第52話 開幕!! 大乱闘スマッシュ・シスターズ
◇◇◇
『世界』が裂け、天幕のような空から陽の光に照らされた『富岡しのぶの世界』はどす黒いヘドロを混ぜ込んだ腐ったタマゴのようだった。
外側だけ立派で、中身はぐずぐずのドロドロ。
無数に積み上げられたガラクタの山はもはや見る影もない。
本人も今まで何を守っていたのか、もうほとんどわかっていないのだろう。
だが――
「こんな世界でも、アイツにとっては楽園だったんだろうな」
まだ成人もしていない一人の少女が自分の孤独と向き合って、世界なんてクソッタレな重責を抱えて死のうとしている。
自業自得と言えばそれまでだが、戦場も知らないただの女子高生がよくもまぁこの結末を選び取れたものだ。
それはどこまでも儚く、高潔な精神性ゆえの決断に他ならない。
かの世界の
一人の犠牲で、その他大勢が救われる。
なんと素晴らしく美しい結末なのかと。
でも、そんなありきたりで、クソつまらない筋書きなどわたしはごめんだ。
大団円には笑顔こそふさわしい。だからこそ――
「悪いが、最後まで推し通させてもらうよ」
あたり一面、どす黒い膿と泥の世界。
その暗がりの最奥を睨みつけるように視線を飛ばせば、亡霊の墓のように黒泥の結晶体に囚われている――しのぶの姿があった。
それはまるで『富岡しのぶ』という命の養分を吸い尽くして伸びる世界樹のように見え――わたしの本能が大音量で警告を発していた。
「うらぁッッ!!」
その根っこごと粉砕せんと飛びつくように黒泥が絡みついてできた『墓標』めがけて走り出せば、バキャンッッッ!! という硬質な音共に、結晶体の下からどす黒い結晶の刃が飛び出してきた。
この角度。このタイミング。肉体を最大限まで強化したわたしの身体なら十分迎撃は可能だが――
『もうやめてッッ!!』
キンと脳髄と魂が直接蹂躙される感覚に襲われ、この日初めて術式制御に乱れが生じた。
不意に肉体の補助が失われ、バランスが崩れる。
一瞬とはいえこの隙は致命的な感覚のズレをを生み出し、
(まずッッ!!!?)
超速移動の最中。不可避の衝撃がわたしの身体を吹き飛ばした。
何とか受け身を取って体勢を立て直すも、ざっくりと脇腹に裂傷が走る。
咄嗟に身をひねり、後ろに飛んだことで皮膚を浅く切っただけで済んだが、依然と痛みはジクジクとわたしの身体を蝕んでいった。
(くっ、咄嗟に肉体強化の魔法をかけなおしてこれか……)
おそらく『幻想の世界』に入り込んで魂の領域が深く結びついてしまった弊害だろう。
以前も同じような現象が起きて深手を負ったが、
「今回はその比じゃないな」
思わず胸を押さて顔を顰めれば、ズキズキとナイフを心臓に突き立てるような痛みが深々と危険信号を発する。
これ以上やれば命に係わると本能が叫んでいる。
でも――その程度のことで止まる理由にはならない。
そうして改めて拳を握れば、絹を裂くような悲痛な声が頭の中に響き渡った。
『やめてよ!! もうこれ以上、邪魔しないで!!』
「――ッ!! その声、やっぱりしのぶか!?」
このどこか背伸びしたような少女の声。
間違いなくしのぶ本人だ。
魔力を介して、魂の位置を探ってもどこにも見当たらなかったのはこれが原因か!!
どうやらしのぶの魂はすでにこの世界と深く繋がっているようだ。
意思疎通ができるということはまだ『幻想』に飲み込まれてきっていないという証明だが、それにしたってタイミングが悪すぎる。
「うらあああああ!! 人がせっかく気持ちよく人助けしようって時になに余計な水差しちゃってくれてんだ馬鹿野郎!! お前それでも隠れヲタクか!!」
『うっさい馬鹿!! アンタこそなんでこの世界に来てんのよ!! あたしは、アンタを巻き込まないために、アンタの手を突き放したのに。これじゃあ意味ないじゃない!!』
「うるせぇそれはわたしのセリフだし!! お前、よくもわたしの慈悲を振り解きやがったな。おかげでこんな面倒なことになったじゃねぇか!! ここで一緒に死んじまったら化けて出てやるからな!!」
『そんなのあたしに言わないでよバカ!!』
地団太を踏むようにくるぶしまで浸かる水面を叩けば、仕返しとばかりに黒泥の飛沫が飛んでくる。
なにもない空間に怒りをぶちまけるなんてなかなか慣れない体験だが、やまびこのように言葉が返ってくるのならそれも悪くない。
それに――
「ふっ……なんだ。思ってた以上に随分と元気そうじゃんか」
もっとこの世の全てを呪ってると思ったのに、その口調は案外穏やかで安心してしまった。
すると動揺が空間に作用し、あれほど静かだった黒泥が波打ち際のように騒めきだす。
『だったら、もう帰りなよ。いまならまだ遅くないから……」
そのどこまでも強情に耐えるかのような声の響きは、どこか拒絶の色があった。
だが――
「その気遣いには悪いけど、わたしはお前を助けに来たんだよ。しのぶ」
『――ッ!!』
あえて少女の思いを踏みにじるように堂々と胸を張れば、空間全体から「どうして」と息を呑むような声が聞こえてきた。
「ああ、わたしもイチかバチかの賭けだったよ。もし失敗したらそれこそも戦犯もんの破滅主義者になってたとこだったけど……やっぱりわたしは欲しがりみたいでね。どうしてもお前をオタ友にしないと気が済まないんだ」
『やっと納得して自分の運命を受け入れられたのに。あなた達はなんでそうまでしてあたしに未練を残そうとするのよ。……あたしは、あの世界さえ無事だったらそれでよかったのに』
「何度も言うが、んなことできるはずねぇだろ。一人で世界なんてクソッタレな重責を抱えて、名誉のために死のうとしている馬鹿を放っておけるか」
感情が揺れ。空間が捻じれるさまを肌で感じ取る。
おそらくこれは『これ以上近づくな』という警告なのだろう。
この先踏み込めば、わたしの命はない。
だからあえて――
「一歩踏み込む!!」
その忠告を無視して、強引に一歩を踏み出せば「来ないで!!」という叫びと共に無理解の代償とばかりに、足元にある黒泥から無数の茨がせり出した。
それは寸分たがわず、わたしの身体をくし刺しにせんとばかりに迫り――
「――ぐあっ!?」
飛び退くことで衝撃を回避するが防ぎきれなかった茨の波に飲まれ、吹き飛ばされた。
『ねぇ、……見たでしょ、あたしはもう、あたしの幻想を制御できない。ケガしないうちに、さっさと帰ってよ』
「それは……、できない、相談だな」
震える膝に手を当て、よろけながら立ち上がる。
シャツに赤黒い染みがにじみ出し、関節が軋みを上げる。
『なんで。なんでよ……、アンタまで巻き込まれるでしょうが……、あたしに恩人を殺させるつもり? あたしは、そんなこと望んでない!!』
「んなもん関係ねぇッッ!! ここでお前を見捨てる方がよっぽど最悪だッッ!!」
世界の運命とか、お前の覚悟とかくだらねぇ建前はどうだっていい。
わたしはわたしなりの筋の通し方でこの件に向き合わなきゃなんないんだ。
そもそも――
「ダチを助けるのに理由なんざいらねぇんだよ!!」
感情のまま本音を言い放てば、振りかぶった拳が『世界』を大きく震わせた。
全身の魔力を高速循環させ、自分の身体を炉心に見立てる。
この身体はかの稀代の魔導士セルジア=ファブレットではない。
どこにでもいる普通の女の子。鬼頭神無の身体だ。
例え、魂が器に満たないほど膨大だとしても、
脆弱な器に膨大な魔力を通せば当然、ただでは済まないのは承知の上だ。
でも――
「一度通した義理はきっちり通すのがわたしの流儀なんでね」
ここは彼女がこれまで背負ってきた心象風景だ。
誰にも理解されず、誰も信用せず、一人で不安を抱えることでしか自己を保てない孤独な心の成れの果てが『これ』だ。
そんな最期、惨めすぎる。
それに――
「こんな暗くてじめじめした場所でダチを見殺しにできるか!! 人生初のオタ友が実は自殺趣味の超根暗とか最悪だろうが!!」
紹介するこっちの身にもなりやがれってんだよ!!
今後、お前の死のカルマを背負って生きるなんてまっぴらごめんだからな!!
『アンタって奴は……どこまでも』
「それを言うならお互い様って奴だよバカ野郎」
まったくアニメや漫画でありがちな展開だが、今回ばかりは笑えない。
今にもはち切れんばかりに全身を掻き抱き、嗚咽にも似た叫びが『幻想の世界』を震わせる。
きっともう限界が近いのだろう。
不協和音がキチキチと殺気のように震え、『幻想の世界』が物理法則を無視して歪みだした。
「いままでよーく耐えた。全部吐き出せ。わたしが受け止めてやるよ」
誰も巻き込みたくないから、自分と同じような運命を送ってほしくないから全部抱えてんだろ。だったらもう十分だ。全部思うままにぶちまけちまえよ。
『そんなこと、出来るはず……ないでしょ。どうしてそこまでわかってて放っておいてくれないのよ。あたしがここで一人で死ねば。全部解決するのに……』
「甘ったれんな!!」
テメェが死ねば全部丸く収まる?
ああたしかにそうだろうよ。だけどなぁ――
「わたしの依頼はこのくだらねぇゴミ掃除なんだよ。いつまでもお前がウジウジ抱えてるから一向に仕事が終わらねぇんだ。お前、誰も不幸にしたくないつってるけどなぁ、ここでお前が死んだら、不幸になる奴がここに一人いるんだぞ!! それでもお前はまだ死にてぇっていうのかよ!!」
それに――
「お前が死んだら今月の推しへのお布施が払えねぇだろうが!!」
『結局、結局はお金なの?』
「ああ、そうだ。愛だなんだいたって、結局は金だ。別に世界の為とか、他人の為だとかじゃねぇ。わたしはわたしの目的のために身勝手にお前を助けんだよ」
『……ッ、あんたなら。神無さんならあたしのことわかってくれると思ってたのに!!』
「わたしはお前のママじゃねぇ!! いつまでも誰かに甘えて、人に期待すんな!!」
飛んできた八つ当たりの茨を拳で打ちおろす。
先ほどまでとは違い、打ち下ろされた拳は寸分たがわず茨を砕き、青い粒子に還していく。
「どうだ。これがわたしの覚悟だ」
不意に息を呑む音が聞こえ、いまの一撃を契機に、ブワッと世界が膨張しはじめた。
今にも現実を食い破りそうになる『幻想』の爪痕は、いままで無理やり押さえつけられてきた現実に報復せんとばかりに侵食していく。
暴走の二文字が脳裏をかすめ、
「そうだ。それでいい。いつまでいい子でいるつもりだ。いい加減、本音で話し合おうぜ」
大胆不敵に唇を歪めてみせれば、どこか呆れたような、けれどもどこか嬉しそうな響きを持ったため息が脳内に響き渡り、
『あんた、……ほんと馬鹿だよ』
たった一人の邪魔ものを蹂躙せんとする茨の濁流が薙ぎ払われた。
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