くっ! こうなったら……!」


 ドレスのすそを持ち上げ、階段を駆け足でのぼり出した。


(まったく……。わがままなうえに、負けず嫌いときたか)


 だが俺も負けるのは嫌いだ。

 しかも負ければ即クビ。

 俺の安眠ライフが終わってしまう。

 だからほんの少しだけ加速させてもらう。

 軸足である右足の筋肉を収縮させた後、軽く地面を蹴る。

 とたんに体に重力がかかり、手の上に積んだ本が大きく揺れた。


 ――ギュンッ!


 シャルロットの横をあっさりとすり抜けていく。


「ま、待ちなさい!」


 そう言われて立ち止まる暗殺者は誰一人としていない。


「部屋で待ってる」

「どうせ両手がふさがってちゃ、ドアを開けられないでしょ!」


 当然、そんなことは分かっているさ。

 ここで半分だけ本を置いて、ドアを開けてからもう一度本を持ち上げる余裕はない。


「ははは! 私の勝ちよ! あきらめなさい!!」


 シャルロットが勝ち誇ったように高笑いしている。

 まあ、普通に考えればそうだよな。

 だが残念だったな。

 俺は『普通』じゃないんだ――。


「勝つのは俺だ」


 ドアの目の前までやってきたところで、右の人差し指から『インビジブル・ワイヤー』を出す。


 ――シュルッ。


 上手うまくドアノブにからまってくれた。


「よし」


 指の関節を曲げる。


 ――ガチャ……。


 なんなくドアを開くことに成功した。


「んなっ!?」


 甲高い声をあげたシャルロットの顔は、驚きと悔しさの両方がにじんでいる。


「じゃあな」


 部屋に入った俺は、30冊の本を巨大なテーブルに並べ、メモするのに必要なペンと紙を置き、シャルロットを迎え入れたのだった。


「あんた……。本当に何者なのよ……」

「執事だ」

「そ、そんなの分かってるわよ!!」


 彼女は警戒しているのだろうか。壁を背にして俺を睨みつけている。

 変な勘繰かんぐりはごめんだ。早速さっそく本題に移ろう。


「残念だが、それ以上でも以下でもない。さあ、約束通り、願いを聞いてくれ」

「な、なによ!」


 ここで断られたら、二度とチャンスはないかもしれない。

 シャルロットの目を見つめ、心の中で『精神の鎖マインド・チェーン』を唱えた。

 俺の眼光に気圧けおされたのか、彼女の顔が少しだけ引きつっている。

 これだけしっかり目を合わせればじゅうぶん。俺は願い事を告げた。


「休日が欲しい」

「休日?」

「ああ、1日中ゴロゴロしようかと思ってな。あ、俺だけではなく、侍女たちにも」


 さあ、言い切ったぞ。

 次はシャルロットの口から「いいわよ」と言わせるだけ。

 俺はさらに目に力を入れ、見えない鎖で彼女の心をあやつるイメージをふくらませた。

 しかし、彼女の口から飛び出したのは、意外な一言だった――。


「そんなのダメに決まってるでしょ」


(そんなバカな……。効かないなんてあり得ない!)


 混乱のあまりに言葉が出てこない。


「あんたねぇ。いったい誰のおかげでご飯が食べられてると思うの? この際だから言っておくけど――」


 シャルロットがせきを切ったように文句を言い始めたが、それどころじゃない。


(なぜだ?)


 考えたくはないが、俺自身の魔力が低くなっているからなのか?

 となれば、もっと近づかないと魔法にかからないのか?

 

「そもそも1日中ゴロゴロしていたいって何? これだから近頃の執事はダメなのよ。私だってね。こんなこと言いたくないけど――」


 饒舌じょうぜつに俺の文句を語り続けるシャルロット。

 俺は一歩また一歩と彼女へ近づいていく。

 しかしどんなに距離が縮まろうとも彼女は魔法にかからない。


(いったいどうなっているんだ!)


 あせりが胸を巣食すくう。

 そうしてついに彼女のすぐそばまでやってきた。


「私にギャフンと言わされて、言葉も出ないようね。ふふ。いい気味だわ! だったらもう一度言ってあげる! 休日がほしいですって? そんなもの――」

「なんでだよ!!」


 ――ドンッ!!


(いかん! つい感情が先走って、手で壁をついてしまった)


 ……と次の瞬間。顔を真っ赤にして目をつむったシャルロットが、小さく震えながらか細い声をあげた。


「す、す、好きにしていいわよ!」


 一瞬、何が起こったのか分からず、何度かまばたきをする。

 

(もしかして魔法が効いたのか……?)


 訳が分からないが、とにかく「好きにしていい」という許可はもらえたのは確かだ。


「では、そうさせてもらう」


 クルリと彼女に背を向け、歩き始めた。


「い、意味が違う! クロードのバカ!!」


 というシャルロットの負け惜しみとも言える金切り声を聞きながら――。


◇◇


 シャルロットはわがままで自分勝手な性格だが、一度口にしたことは絶対に曲げない。


「言ったでしょ。私、口だけの人間は嫌いなの。だからあんたたちに休日をあげる。ふんっ、これでいいわね」


 こうして俺たちは休日をゲットし、侍女たちは全員とどまることになったのである。


 その日の深夜。

 仕事が終わった後、誰もいないキッチンに俺を呼び出したのはリゼットだった。

 ちなみに俺は彼女と余計なおしゃべりをしたことは一度もない。

 というよりリゼットが他の侍女たちと仲良く会話しているシーンすら出くわしたことがない。

 そんな彼女から、「今夜、ちょっと時間をくれる?」と誘われたのは意外だったな。

 

「お待たせ」

 

 後からやってきた彼女は、普段後ろに束ねている長い髪をほどいている。

 いつにも増して一段と色っぽい雰囲気だ。


「メアリーから全部聞いたわ。あなたのおかげよ。ありがとう」

「いや、感謝される筋合いはない。俺は自分の休みが欲しかっただけだ」

「でも結果的にみんな残った。どんな仕事も結果がすべてよ。だから感謝されて当然だわ」

「そうか」


 話はそこで途切れ、二人の間に沈黙が漂う。

 リゼットは慣れた手つきでグラスに赤ワインをそそいだ。


「お酒大丈夫?」


 リゼットが小首を傾げながら、グラスを手渡してきた。


「ああ」


 酒なんて何年ぶりだろうか……。

 くいっと喉に流し込む。

 芳醇な香りが鼻をつき、体がほんのり温かくなってきた。


「うまいな」

「ふふ。当然よ。滅多に手に入らない年代物ねんだいものなんだから」

「そんな高級なものを飲んでしまっていいのか?」

「大丈夫。でもシャルロット様には内緒よ」


 リゼットが人差し指を俺の口元に当てて、ニコリとする。俺は黙ってうなずいた。


「今夜は二人っきりで祝杯をあげましょ」


 何かを祝う、という経験は生まれて初めてだ。

 なぜなら今までの仕事は成功したって、祝う気分なんて到底なれなかったからな。


 美味しいワインとリゼットの笑顔――。


(こういうのも悪くないな)


 ふわっと浮いてしまうような心地よさに包まれながら、夜は更けていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る