第9話 任務:スイカのように重い百科事典を30冊持ってきなさい!

◇◇


 クロードがすやすやと眠りについた頃、シャルロットはマルネーヌの部屋でイチゴのクッキーとアイスレモンティーに舌鼓をうっていた。

 おしゃべりがひと段落したところで、彼女は軽い調子で愚痴を口にしはじめた。


「でね、うちの執事ときたら、ほんと最悪なのよ!」

「どうしてですか?」


 マルネーヌはおっとりした性格をそのまま映したような声色で問いかける。

 シャルロットは大雨の後の水車のように舌を回した。


「この前なんてね。私の部屋にピッタリな花を飾りなさい、って命令したら、ジャスミンの花束を持ってきたの。普通そこはピンク色のバラとかでしょ? なんでこの花を選んだのか、って聞いたらなんて答えたと思う? 『ジャスミンの香りには安眠の効果があるからな』って! まったくロマンの欠けらもないんだから!」

「ふふ。面白い執事さんですね」

「面白くなんかないわ! あいつは寝ることしか考えていないの!」

「会ってみたいですわ。その執事さんに」


 ニコニコしているマルネーヌに対し、シャルロットは猫のような目を大きくした。


「どうして?」

「王女様がそんなに興味を示されている御方に、私も会ってみたいのです」

「興味? 私が?」

「だってここ最近、ずっとその執事さんのことばっかりお話しになられてるでしょ。よほどお気に入りなのかな、って」


 シャルロットの顔がリンゴのように真っ赤になる。


「ば、ば、ば、バカ言わないでよ! あんなヤツ、一度でもヘマしたら即クビにするんだから!」

「でも一度もミスを犯さない。敬語は使えないけど期待した以上に仕事をこなす。

しかもまだお若い」

「だ、だ、だからなんだって言うの?」

「ふふ。王女様の興味を引くのも分かりますわ。私のお兄様といい勝負かもしれませんわ」

「あ、あ、あんなヤツのことなんて、これっぽっちも興味なんてないんだから!」


 二重ふたえのたれ目でじっとシャルロットを見つめていたマルネーヌは、ちらりと脇に置かれた本に視線を配った。


「だったらあの本のように、その執事さんに壁ドンで迫られたら――王女様はいかがなさるおつもりですか?」

「えっ?」


 シャルロットの動きが固まる……。

 だがそれもつかの間、彼女はクッキーをバクバクと口に放り込み、紅茶をぐびっと飲み干した。


「うんんっ!」


 喉を鳴らし、2度深呼吸をする。

 そして驚いた顔のマルネーヌに、低い声で告げた。


「そんなの決まってるでしょ。クビよ」


 ゾクリと背筋を凍らせたマルネーヌが言葉を失う。そんな彼女をしり目にシャルロットはケロっとした顔で白いモフモフの小型犬を抱きかかえた。


「さあ、この子のお散歩へ行きましょ」


 軽い足取りで犬の散歩をはじめたシャルロット。だが心の中はメラメラと燃えたぎっていたのだった。


(私は惑わされないわよ! あいつを絶対にクビにしてやるんだから!)


◇◇


 日が傾きかけた頃。

 シャルロットを乗せた馬車が、屋敷に帰ってきた。

 それを出迎えたのは俺とメアリーの二人。あとの侍女たちは夕食の支度に追われている。


「ねえ、休日をもらうための作戦は思いついたの?」


 小声でたずねてきたメアリーに対して、馬車に目を向けたまま答えた。


「いや。考えようと思っていたら、寝てしまった」

「はぁ? じゃあ、どうするのよ?」

「まあ、どうにかなるだろ」

「どうにかって……。本気で言ってるの?」


 メアリーが呆れるのも無理はない。

 あのシャルロットに対して、考えなしに直訴しても受け入れられるはずがないからな。

 いくら歴の浅い執事だって、それくらい知っているはずでしょ――そう彼女は口を尖らせたいのだろう。

 しかし今さらジタバタしても仕方いしな。

 それに一つだけ奥の手は残されている。


精神の鎖マインド・チェーン


 一定時間、相手を意のままにあやつる禁じられた魔法。

 ターゲットの警備が厳しい際、近習きんじゅうにこの魔法をかけて代わりに殺させる、というのは超一流の暗殺者にだけ許された特別な技だ。

 シャルロットにこの魔法をかければ、『侍女と執事に休日を与える』と言わせることができるだろう。

 我ながら卑劣だな、とは思う。

 しかし目的のためなら手段はいとわないのは、暗殺者の時からの信念みたいなものだ。

 ただし一つだけ厄介なことがある。

 この魔法をかけるには相手の目と自分の目を近距離で合わせる必要があるのだ。


(絶対になんとかしてみせる。俺が1日中、ゴロゴロするためにも!)


 そう強く決心したところで、馬車が目の前で止まった。


「「おかえりなさいませ」」


 俺とメアリーが声を合わせた直後、シャルロットの鋭い声が頭上から突き刺さった。


「調べものがあるの。だから王国百科事典、全30巻を私の部屋に持ってきなさい。クロード。いいわね?」


 俺に代わってメアリーがかすれた声でつぶやく。


「1冊だけでもスイカのように重いのに……」


 だがシャルロットは表情一つ変えずに続けた。


「できない、とは言わせないわよ。私が部屋に着くまでに揃えておきなさい」


 どうやら虫の居所が悪いようだな。

 いつにも増して酷い無茶ぶりだ。

 俺はメアリーに目をやった。彼女が左手をパッと開く。


 ――5分は持たせるわ。


 という合図だ。

 2000ページの本の重量はおよそ4kg。それが30冊だから総重量120kg。

 図書室からシャルロットの部屋までは早足で3分。つまり何度も往復している暇はない。

 総計120kgの本をたったの1回で、図書室からシャルロットの部屋に運ばなくちゃならない、ということだな。


(面白い……。久々にスリリングな挑戦ができそうだ)


 思わず口角が上がってしまったのを、シャルロットは見逃さなかった。


「なにがそんなにおかしいのよ」

「いえ、別に」

「言いたいことがあるなら、ちゃんと言いなさいよね! 私、うじうじした男って大っ嫌いなの! そうよ! 私はあんたのことが嫌い! 嫌い、嫌い! 大っ嫌いなんだから!!」


(うむ。なぜそこまで嫌われなくてはいけないのか……)


 まったく心当たりはないが、これは休日をもらうのに、ちょうどいいチャンスかもしれない。


「では言うが、命令を遂行できたあかつきには、願いを一つ聞いてもらいたい」

「願い? ふんっ。いいわ。その代わり、できなかったら……」

「クビだろ」

「よく分かってるじゃない」


 シャルロットは「どうせできっこないわ」と言わんばかりに余裕の笑みを浮かべる。俺はぺこりと頭を下げた直後から、疾風となって屋敷の方へ駆けていったのだった。


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