第8話 食べて、食べて、食べまくりたいわ!

◇◇


 夏真っ盛りのある日。

 ここはシャルロット邸の中庭。

 灼熱の太陽のもと、俺と侍女たちが並ぶ中、淡い黄色のドレスをまとったシャルロットが腕を組みながら声を張り上げた。


「これから私の忠実な臣下・・であるマルネーヌのところへ行ってくるわ」


 彼女はここ最近、3日にいっぺん、友達・・のマルネーヌをたずねている。


「臣下をねぎらうのも王女としての務めよね? クロード、答えなさい」


 ただ単に『友達のところへ遊びにいく』だけだから、王女としての務めでもなんでもない。

 ……と答えるはずもなく、俺は思ってもないような言葉を並べた。


「まあ、そうだな。いいと思うぞ。王女らしくて」


 シャルロットは「見え透いたお世辞なんていらないわ」と不機嫌そうに顔をそむけた。だが鼻の穴をひくひく動かしている。

 あれは『褒められて、ちょー嬉しい!』って証だ。

 こうして相手の心を巧みに動かすのは、暗殺者としての基本中の基本。

 このままシャルロットをとことん持ち上げれば、留守中に無茶ぶりされることがなくなるというものだ。


「それにマルネーヌは私と会いたがっているみたいだし」


 自分が会いたい、の言い間違いである。


「ああ、シャルロットが気にかけてくれるなんて、マルネーヌは幸せだ」


 シャルロットの顔がついに緩み始めた。


「ふふ。シャルロット様は下の者たちに施しを与える天使――クロードはそう言いたいのね」


(下の者たちに恐怖を与える悪魔め)


 心の中でつぶやきながら、小さく頭を下げる。


「むふふふふ♪ クロードは素直じゃないんだから。でもいいわ。今日は許してあげる」


 すっかり上機嫌になったシャルロットが、意味もなくクルリと一回転したところで、俺はすかさず『アッサム王国史第16巻』を彼女に手渡した。

 中身は確か……『純情王女、俺様系わがまま執事に壁ドンで迫られる~「好きにしていいわ!」からはじまる危険な恋~』だったな。

 この国は変なタイトルの本が流行っているらしい。俺にはよく分からないが、リゼットが自信を持って選んでくれたから問題ないだろう。

 それを示すように、パラパラとページをめくったシャルロットの顔がニタっととろける。


「じゃあ、いってくるわね!」


 シャルロットが弾むような声をあげ、俺たちは一斉に頭を下げる。

 

(よし、成功だ! なんの無茶ぶりもなかった!)


 もう間もなくフカフカのベッドが俺を待っている。

 ワクワクが止まらない。

 しかし……。


「おうっ!」


(しまった! 声がほんの少しだけ上ずってしまったじゃないか!)


 自分にはとことん甘いくせに他人には氷のように冷たいシャルロットが、俺の浮かれた様子を見逃すわけがなかった。

 彼女は馬車に片足を踏みいれたところでピタリと動きを止め、俺を睨みつけた。


「一応聞くけど、留守の間に何をしなくちゃいけないか、分かってるわよね?」

「ああ、当たり前だ」

「じゃあ、言ってみなさい。一つでも欠けていたらクビよ」

「庭の草むしり、窓の拭き掃除、本棚と机の上の整理、着換えと飲み物の準備――」


(それからベッドを拝借して爆睡)


 という部分はカットした。


「よく分かってるじゃない。休んでる暇なんてないんだからね」

「分かってるから早く行って来い。マルネーヌが待ってるぞ」


 なお、さっき自分で言った仕事は、シャルロットが身支度を整えている隙にすべて終えてある。つまり俺に残されているのは、気持ちよく爆睡することだけだ。


「言われなくても行くわよ。それよりも一度言ったことはちゃんとやるのよ! 私、口だけの人間は嫌いなんだから」


 シャルロットは「ふん」と鼻を鳴らした後、再び上機嫌になって、鼻歌まじりに馬車に乗り込んだ。


「「いってらっしゃいませ」」


 馬車が見えなくなったとたんに、はしゃぎ出した侍女たちから3歩遅れて屋敷へと歩き始めた。

 たとえ侍女であっても、おいそれと背中を見せるのは抵抗があるからな。

 ……と、その時。とある異変に気づいた。


「ん?」


 メアリーが他の者たちから遅れはじめたのだ。

 彼女は俺より3つ年下の20歳。リゼットに次いで2番目に歴が長く、ちょっとのことでは動じない性格の持ち主だ。


(どうしたんだろう?)


 そう不思議に思っていると、彼女は何もないところでつまづいた。


「きゃっ!」


 短い悲鳴をあげる。

 このままでは前のめりに転んで、顔を打ってしまう……。


「させない」


 俺は腰を低くして爆発的に加速した。

 そして、


 ――ガシッ!


 地面すれすれで、なんとか彼女を抱きかかえることができたのだった。


「大丈夫か?」


 メアリーの体をぐいっと引き寄せる。

 顔と顔がくっついてしまいそうなくらい近い。

 ふわりと甘い香りが鼻をつき、マシュマロのように柔らかい感触が全身をくすぐる。

 彼女が顔を真っ赤にして俺から離れた。


「あ、ありがとう。相変わらず凄い反射神経ね」

「俺のことはどうでもいい。それよりいったいどうしたんだ?」

「ちょっと考え事してたら、足がもつれちゃったの」


 どんな時でも明るくて前向きなのに、今日は声の調子がいつもより重い。

 俺は彼女の前に回り込み、肩をつかんで目を合わせた。

 可愛らしい丸顔に、わずかな緊張が混じる。


「顔をよく見せろ」

「ど、どうして?」

「いいから」


 俺はメアリーを見つめる目に力を入れた。

 彼女は唇を噛みしめながら、困ったように視線を泳がせている。

 すると目の下に小さなくまがあるのが分かった。


「やっぱりな」

「な、なにが?」

「疲れてる。それに悩みがあるだろ」

「えっ?」

「全部話せ。仕事で失敗されたらこっちにとばっちりがくるからな」

「はぁ……。分かったわ」


 ため息をついた彼女は、ぼそりぼそりと話し始めた。


「王妃ローズ様……つまりシャルロット様のお母さまは、ここを辞めていった人たちみんなに『配置換え』をお命じくださるの」

「なるほど。次の仕事探しに困らないようにってことだな」

「そうよ」

「シャルロットから受けた酷い仕打ちを外に漏らさせないための『取引』だな」

「まあ、そんなところね。私ならよりもが欲しいけどなぁ」


 どんな時でも好きなことには執着するその精神。

 俺と共通しているものがあるな。


「分かった。じゃあ、その配置換えとメアリーの悩みに何の関係があるんだ?」

「それはね……。みんな『配置換え』をしたがってるのよ。みんな辞めちゃったらどうしよう、って考えたら心配で心配で、今日の朝食なんてパン5つしか食べられなかったんだから」


 いやいや5つも食べればじゅうぶんだろ、ってつっこむべきなんだろうか。

 いや、本題はそこじゃないよな。


「どうしてみんな『配置換え』を望んでいるんだ?」

「実はね。ここを辞めた侍女から手紙がきたのよ。『今は5日に1日も休日をもらえるから、とても生活が充実してるわ! 彼氏もできて、すごく幸せ!』って。それでみんな羨ましがっちゃって……。休みが欲しいって言いだしたの」

「シャルロットはそのことを知っているのか?」

「ええ。リゼットさんから話してもらったわ」

「んで、どんな反応なんだ?」

「そんなわがまま許すわけないでしょ! 黙って働きなさい!」


 メアリーがシャルロットを真似る。

 意外なほどにそっくりで、思わず笑みが漏れてしまった。

 俺を見たメアリーはため息まじりに首を横に振った。


「笑いごとじゃないわ。みんなすごく怒っちゃってね。みんなで王妃様へ配置換えを王妃様に直訴するって」

「いつ?」

「明日」

「明日か……。急だな」

「仕方ないわよ。だってクロードも休日が欲しいでしょ? 全然、休んでないし」


 そう言われてみれば、一度も休日をもらった覚えがない。しかし、まったく気にしてなかった。

 そもそも俺の人生には休日という概念すらなかったからな。

 殺るか殺られるか――1日23時間、いつだって暗殺業に従事していた。

 その癖は未だに抜けていないし、もはや当たり前になってる。

 だから「休日が欲しい」という考え方がいまいちピンとこない。


「ちなみに聞くが、休日をもらったら何をしたらいいんだ?」

「は? それは人それぞれでしょ。外へ出て羽を伸ばすもよし。部屋でゴロゴロするのもよし」

「部屋でゴロゴロ……」


 ということは24時間も爆睡できるということか! なんという贅沢……! ちょっと前までなら約1ヶ月分の睡眠時間に匹敵するじゃないか!

 自然と顔がにやける。


「私はお肉の美味しいレストランでランチして、カフェでパフェを食べて、夜はブッフェで……。むふふ。食べて、食べて、食べまくりたいわ! ああ、私もお休みが欲しくなってきちゃったなぁ――」


 うっとりしながらつぶやいたメアリー。今の彼女の頭の中は、休日というよりは食べ物のことでいっぱいに違いない。俺は彼女の言葉に耳を貸さず、その手をがっしりと握った。


「よし、決めた! なんとしても休日を手に入れるぞ!!」


 目をぱちくりさせて、頬を赤らめる彼女をそのままにして、俺は再び屋敷の方へ歩き出した。


(どうやってシャルロットから休日をもぎ取ったらいいのか……。それが問題だ)


 しかし今は何も思い浮かばない。

 だからシャルロットのベッドで横になって、じっくりと考えることにした。


「ふわぁぁ。今日も最高だな」


 柔らかな布団。どこまでも沈んでいってしまいそうな錯覚に陥る。

 俺は幸せな気分に包まれながら、意識を遠くへ飛ばしたのだった。


 


 


 

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