第7話 上級国民に勝利した気分

◇◇


 あと3分――。

 迫りくるタイムリミット。

 しかしこれまで何度もギリギリのところで、命のやり取りをしてきた経験が生きていた。まだ心に余裕がある。


「さてと、あとは……」


 赤いじゅうたんが敷き詰められた長い廊下を、両手いっぱいに荷物を持ちながら進む。


「おっ、ここか!」


 ひときわ古い木製の扉を、肘で器用に開ける。

 入ったのは、ずらりと書棚が並ぶ図書室だ。


「おや、クロード。今日は何の用かね?」


 にこやかに話しかけてきた丸眼鏡の爺さんの名はドギー。図書室の司書になって40年という超ベテランだ。

 俺は早口に、それでも穏やかな口調で答えた。


「シャルロットが馬車で読む本を取りにきたんだ」

「そうじゃったか。して、どんな本をご所望かな?」

「そこのテーブルに置いてある本だ。こんなこともあろうかと、昨晩のうちに用意しておいたんだ。ああ、それだ。俺の右の脇の下に挟んでくれ」

「ふむ。『アッサム王国史』なんて持っていっても王女様はお喜びにはならないのではないかのう……。むむっ? これは……。ほほっ。相変わらず準備が良いのう。ほれ」

「ありがとう。では、また」

「うむ。気をつけるんじゃぞ。なにせ王女様は短気じゃからのう。これまで言いつけを守れなかった執事が何人クビに――」


 ドギーの話を最後まで聞かずに、図書室を出る。


(あと1分12秒!)


 この先はロビーだ。

 そこで待っていたメアリーと目を合わせた瞬間に、鋭い口調で問いかけた。


「例のものは!?」

「ばっちりよ!」


 メアリーが、青い髪を揺らしながら俺の元へ駆け寄ってくる。


「よし! そいつを左の脇の下に!」

「え、ええ。でもなぜこの子・・・が必要なの?」


 彼女が抱えているのは真っ白な毛並みでフワフワの小型犬。

 舌を出して、くりっとした目を輝かせている。

 俺はその犬を左脇に抱えた。


「悪い。それを答えている暇はなさそうだ」

「そうね。もう時間がないわ! あと10秒!」


 まだ玄関の扉までは距離がある。

 歩いてたんじゃ、とうてい間に合わない。


「仕方ないな」


 ちょっとだけ本気を出すか――。

 俺は足に力を入れて大理石の床を蹴った。


 ――ドンッ!!


 爆発したような音ともに一陣の風が巻き起こる。


「きゃっ!!」


 メアリーの大きなスカートがふわりと浮き、天井からぶら下がっているシャンデリアが揺れたが、それらに気を留めず扉の向こうへと消えていった。


「3、2、1――」


 シャルロットのカウントダウンする声が、嬉しそうに弾んでいる。

 どうしても俺をクビにしたいようだが、残念だったな。

 俺は「0」の直前に、彼女の前に滑り込んだ。


「待たせたな」


 薄いピンク色のドレスを着たシャルロットが、「ちっ」と舌打ちをして、俺を睨みつけた。


「どうした? 俺が現れたのが予想外だったって顔に書いてあるみたいだが」

「う、うるさいわね! 今から必要なものを言ってあげる。もし一つでも欠けていたら……。即刻クビよ」

「ああ、分かってる」

「じゃあ、まずは……馬車の中で読む本」

「これだ」

「どんな本よ?」


 表紙こそ『アッサム王国史第15巻』だが、中身はシャルロットの大好物・・・の、『追放された悪役令嬢は、イケメン第二皇子に溺愛される』に差し替えてある。


(……なんて口にしようものなら、この場で処刑されてもおかしくないからな)


 他に誰にも見えないように、彼女にだけイラスト付きのページを開いて見せた。


「うへっ」


 シャルロットの顔がとろける。だが、俺と目を合わせた瞬間に、ゴホンと咳ばらいをして顔をそらした。


「し、仕方ないわね。本当は堅苦しい本なんて読みたくないけど、王女たるもの、自分の国の歴史を知らない訳にはいかないものね。その本で許してあげるわ」


「そうか」とだけ返事をして、見送りにきた侍女に本を手渡した。その侍女が本を馬車へ運びにいき、次の侍女が俺の横に立ったところで、シャルロットの声が再び響いた。


「化粧ポーチ!」

「フリフリがついたゴージャスなもの」

「ハンカチ!」

「肌触り抜群のシルク製」

「日傘!」

「開いたら可愛らしいシルエット」

「手袋!」

「行き用と帰り用で分けておいた」

「香水!」

「エレガントな香りで、保湿効果とリラックス効果のある、バラの香水」

「お土産!」

「マルネーヌの好物であるイチゴジャムがサンドされたクッキー。ラッピングもしてあるからな」


 シャルロットが頬をひくひくさせながら、化け物を見るような目で俺を見つめている。


「あんた……。これ全部、一人で用意したの? わずか10分の間に」


 10分のうちに敵の城に侵入し、家臣と城主を皆殺しにせよ――。

 というミッションに比べれば、まったく大したことではない。

 それにこの3か月で、どこに何があるのか、つぶさに把握することができたからな。当然、シャルロットの好みも。


「……もういいわ。必要なものは全部そろってるから」


 どうやらクビをまぬがれたようだ。

 でも、これで終わりではない。


「まだ必要なものがあるだろ」

「はっ?」


 俺は彼女に水筒を差し出した。


「何よ? これ」

「イチゴのクッキーを見て喜んだマルネーヌは『よろしければ一緒にいただきません?』とおまえを誘うだろうよ。だから甘いお菓子にあう、爽やかなレモンティーを用意しておいた」

「ちょっと待ちなさいよ! 彼女のところへ『様子見』するだけって言ったでしょ!

お土産を渡したらすぐに帰るつもりなんだから!」


 そんなことは分かってる。これまでだってそうだったからな。

 だが今回はそれで終わらせない。


「楽しいお茶の時間が終わったら、『一緒にお出かけしません?』と誘ってくるだろうよ。そうしたらこう答えるんだ。『あら、ちょうどよかった。この子と散歩しようと思っておりましたの』と」


 あぜんとする彼女の腕に白いモフモフの小型犬をおさめた。


「以上だ」

「こ、これじゃまるで、私がマルネーヌのところへ遊びにいくみたいじゃない!!」


 声が上ずっているし、頬はリンゴのように赤い。

 緊張、興奮、不安……。いろんな感情が胸の内で渦巻いている証だ。

 何度も『様子見』を繰り返していた理由。

 そんなもん一つしか思いつかなかった。

 だからこの時のために、俺は入念に準備をしてきた。

 そして今、彼女は初めての友達ができるかもしれないという期待と、仲良くなれなかったらどうしようという不安で胸がいっぱいなのだ。

 俺は彼女の耳元でささやいた。


「大丈夫。絶対に仲良くなれるから」

「んなっ!?」


 シャルロットは大きく目を見開き、口をパクパクさせる。

 しばらくして侍女たちが全ての荷物を馬車に乗せた。


「日が暮れる前には戻ってくるんだぞ」

「だからただ様子見するだけだって!」

「そんなに怖がらなくていいから」

「なんで私が怖がらなきゃなんないのよ! 全然怖くなんてないんだから!」

「余計なおしゃべりはここまでだ」

「ま、待って! も、もし話題に困ったらどうしたらいいのよ?」


 それまで強がっていた表情に不安の色が強くなり、大きな瞳は今にも泣きだしそうに潤んでいる。俺は念を押すように告げた。


「だから怖がらなくても大丈夫だって」

「なんでそう言い切れるのか、って聞いてるの!! 答えなさい! クロード!」


 キンキンと甲高い声をあげる彼女を強引に馬車に乗りこませる。

 俺はニコリと微笑み、リゼットから聞いたことを教えたのだった。


「マルネーヌはシャルロットと同じ趣味・・・・を持ってるからだよ」

「へっ?」


 シャルロットが目を丸くした隙をついて、バタンと扉を閉める。


「では」


 ドンドンと窓を叩く彼女をしり目に、御者に向かって目配せした。

 馬車がゴトゴト音を立てて動き出す。お供としてリゼットだけついていくことになっており、彼女を乗せた馬車も出立した。

 俺と侍女たちは、頭を下げて見送った。


 そうして馬車が完全に見えなくなったその瞬間……。


「やったぁ!!」


 侍女たちが一斉にわきたった。

 メアリーが俺の手を取って、飛び跳ねる。


「クロード! ありがとう! おかげでみんなとのんびりとランチができるわ!」


 別に彼女たちのランチタイムのために骨を折ったわけじゃない。

 だが誰かに感謝されるというのは悪くないな。

 館に戻った後、侍女たちがキッチンへ向かっていく一方で、俺が向かったのはシャルロットの寝室だった。


 言うまでもなく、やることは一つ。

 最高級のベッドで昼寝だ――。


(俺のおかげで、念願の友達を作ることができたのだから、褒美をいただいて当然だよな)


 主人のベッドを使う罪悪感や、少女の寝床をけがす背徳感など微塵もない。

 これまで俺をモノとしか扱ってこなかった『上級国民』に初めて勝利したような、無上の達成感がこみ上げてくる。


(よっ)


 息を止めて、ベッドにダイブした。

 ボフッと音を立てながら、体がゆっくりと沈んでいく。

 まるで水の中に浮かんでいるような気分だ。

 太陽の香りが鼻をくすぐる。

 全身が溶けるような心地よさ。

 思わずため息がもれた。


「ふわぁぁ。最高だ」


 俺の見立てでは2時間は帰ってこないはず。

 もしその前に帰ってきても、俺の耳は馬車の音を見落とさない。

 だから心置きなく寝息を立てたのだった。

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