第53話 『恥』の多い人生だから――

 涙ながらに吐き出される言葉に、『幻想の世界』が一斉に弾けた。

 黒泥の中から立ち上がるのは、いくつもの泥人形。

 一体二体と立ち上がっては、わたしを取り込まんと容赦なくその拳を振りかぶる。


 まるで八つ当たりのように振るわれる一撃は、でたらめに、力任せに、けれど寸分たがわずわたしに集中し、


「まだまだこんなもんじゃねぇだろしのぶ!! わたし相手になに遠慮してんだ!! もっと全力でぶつかってこい!!」


 剛腕を振るい黒泥の人形を青い粒子に還し、高らかに吠える。


 時に茨の群体が結晶体を起点に波打ち、それらをいなし、躱し、回し受け回避すれば、『富岡しのぶ』という個人が思いつく限りの道具が空中に現れた。


 それら全部が『富岡しのぶ』という個人が生み出した『感情』の塊で。


 魔力で肉体強化している身体でも追いつけない八つ当たりの刃が一斉に襲い来る。

 そうだ。それでいい――。


 際限なく現れる剥き出しの感情が一切の容赦なくわたしの身体を裂いて削って軋ませていく。


 それはどこまでも心地いい本音のぶつけ合いだった。

 だからつい、興が乗って喋らないでもいい極秘情報をぶちまけてしまったのはわたしの悪い癖だろう。


「なぁ知ってるか、テメェの親父。実は不倫してるんだぜ!!」


『そんなこと知ってる!! いつも女の人の香水付けて帰ってくるもん!! お母さんが入院してた時だって、一度も迎えに来なかった!!』


「馬鹿だよなァ。自分の浮気が子供にバレねぇとでも思ってんのかねぇ」


『ほんと馬鹿!! でも、パパを選んだおかあさんも馬鹿!! なんであんな男に捕まっちゃうの!! もっとまともな人いっぱいいた癖にッッ!!』


 世界の重圧がひときわ大きく、強くなり、拳で砕く処理が間に合わない。

 ずらっと空中に顕現するナイフの群れ。

 機関銃の嵐でさえかわいく見える殺意の塊は今までのどの攻撃より鋭い怒りが込められていた。


 時に、茨の鞭が背中を打ち、幻想のナイフが深々と肩に突き刺さる。

 容赦なく振るわれる巨人の拳はわたしをはるか遠くに吹き飛ばし、せっかく詰めた距離をゼロに戻す。

 それでも――


「まだまだぁッッ!!」


 血反吐を吐き、鮮血が飛び散ろうとも構わず前進し、不適な笑みは絶やさない。

 そしてどんなにわたしの身体がズタボロに、惨めに転がろうとも、宣言通り振るわれる八つ当たりが途切れることはなかった。


『このお屋敷だって全部お母さんの持ち物だったんだ。いまはパパが管理してるけど、ほんとはあんな人に一秒でも居座ってもらいたくなかったッッ!!』


「じゃあなんで、あのクソオヤジを追い出さなかったんだよ!! お前の力ならあのクソオヤジを追い出すなり、どっかの国に吹っ飛ばすなりできただろうが!!」


『できるわけないよ!! だって、あんな人でもあたしのパパだもんッッ!!』


 これまで我慢してきた不満が一斉に噴き出す。

 ギシギシと軋みだす異空間。

 それは耐えきれないとばかりにパンパンに膨れ上がり、いまにも破裂しそうだが関係ない。


 わたしの魔力で世界が滅ぼうが、しのぶの『幻想』で世界が壊れようがどうでもいい。


 ただこの一人ぼっちで膝を抱えた小娘が報われるのならそれでいい。


「寂しかった。苦しかった!! なんであたしだけがこんな目に合わなくちゃいけないの!! あたしはただ――普通に生活したかっただけなのに!! こんな『幻想』が生まれちゃったばっかりに、みんなこの能力にだけ夢中になってあたしを見てくれないんだよ!! パパだって、実の父親だって――あたしを特別なものとしかみてないッッ!! アンタに、この苦しみがわかる!?」


「んなもん、わかる訳、ねぇだろ、クソが!!」


 ギチリと軋みだす身体を無理やり動かし、絡みとる茨の波を強引に引きちぎる。

 

 寂しかった。結局それがしのぶの本音なのだろう。

 絶え間なく続く本音の一撃が芯に響く。

 魂の領域がお互い深く結びついているからだろうか。


 肉体的な痛みでなく、魂の奥底が掻き毟られるように醜い傷跡をつけていく。

 だがな――しのぶ。


「どんなに辛かろうと、世界なんぞの為にテメェが死ななきゃなんねぇ理由はどこにもねぇだろうがッッ!!」


『どう、して――』


 震える黒泥の海に動揺が走る。

 


 喉元から錆び臭いものが込み上げ、胸の奥深くから生温かい赤黒い雫が濁流のように零れだす。

 ああ――致命傷だよ。茨の震えを通してお前の感情がよくわかる。

 だけどな――


「いつまで目ェ瞑ったまま会話する気だお前!!」


 貫いた茨を逃がさないように万力の力で握り締めれば、強引にそっぽを向いた顔を向き直させるように力強い一歩を踏み出す。


 はっ――その様子じゃ、いまも五体満足で立っていられるのが不思議って声だな。


 確かに多量失血で頭は朦朧とするし、嫁入り前なのに身体は傷だらけのボロボロだ。

 両腕の感覚なんてほとんど残っちゃいない。

 膝はお粗末にも笑ってるし、片目は見えないわで決して無事とは言えない状態だろう。

 おまけに胸にこんな大穴が開いたんじゃもう傍目から見ても絶対に助からない。

 でもよぉ――


「テメェがテメェを殺そうとするような馬鹿を見捨てられるほど、わたしは人間出来てねぇんだよ!!」


 ああ、改めて思う。コイツは本当に昔のわたしそっくりだ。

 世界に愛されんばかりの能力だけを与えられ、怠惰で退屈な生活を押し付けられていた頃のわたしと……。


 周りからは自分を見てもらえず、けれども周りと積極的に関わる勇気もない。


 いまのコイツは、推しという尊さを知らず、きっかけがなければ世界を巻き込んで自殺してやろうと考えていたわたしそのものだ。


 そんな恥ずかしい黒歴史をまざまざと見せられてなァ――


「なにも感じねぇわけねぇんだよ!!」

『いやぁ、もうやめてッッ!!!?』


 堂々と、わたしは『わたし』の恥を宣言していけば、いやいやとばかりに突き立てられる茨の槍が容赦なくわたしの身体を貫いていく。


 まったく、恥ずかしくて見てらんないよな。わたしだって同じだよ。

 でもな、しのぶ。


「その程度の恥を晒したところでなんだってんだ!! 例え、わたしがここで死んだって、お前の手を取るのを躊躇う理由にはならねぇぞッ!!」


 どんなに辛かろうが、苦しかろうが、人には踏み外しちゃならねぇ道ってのはあるってことを『妹分』に見せつける。 


 心の檻の如く引きこもる結晶体に額を擦りつけ、意地でも食らいつくように吠えたてるさまはいっそ無様で醜いことだろう。

 だがなァしのぶ……


「言っとくがなぁ。わたしはこの三日間、飾らずテメェってものをお前に示してきたつもりだ。周りじゃ、極道の孫娘だったり、超痛いオタ女子だの、暴力女だの言われてきたが、お前にはわたしがどう映った!!」


『どうって――』


「自由だったはずだッッ!!」


 言葉を被せるようにして叫んで見せれば、『自傷行為やつあたり』がピタリと止んだ。

 なにせ――


「死にかけの人間が羨ましいと思うほど、みっともなく卑劣で、どうしようもなく自分勝手で、ズルくて、我がままで、オタクなわたしは自由に見えたはずだ!!」


『――ッッ!!!? なんで、あんたがそれを――』


 ふっ、今更隠すような間柄でもあるまい。

 

 『幻想』の茨を通して響くお前の本心は、まるっとお見通しだよ。


 だけどな、しのぶ。どんなに恵まれようと、どんなに醜かろうと目を逸らしちゃならねぇことはあるんだ。

 目ん玉かっぴらいて目の当たりにしなきゃなんねぇことがあるんだよ。


「これがわたしだ。これこそがわたしだ。生まれや環境なんて知ったこっちゃねぇ、要はテメェがどうなりたいかだろうが。それを母親の死なんてわかりやすい理由でぜんぶ投げ出して逃げてんじゃねぇよ!!」


 そう言って握った拳を打ち付けるように結晶体をぶっ叩けばノックすれば、下から突き上げるような一撃がわたしの身体を薙ぎ払った。

 だけど――


「響かねぇぞこらぁ!!」


 吹っ飛ばされても、茨の一撃に押し戻されようとも、泥の巨人が行く手を塞ごうと、全てを捻じ伏せ、なぎ倒し、感情のままに食らいつく。


 子どもは生まれも出自も選べない。

 そんなの当たり前だ。


 生まれた時から親を選べるようだったらわたしは今頃、自分のやりたいことをやりつくして昔のように退屈で怠惰な生活を送っていたに違いない。


「この世にはテメェ以上に幸不幸を煮詰めたような奴なんてごまんといるんだ。

 どうにもならない状況。どうにもできない環境のなかで無様に死んじまうような奴がな。だけどよ、しのぶ。その点、お前は恵まれてるよ」


 だってお前はもう――答えを見つけてるんだから。


『なに、をいって――』


 動揺。焦り。不安。――ちゃちな虚勢が透けて見えるね。だけど――


(くっ、もう目がかすんできやがった)


 搾りかすみたいな力の奔流を強引に汲み上げ、生命維持に回しているがそれにだって限界がある

 もうそろそろ、潮時の時間だ。


 だからこれが最後の最期だ。

 軋みだす肺一杯に空気を溜め込み、あらん限りの力を『言葉』に変え、これでもかというほどの『現実答え』を『臆病な小娘富岡しのぶ』に叩きつける。


「突然降って湧いた超能力なんてテメェを飾り付ける一部でしかねぇんだ!! いつまでそんな傷に甘えて時間を無駄にするつもりだ。お前はとっくの昔にその『幻想』とは向き合ってるはずだろうが!!」


「――ッッ!!!?」


 世界が大きく揺らぎ、ピシリと不吉な音をたてはじめた。


 寂しかった。

 だから、自分の味方をしてくれていた母親の影を探していた。

 それはわかる。

 でも、そんなものはないと彼女自身わかりきっていたはずだ。

 なにせ――


「この部屋になにもないのがいい証拠だ。偽物ばっかりの『幻想』。ここには最初から母親の面影なんて残っちゃいなかったんだよ」


 凛子はしのぶの『幻死症』を形作る『核』がこの空間にあると言っていたが、それは大外れだ。


 すでにしのぶ自身。この部屋に母親の面影などないことをはじめから理解していたのだ。

 


「いい加減、現実と向き合おうぜ、しのぶ。たしかにお前を待つ世界は、どうしようもなく卑怯で汚くて退屈な世界かもしれないけど……それでもお前みたいな面白い奴がひとりぼっちで死ぬ必要はまったくないんだからよ」


 そんでもって、もしお前がどうしようもなくその『幻想』から出られないってんなら――


「わたしが何とかしてやる」


 そして頼りない足取りで歩み寄り、しのぶを取り囲む最後の茨わだかまりを引きちぎる。

 するとしのぶを閉じ込めていた結晶体に徐々にひびが入り、甲高い破砕音がはじけ飛び、剥き出しの『富岡しのぶ』が現れる。


 彼女は己の全てをさらけ出したような裸の姿で現れ、その黄色みがかった茶色の瞳がゆっくりとわたしを捉える。そして――


「……ねぇ、なんでアンタはそこまであたしを助けてくれるの?」


「んなもん決まってんだろ。――金のためだよ」


「ふっ――、そこは嘘でもあたしの為って言ってくれるところでしょ、ばか」


 いつか聞いたことがあるような問い掛けに小さく頬を掻き、そっぽを向けて答えれば、あどけない悪態と共に小さな笑みを浮かべたしのぶの身体がゆっくりこちらに倒れてきた。


 そして、軽すぎる身体を正面から抱きとめ、仕方なしにその小さく、寂しがり屋で意地っぱしな頭をあらん限りの力でぐしゃぐしゃに髪をかき混ぜてやれば


「もっと優しく撫でなさいよ」


 と耳を真っ赤にした甘え下手な子供からか細い抗議の声が上がり、

 堪え切れずに噴き出したわたしの笑い声がボロボロと剥がれ落ちる『世界』の中心で高らかに鳴り響くのであった。

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